サッカー

連載:4years.のつづき

未知で無知のまま駆け抜け、突発的に決意した「引退」 中野遼太郎6

クラブ探しの合間の自主練での1枚。卒業して10年、いろんなことがあった(写真は本人提供)

連載「4years.のつづき」はラトビア・FKイェルガヴァでコーチを務める中野遼太郎さん(32)です。FC東京の下部組織で活躍したのち、早稲田大学に入学しア式蹴球部に所属。卒業後は単身ドイツへと渡り、以降9年間海外でプレーしました。大学時代、そして海外への挑戦を中野さん自身の言葉で綴(つづ)っていただきます。6回連載の最終回は、2019年に引退したこと、そして今考えることについてです。

ラトビアで得点王とMVPに 「ターニングポイント」なんてなかった 中野遼太郎5

自分の人生をここで振り返る意味

今回でこの短期連載も、最終回になる。
時系列で自分の歩みを振り返る、しかも公の媒体を通して文章に残す、という機会をいただいたことで、執筆期間中は自分の過去と対峙する時間が多くなった。サッカーで対峙してきたのはもっぱら実存する相手選手で、たとえば机に向かって「自分の過去と対峙する」というような行為は習慣にしていなかったから、初めは個人的な思い出を自己完結の外に引っ張り出すことに気恥ずかしさがあった。

けれど途中から、「締め切り」や「読者」といった外的な要素に刺激されながら自分の過去を覗くことは、「物思いに耽(ふけ)ること」とはまったく性格が違っていることに気付いた。過去の行動や心情に対する一応の見解を「見てもらう」ことは、その行動、心情を経た現在に責任を持たせてくれる。こうした機会を与えてくれた4years.には深く感謝したい。

突発的にやってきた「引退」の決断

何かに懸命に取り組んでいると、明確で簡潔な「着地のようなもの」を求められることがある。
始まった工事がいずれ終わるように、このコラムに締め切りがあるように、一度始めたことならば、終わりの在り方を「かたち」として提出できたほうがいい。その出来が理想とはほど遠く、どんなにひどい有様だったとしても、延命処置のような進捗報告だけで一生やり過ごすことはできない。期限があるから完結することがある。そしてサッカー選手のような職業にとって、その最後の提出物にあたるのが「引退」ではないかと思う。

僕が引退を考え始めたのは2019年の初夏で、決断したのは、その年の晩夏だった。

いくつかの象徴的な出来事が続いて、僕はほぼ突発的に、引退しようと決意した。常日頃から「去り際の美学」みたいなものを持ち合わせていれば良かったのだけれど、残念ながら(そしていつも通りに)僕は準備不足だったから、とりあえず決断が先にきてしまった。周囲への説明はもちろん、自分自身への説明すら終わっていない。

それが普通のことなのか、常軌を外れたことなのかの判断さえもつかなかったけれど、理路整然と、段階的に(たとえば引退試合なんかをしてもらえるような形で)穏やかに競技から身を引ける選手は本当に一握りだと思うことにして、僕は自身への追及もそこそこに、周囲への説明に終始した。

「そんな安易に決めるなよ」と思うかもしれないし、僕自身も書いていて、淡白だなぁと思う。けれど、僕はそもそも「辞めます」はいつでもできるのに「続けます」を選びつづけた競技生活だったから、サッカーとの関係性に対する、僕の僕自身への説明はとっくに終えていた。

大丈夫、俺は自分を(そしてサッカーを)粗末に扱ってるんじゃない、という確信があって、それは僕の「突っ走った」決断の土台をガッチリ支えてくれていた。事実(あくまで今のところは)、引退の時期はかなり正しいものだったと思っている。「これ」という決定的な理由がなかったことに関しても、納得したままだ。

「辞める」に怒ってくれた人たちがいた

愉快に感じたのは、日本の知り合いは皆揃って、理由に深入りすることなく一言、「おつかれさま」と言ってくれたのだけれど、海外でのチームメイト達は揃って、まったく理解ができないと言った感じで「WHY」の質問攻めにしてきたことだった。「ふざけるな」「辞めるなよ」「まだ動けるだろ」そういった彼らの単刀直入な疑問、失望、たまに怒りのようなものに触れながら、僕は心の底からサッカーを続けてきて良かったなと思った。

もし仮に22歳の僕が、大学卒業を機に「サッカー辞めます」と言っていたら、「どうぞどうぞ、就職してください」と言われるばかりで、辞めることを怒ってくれる人はいなかったように思う。それが10年間、サッカーボールを介して挑戦し続けたことで、僕の「サッカー辞めます」に猛然と怒ってくれる人たちに出会えた。それの何が嬉しいのか、僕にはうまく説明できないのだけれど、とにかくとても嬉しかった。涙が出るくらいに。

引退して思い浮かぶのは、「日常」の風景

そうやって引退して、もうすぐ一年が経つ。自分の歩んできたキャリアを振り返ってみると「味がある」とか「独特だ」というのが精一杯で、やはり「理想的だった」とは言い難い。たとえば大学を卒業して、前途に心躍らせながら搭乗口で航空券を握りしめる僕に、ドラえもんから「こういうキャリアになります」と10年の計画表が渡されていたら、僕はその行程に失望して(特にラトビアという聞いたこともない国にとても長くいるあたりに関して失望して)、静かにその航空券を捨てていたと思う。この人生を「あえて」選ぶようなことはなかったはずだ。けれども、幸運なことに僕の前にドラえもんは現れず、僕は未知で無知のまま、僕の日常を駆け抜けた。

今、思い浮かぶのは、数える程度の「大切な試合」と、到底数え切れない「日常」だ。

チームメイトと泥酔した夜や、まずくて残したスープの味、失敗した散髪や、練習の行き帰りに歩いた道の風景。不思議なくらいに、そういう何の価値もなさそうな日のことばかりが思い浮かぶ。自分は世界中で何番目の実力のサッカー選手で、給料はいくらで、何試合に出場したのか。そういう比較はもちろん重要な役割を担うけれど、色あせていくのもまた一瞬なのかもしれない。引退してすぐに、そういうことへの興味は急激になくなってしまった。

つまり僕が生きるのは日常で、僕が思い出すのも日常だ。人は日常以外を生きる術を持たない。大切にするべきは今日、この日常以外にないのだと思う。

僕が4+10yearsで学んだいくつかのことが、4yearsを生きる(生きた)みなさんの心のどこかに(読後の数分でも)居場所を作ってもらえたとしたら、それだけで僕は嬉しいです。ありがとうございました。

4years.のつづき

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