大学サッカー

連載:4years.のつづき

ヒリヒリとした勝負の連続、Jリーグで戦った9年間は誇り 久木田紳吾3

久木田さんは2011年にファジアーノ岡山へ正式加入し、当初はFWとして活躍した (c)FAGIANO OKAYAMA

今回の連載「4years.のつづき」は、東大在学中に特別指定選手としてJ2のファジアーノ岡山でプレーし、東大初のJリーガーとなった久木田紳吾さん(31)です。昨シーズンをもってザスパクサツ群馬を退団。9年の現役生活にピリオドを打ち、今年4月よりSAPジャパンで新しいキャリアを築いています。4回の連載の3回目はJリーグで過ごした9年間についてです。

サッカーと勉強だけの東大時代、忙しくても後悔したくなかった 久木田紳吾2

どんな時も自分にベクトルを向ける

東大ア式蹴球部のメンバーはみな、まっすぐにサッカーと向き合っていた。久木田さん自身、そんな環境でサッカーができたからこそプロの道が開けたという思いはあったが、東京都大学リーグでは圧倒的に強い相手と対戦する機会がなかった。それゆえに、J2のファジアーノ岡山でプレーする日々は、これまでとは段違いのものだった。「とにかくレベルが違いました。とくにボールを受ける時の判断力。相手のプレッシャーのレベルが違ったので、まずはそこに面食らいました」。激しいプレッシャーの中でどうボールを失わないか。経験がない自分は、数%の成長のために努力を積み重ねていくしかないと腹をくくった。

プロ1年目を終えた2011年の年末、12年シーズンにJ2昇格を決めた松本山雅FCから期限付き移籍の打診を受けた。岡山の強化部長からは「自分の成長のために、ベストな選択をしてくれ」と言われた。この1年を振り返るとプロのレベルに慣れることが第一で、もっと試合に出られるよう、新たな挑戦をする必要性を感じていた。これはいいチャンスかもしれない。12年は松本山雅でプレーした。

その年の6月に前十字靱帯を切ってしまったため、シーズンの半分はリハビリになってしまったが、収穫はあった。「僕は初めての東大出身のJリーガーだったから、先輩も後輩もいません。だから松本山雅でいろんな考え方や過ごし方をする選手に出会え、自分の中で幅が広がりました」

プロ2年目は期限付き移籍で松本山雅FCへ。けがでシーズンの半分はプレーできなかったが、久木田さんは松本という地で人脈を広げた(写真は本人提供)

13年には岡山に復帰。週末の試合に出るために、少しでも自分をアピールするべく、気が抜けない毎日が続く。けがをすれば試合に出られず、試合でちょっとでもミスをしたら代えられてしまう。ヒリヒリした勝負の中で久木田さんが常に意識していたことは「自分にベクトルを向ける」ことだった。

「サッカーって本当にいろんなことが起きるんで、いくらでも言い訳ができるんですよ。けがをしたからとか、自分にパスがこないからとか、このサッカースタイルは自分に合わないからとか……。でも周りを変えることはほぼ無理。だから自分が成長するしかないんです。自分に実力が足りない、柔軟さがない、引き出しがない。そのためにどうしたらいいのかを考える。その軸をぶらさずやるしかないんです」

岩政大樹さんを見て聞いて学ぶ

まずは試合に出て結果を残したい。しかし試合終盤にスーパーサブとして出場することが多く、FWとして確固たる地位を築くには至っていなかった。その一方でDF練習に取り組んだところ、しっくりくるものがあった。ちょうどチーム内にDFのけが人が多かったこともあり、14年、久木田さんはDFに転向。翌15年には日本代表も経験している岩政大樹さんが移籍してきた。岩政さんは初年度から主将としてチームを支え、またDFでは3バックの中央で守備の要となった。久木田さんは岩政さんの右。自然と接点は増えた。岩政さんは当時の久木田さんについてこう話している。

「紳吾には練習後や食事の席でいろんなことを聞かれたものです。向上心と探究心が人一倍強い選手でした。こだわりが強く、ときにはそのこだわりが邪魔をすることもあったかもしれません。しかし、それも含めて彼の生き方だと思っています」

DFに転向した久木田さん(中央)は岩政さん(35番)の姿勢に学び、技を鍛えた(写真は本人提供)

パスの受け方、ポジショニングの取り方、体の使い方……。根が真面目なだけに納得できるまで考えては、ことあるごとに岩政さんにたずねた。「一つのことを深掘りするタイプなんで、それってなんでなんだろうと思うと、一つの事象に対してもいろいろと質問していました。それでも大樹さんは全部答えてくれたんで。いい先輩です」と、久木田さんは微笑みながら明かした。

自分のベストを見ないままでは終われない

16年には右アキレス腱断裂の影響でシーズン通して出場できず、復帰してからの1年も本調子とはほど遠かった。17年に契約満了となったが、その岡山でお世話になっていた布啓一郎コーチがザスパクサツ群馬の監督に就任するにあたり、「一緒にチームをJ2へ昇格させよう」と声をかけてくれた。12年にけがをした経験から、復帰してから1年間はトップパフォーマンスに戻らないことが感覚的に分かっていた。自分のベストを見ないまま終わるのはあり得ない。この1年こそはやり切る。そう決意して、群馬に移籍した。

久木田さんは新天地で1試合を除いてほぼフル出場するも、チームはリーグ5位でJ2復帰を逃した。「やり切った」とは言えなかった。まだ自分の成長を信じられる部分がある。苦しみながらも、布監督とともにもう1年、戦うと決めた。

19年シーズン、チームのフォーメーションが3-4-3から4-4-2に変わったことがきっかけで、久木田さんは試合に出場する機会が減った。それでも限られたチャンスをつかむため、数%でも成長させるため、日々、練習と研究に打ち込んだ。そしてチームは勝ち続け、最終戦となった福島ユナイテッドFCに2-1で勝利。リーグ2位で17年以来3年ぶりにJ2復帰をつかんだ。

アウェーにもかかわらず最終節には多くのサポーターが駆けつけ、みんなでJ2昇格の喜びを爆発させた (c)THESPA

久木田さん自身、チームに貢献できたかというと疑問はあった。それでも、布監督とみんなでつかんだ昇格を心から「良かった」と思えた。そして、「これで気持ちよく終われる」とも思った。シーズンを戦う中で、久木田さんは選手としての先が見えてきたように感じていた。

「自分には引き出しがあまりなかったんだな、と改めて気付かされました。調子が上向くというよりも、日々の体の不具合をどうトリートメントするかという状況でした。このまま続けても今のレベルを維持することが精いっぱいで、これから成長していって、どんどん上のレベルにいけると信じられなかった。『ああ、もうこれは引退する時だな』ってその時に思いました」

J1でも戦いたかったという思いはある。それでも後悔はない。9年間のプロ生活。ヒリヒリした勝負の世界でやりたいことを貫いてきた。「サッカーはピュアな競争があると思っていて、競争の純度が高いです。そんな競争を常にやってきたというのは誇りですし、それがプロスポーツをやっている価値だと思っています」

昨年12月11日、現役引退を発表。納得してこの日を迎えられた。

不器用ながらも“文蹴両道”、本気になって突き抜けた努力を 久木田紳吾4

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4years.のつづき

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