フィギュアスケート

連載:4years.のつづき

総合芸術の理想求め創作に捧げた早稲田大大学院時代 フィギュアスケート・町田樹5

2014年12月、現役最後となるメダリストオンアイスに出演した町田樹さん(撮影・朝日新聞社)

連載「4years.のつづき」から、関西大学卒業、早稲田大学大学院修了、博士号を取得した町田樹さん(30)です。2014年ソチオリンピック男子フィギュアスケート5位に入賞し、トップ選手として活躍しました。その後は研究者の道へ進み、10月からは國學院大學の助教に就任します。全6回にわたる連載の5回は、現役引退からプロとして創作活動に携わった大学院時代です。

戦国時代の日本男子、勝ち取ったオリンピック代表 フィギュアスケート・町田樹4

突然の引退、そして大学院へ

2014年春、日本開催の世界選手権で銀メダルを獲得した町田さんは、新シーズンに向けて競技者としての高みを目指す一方、セカンドキャリアの準備も進めていた。スポーツマネジメントに興味を持ち、ソチの地でもオリンピックを取り巻く環境について知見を広げていた。競技の運営、マーケティング、開閉会式の演出、実際の目で見て考えた。そうした経験を活かしながら、独学で経済学、運動生理学、栄養学、政策論、スポーツ史など多岐にわたって学び、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の入試に備えた。

10月に本格的なシーズンが始まると、グランプリ(GP)シリーズ初戦スケートアメリカの直前に大学院入試を受験。ショートプログラムが行われる日の朝、ウェブサイトの発表で合格を知った。セカンドキャリアへの入り口が開かれ、ほっと胸をなでおろした。その大会で優勝を飾ると、次戦も銀メダルを獲得し、GPファイナルに進出した。

12月28日、大きな決断の日が訪れた。雪がしんしんと降る長野の地で全日本選手権の男子フリーが行われた。町田さんは総合4位に入り、翌年3月の世界選手権代表に選出された。しかし、その直後、静かな決意を自らに下す。世界選手権に向けたあいさつの場で突然、「将来は研究者を目指していきたいという強い気持ちを持っております」と現役引退を発表した。会場は騒然、驚きの声が上がったが、すぐに温かい拍手に包まれた。

現役最後となったフリー「交響曲第9番」のテーマ「極北」になぞらえたかのように競技人生をまっとうした。セカンドキャリアを自らの手で切り拓(ひら)き、もう迷いはなかった。世界選手権を辞退して入学の準備を整え、晴れて4月から東京で大学院生活をスタートさせた。

現役引退を発表し、感謝の気持ちを語った(撮影・朝日新聞社)

アーティスティックスポーツを研究

研究と創作(プロ活動)の二足の草鞋(わらじ)の生活が始まった。「振付家」と「実演家」両方を兼ねるフィギュアスケーターとして、自ら作品を振り付けし、アイスショーで発表した。そうしたプロ活動は大学院生活を経済的に支えるものであり、スポーツとアートの両義的な性質を持つ「アーティスティックスポーツ」という身体運動文化の研究に図らずもつながっていた。

大学時代の「町田樹」は自分からフィギュアスケートを引いたらほぼゼロだと思っていたが、大学院で研究に励むことで、そのゼロが少しずつ大きくなっていることを実感できた。

「フィギュアスケートは総合芸術であり、その意識はずっと変わりません」と町田さんは言う。現役時代の「エデンの東」以降、主体的にプログラムづくりに関わり、振り付けも手がけてきたが、プロになって、より自由に理想に近い作品を作れるようになった。

プログラムの選曲から始まり、原作の解釈、振り付け、構成、音楽、照明、舞台設定、すべてをプロのアーティスト集団とともに作り上げてきた。1作目の「白夜行」から全10作を生み出した。「生みの苦しみを味わう分、それを演じ切ったときの感慨もひとしおです」と目を細める。

フィギュアスケートの源流をたどって

オリンピックシーズンから始めたコンパルソリーの練習はずっと続けていた。この基礎のトレーニングは自身の身体と向き合うと同時に、フィギュアスケートの歴史をたどることでもあった。「コンパルソリーはフィギュアスケートにおけるすべてのスキルの源流です。私が生まれた1990年にコンパルソリーフィギュアが競技で廃止され、競技者になったときには存在していません。言ってみれば、基礎の基礎を学ばずしてスケートを始めていたということです。それに長い間気づかなかったのです」

そのコンパルソリーから始まり、ジャンプが加わり、舞踊として昇華する。それを体現した作品こそ、2018年発表の「ボレロ〈起源と魔力〉」だった。8分の長編で、スケートの魔力にとりつかれ、最後は死に至る男を演じた。制作陣とともに歩むプログラムの着想から完成までは1年くらいかかるが、このボレロは8年間もの長い間、「いつか踊りたい」と夢見続けた作品だった。

「プリンスアイスワールド2018横浜公演」に出演し「ボレロ」を披露した(撮影・朝日新聞社)

プロ引退「さよならは言いません」

総合芸術の創作に情熱を注ぐ一方、院生としてはまったくゼロからスタートで、厳しい研究の世界と真摯に向き合った。博士後期課程に進み、慶應義塾大学環境情報学部や法政大学スポーツ健康学部で非常勤講師を務めるなど、徐々にキャリアを積んでいった。

学会の発表も増えたと同時に、博士論文の執筆も佳境を迎え、これ以上二足の草鞋を履くことは難しいと判断。2018年春、研究に専念するため、プロを引退すると発表した。報道陣に「今回も決してさよならは言いません。将来的には研究者としてフィギュアスケート界に貢献できることが必ずやあると信じていますし、そういう人材になれるように頑張っていきます」と語った。

最後の作品のテーマは「人間の条件」、音楽はマーラー「アダージェット」を選曲した。25年間のスケート人生を注ぎ込んだ集大成として発表した。町田さんの公式サイトにはこう記されている。「生きていれば、人はときに不条理な状況に突然立たされたりする。行く手に高い壁が立ちはだかり、絶望の淵に沈むことさえある。しかも、願ってもそこに救いの手が差し伸べられるとは限らない。だが、それでも人間は生きていかなければならない」

10月6日、最後の舞台は世界選手権で銀メダルを獲得したさいたまスーパーアリーナで行われた「カーニバル・オン・アイス」。観客で埋め尽くされた会場で9分30秒を超える大作を演じ切った。割れんばかりの拍手が響き渡り、惜しまれながらプロフィギュアスケーターの幕を閉じた。それは研究者・町田樹の幕開けが近づいていることを意味していた。

【最終回】セカンドキャリアで夢の研究者へ フィギュアスケート・町田樹6
【写真特集】元フィギュアスケーター町田樹さんインタビュー

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