塾もいかず現役で東大へ、入学式で東大初のJリーガーになると決意した 久木田紳吾1
今回の連載「4years.のつづき」は、東大在学中に特別指定選手としてJ2のファジアーノ岡山でプレーし、東大初のJリーガーとなった久木田紳吾さん(31)です。昨シーズンをもってザスパクサツ群馬を退団。9年の現役生活にピリオドを打ち、今年4月よりSAPジャパンで新しいキャリアを築いています。4回連載の初回は東大ア式蹴球部に入部するまでのお話です。
サッカーの強豪校も考えた、でも進学校へ
「大好きなサッカーを思い切りやってこられた幸せな9年間でした」
ザスパクサツ群馬で現役を引退するにあたり、久木田さんはそうコメントした。昨シーズン、群馬はJ3で2位となり、J2昇格を果たした。好調なチームの影で、久木田さんは自分の成長曲線を思い描けず、苦悩する日々を過ごしていたという。それでも「幸せな9年間」と言えた。その理由を「やりたいことはすべてやりました。だから納得できたんだと思います」と久木田さんは言う。突き抜けた努力を貫いてきたからこその言葉だった。
熊本で生まれ育った久木田さんは、子どもの時からスポーツが大好きだった。小学校の休み時間にはサッカーやバスケ、キックベースなどで遊び、小学校でバドミントンの顧問をしていた父の影響でバドミントンにも取り組んだ。そんな中、小3の時に友達の誘いで熊本YMCAのサッカーチームに入ると、一気にサッカー熱が高まった。
中学校でもそのままクラブを続けることは既定路線だった。クラブでは全国大会も経験し、高校ではサッカーの強豪校である熊本県立大津高校への進学も考えた。しかし、「自分よりもうまい人やすごい人はいっぱいいる。そんな中で大津高校に進んでも埋もれてしまうんじゃないか」と自分に自信が持てなかった。悩んだ末、県内トップクラスの進学校である熊本高校に進んだ。「進学校の方が他の選択肢もたくさんもてるだろう」という思いからだった。
平均以下で熊本高に入学、悔しさから独学で勉強
熊本高からは毎年、東大・京大など難関大学に多くの学生が進学している。その一方で部活動も盛んであり、様々な部で全国大会出場を果たしている。「学生の自主性に任せている校風で、時間を自分でいろいろカスタマイズできたのはありがたかったです」と久木田さん。サッカー部の仲間にも恵まれ、一層、サッカーにのめり込んだ。選手として成長する中で、漠然とではあったがプロへの憧(あこが)れが芽生えたのもこの時だった。
全国を目指す中で、2年生での選手権予選と新人戦、3年生でのインターハイ予選は大事な舞台だった。しかしすべてルーテル学院高校(熊本)に敗れ、ベスト8止まり。最後まで勝てなかった悔しさを抱え、引退した。
その一方で勉強にも真面目に取り組んでいた。熊本高に入学した際、久木田さんは平均よりも下の成績だったという。その悔しさから努力を重ね、成績も向上。東大が視野に入ってきた。具体的に東大受験を決めたのは高2の夏のオープンキャンパスの時。先生や友達の誘いで東大を訪れ、3年生の時に専門を選ぶ進学選択制度に魅力を感じた。「何がしたいか決まっていなかったんです。結局、サッカーが一番好きで、将来何をやりたいとかなくて……。だから東大が一番、選択肢がもてそうだなと思ったんです」
東大初のJリーガー、前例のない挑戦へ
「単純に得意だった」という理由で理系を選び、塾に通うことなく独学で勉強を続け、現役で東大へ。入学前は大学でもサッカーを続けることを迷っていた。しかし高3の夏前に引退し、受験勉強に切り替える生活の中でも、サッカーをしたい欲はずっとあった。「自分ってこんなにサッカーが好きだったんだ」と気付かされたという。
そんな時、東大入学式の挨拶(あいさつ)に立った東大教授の福島智さんに圧倒された。福島さんは目が見えず、耳も聞こえない盲ろう者でありながら、世界で初めて常勤の大学教員となった。もし自分も盲ろう者だったら、どうやって大学教授になれるだろうか。その困難さは想像に難くなく、ただただもう、尊敬しかなかった。そんな福島さんはこう話した。
「誰も挑戦したことのないことに、挑戦することに価値がある」
はっとさせられた。高校時代に芽生えたプロの夢。東大からプロサッカー選手になった人がいないことは知っていた。だったら自分が前例になってやろう。プロになるため、ア式蹴球部への入部を決意した。
東大ア式蹴球部は東京帝国大学時代の1918年に創部された、国内でも最も歴史ある大学サッカー部。関東大学サッカーリーグの前身となるア式蹴球東京カレッジリーグでは6連覇を達成している。しかし77年に東京都大学リーグへ降格して以降、東京都大学サッカー連盟下で戦っている。
当時のア式蹴球部は2部におり、1部昇格後、関東大学サッカーリーグへの復帰を悲願としていた。練習は週5日。空いている時間には各自が学内のジムで鍛え、一人ひとりが真面目にサッカーと向き合っていた。久木田さんが入部した際、同期は13人程度いたものの、どんどんやめて最後は7人になった。
「ア式は本気でサッカーをする組織で、確実にサークルとは違って厳しいです。彼らがア式蹴球部をやめた理由は、東大に入ってサッカーを本気でやることでの機会損失でした。留学したいとか、研究したいとかいう様々な活動をあまり並行してできる環境ではありませんでした。そういうところが自分の中で消化できなくてやめていく人はいましたね」
久木田さん自身は4年間、プロになるという思いは一度もぶれなかった。
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