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連載:サッカー応援団長・岩政大樹コラム

三笘薫や旗手怜央たち大卒選手が持つ強み、「幅」と「深さ」で深掘りできる4年間

大卒ルーキーの三笘(右)と旗手。首位の川崎フロンターレの中でも存在感を示している(撮影・朝日新聞社)

今年のJリーグはいつにも増して大卒選手の活躍が目立っています。首位を独走する川崎フロンターレではルーキーの三笘薫選手と旗手怜央選手がチームを牽引(けんいん)するような活躍を見せ、その他のチームでも1年目から主力となっている選手が少なくありません。私の時代は大卒選手がJ1で活躍するのは本当に難しい時代でしたからね。素晴らしいと思います。

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筑波大の三笘から日本の三笘へ 大学4年間の感謝とこれからの思い

これには新型コロナウイルスの影響や高卒の中堅選手たちが海外に行ってしまうなど、様々に理由があると思いますが、私は大学というものがJリーグの“サテライト”としてではない機能を果たしていることが大きいとみています。決して大学サッカーはJリーグに行くためだけのものではない。大卒選手たちの活躍を目の当たりにしている今、このあたりを再度考えてみたいと思います。

大学時代に「ヘディング」という武器を知った

私自身を振り返ってみても、高校を卒業して迎える20歳前後というのは、人生の大きな分岐点だったなと思います。18歳までは学校に行き、日課に追われ、サッカーに打ち込んだら、もう今日が終わっていた、というような毎日でした。“将来”というものもまるで想像できない。特に私は山口県の小さな島で育ちましたから、限られた社会の中で、“自分”なるものもよく分かっていなかったと思います。

視野が格段に広がり、出会いで“世間”が一気に広がり、「プロサッカー選手になる」という“将来”を描き始めたのが、東京に出てきた大学生の時でした。そこで私は“自分”の立ち位置を知り、“自分”を“世間”と見比べながら、この世界で生きていく術を考え始めたのです。

その時、私には“自分”を「幅」と「深さ」で深掘りできる4年間という時間と環境がありました。「深さ」から思い出してみましょう。

岩政は東京学芸大学時代に初めてプロを志した (C)JUFA/REIKO IIJIMA

私は大学に入り、初めて「ヘディング」という武器が全国でも通用することを知りました。加えて、大学のサッカー部で元々好きだったサッカーの戦術を学び始めてからは、「声でチームを動かす」ということも自分の個性に加えていこうと考え始めました。

そして、“自分”をはかる上で格好の力試しとなったのが、定期的に組まれていたJクラブとの練習試合でした。私は練習試合の度に、プロとの距離を測りながら、その実感を大学に持ち帰って、日々の取り組みに生かしていきました。

その時に、大学には“4年間の猶予”というものがあります。“猶予”と言っても悠長に構えるという意味ではありませんよ。危機感を持った上での“猶予”は、人生の中でとても貴重です。私は“自分”というものを知り始めた時から、4年間をかけて目指すレベルに到達すれば良かったのです。この時間は“自分”を「深さ」で深掘りしていくために、私にとっては必要不可欠でした。4年という時間軸の中で、目標を定めて逆算をして、日々を作る。これはいくら若手選手でも、毎週明確な結果を突きつけられるプロの世界では許してもらえないんですよね。

プロを選び社会に出ない自分が「幅」を得るために

同時に、当時は意識していませんでしたが、「幅」というものも手にしていたのが大学の良さだったと思います。

例えば「幅」というと、まずはやはりサッカー部の友人たちです。大学には様々な志でサッカーを続ける学生たちが混在しています。体育会のサッカー部に所属しているくらいですから、みんなそこにこだわりはあるわけです。わざわざたくさんの選択肢の中からサッカー部で活動することを選択しているわけですから。

そして、様々な志は様々な気づきにつながります。サッカーの指導者を目指す者、トレーナーを目指す者、クラブ経営を目指す者、中には大学でサッカーを始める学生もいます。そして、多くは大学でサッカーには一区切りをつけ、社会に出ていきます。すると、私はプロサッカー選手になってうれしい気持ちがありながらも、人生に対しては焦りのようなものがあったものです。だって、私はサッカーだけをして20代を過ごしていきますが、みんなは社会の中で揉まれ、学び、30歳になる頃にはもう一人前の社会人になっていくわけですから。

その人生への焦りから、私が始めたのが読書でした。元々本をまったく読まなかったわけではないのですが、プロサッカー選手は移動やフリーな時間が多い仕事でしたから、私は意図的に読書量を増やそうと考えました。今となってはこれも私の「幅」と言えるものにつながっています。もちろん、大学で学んだ数学の頭の使い方や教育的な視点も、サッカーを深掘りしていく上での、私の「幅」と言えるでしょう。

危機感を持った上での“猶予”にこそ意味がある(撮影・小澤達也)

様々な出会いや気づきにより、「サッカー選手という仕事は人生の一部、サッカーというスポーツは社会の一部」、そんな感覚でいられることも「幅」というもののひとつと言えるかもしれません。言葉にすれば当たり前のことですが、これを言葉ではなく感覚で捉えられる。それも大卒選手の傾向であるように思います。

プロの世界で“何を表現できるか”

18歳で一気に広がる世間、そして社会。その時に出会う様々な人、そして環境。そこで定まっていく“自分”に対して「深さ」をとりにいく“時間”があり「幅」をもつための“気づき”がある。社会に出ると、自分で「時間」や「気づき」を得ることってそんなに簡単ではないですからね。

先日は、三笘選手の卒論も話題になっていました。近年の大卒選手を見ていると、自分の武器の生かし方がとても上手です。ピッチの中での“自分”なりの表現の仕方をよく知っている印象です。単純に「才能」ということなら高卒の選手の方が目立つはずなのに。

結局、プロサッカーの舞台では“何を持ち合わせているか”を競うわけではなく“何を表現できるか”を競うわけです。周りを知ることで浮かび上がった“自分”というものを知り、そして“自分”の生かし方、表現の仕方を築いた上でプロに挑戦できる大学の持つ特性は、今後も多くの名選手を輩出していくだろうと思います。

サッカー応援団長・岩政大樹コラム

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