東大理系ボクサー榊原烈桜 大好きなボクシングと実験ができる幸せをかみしめて
東京大学ボクシング部には現在、マネージャーを含めて部員が22人いる。20人の選手は全員、大学からボクシングを始めた。榊原烈桜(れおん、修士2年、昭和学院秀英)は「東大いったらボクシングしてもいいよね?」と両親を説き伏せ、いま喜々として競技に打ち込んでいる。ボクシングを始めてもうすぐ7年目に入る。東大の仲間たちと練習に打ち込む一方でジムにも通い、いまはプロを目指している。
ロベルト・デュランにあこがれる幼稚園児
榊原の父・隆史さんは、1984年に元WBA世界ライトフライ級王者の渡嘉敷勝男さんとも対戦したことがある日本ランカーだった。試合中のけがで病院に運ばれて緊急手術。ライセンスをはく奪されて引退した。だからこそ、子どもにはボクシングをさせたくないという思いが、父にも母にも強かった。それでも父のボクシング愛ゆえに、家にはたくさんのボクシング雑誌、ミットにグローブが置いてある。自然と子どもたちもボクシングへの思いを強くした。榊原は幼稚園児にして、「パナマの英雄」ロベルト・デュランにあこがれた。
「高校生以下の年代で打ち合うのはよくない」。それが父の思いだったが、7歳上の兄は我を通して中学生のときにボクシングを始めた。榊原自身は言いつけを守ったが、中学校では「何かしら格闘技をしたい」と考えて柔道部に入った。もちろん、将来的にボクシングをするためだ。ただ高校では勉強に打ち込むと決め、部活には入らなかった。だからといって何もしなかったわけではない。家に帰ればランニングに筋トレ、そして父にも協力してもらってミット打ち。父はおそらく、ミット越しに息子の本気を感じとったことだろう。
「東大にいくために勉強に切り替えたんですね」と尋ねると、「いえ、違うんです」と榊原。通っていた昭和学院秀英高校(千葉)からは、年に1人か2人は東大に進む。高2の夏休み前の授業中、担任の先生から名指しで「3浪ぐらいしたら東大入れるかもね」と言われたことにカチンときた。直後の夏休みに猛勉強。好結果がついてきたため、本気で東大を狙う覚悟をした。そこからの頑張りが実り、現役で東大合格。当時の担任を見返してみせた。
物理の実験が楽しくて修士、博士課程へ
入学後は迷わずボクシング部へ。受験勉強中に「東大に入ったら、今度こそボクシングをさせてほしい」と両親に宣言。父は「入ったらやってもいい」と言ってくれた。ただ、母は反対した。「やっぱり『東大までいったんだから、勉強を頑張って、いい会社に入ったらいい』って、いまも言ってます」と苦笑いの榊原。
入学当初は兄と二人暮らしをしていた。兄はボクシングを続けて名門の東洋大に進んだが、途中で競技をやめた。弟が東大でボクシングを始めるころにはすでに兄はボクシングから離れていたが、弟のことをいまも気にかけてくれている。「七つ上だと小中高時代は全然関わりがなかったんですけど、ボクシングを始めてからは交流が増えたし、東京で暮らし始めたときは兄にずいぶん助けてもらいました」
榊原は東大大学院の総合文化研究科で学んでいる修士2年生。「総合文化」と聞けば文系のようだが、物理を学ぶバリバリの理系だ。小さいときからパズルが大好きで、ルービックキューブをガチャガチャさせては、物事の仕組みや性質を解き明かすことに夢中になっていた。
修士論文のテーマは「常磁性金属プラチナとパラジウムの電気化学的な伝導特性制御」。磁石ではない金属に適切な電気を加えて磁石にする研究、だそうだ。「それが本当に役立つかどうか、いまは明確には言えないんですけど、50~100年後につながる研究をしてます」と榊原。「未来をつくってるんですね」と言うと、「僕自身はただ実験がしたいだけなんです」と大笑い。そもそも修士課程に進んだのは、もっと実験がしたいからだった。そしてこの春には博士課程に進む。それもまた、実験をしたいという一心からだ。「親にお願いしたら『いいよ』って言ってくれたので、ならお言葉に甘えて」。研究室に泊まり込んで1日中実験をすることもあるが、榊原はそういった話を本当に楽しそうに語る。
母は「もうやめなさい」、父は「練習が足りない」
4年生のとき、現WBAアジアスーパーバンタム級王者の杉田ダイスケと対戦した。相手はアマチュアで3桁勝利をあげているような実力者。コテンパンにやられ、フックをこつんともらっただけで目の上が腫れてしまった。「ボクシングの強い人ってこんな感じなんだな、と。ただ単に強いだけじゃなくて、打ち方一つひとつが違ってました」。自分のボクシングを改めて考えるきっかけとなった。
その試合には、両親も応援に来てくれた。腫れあがった目を見て「(ボクシングを)もうやめなさい、もうやめなさい」と母が言う一方で、「もっと練習しろ。全然甘い。なんで(フックを)もらうんだ。もらわなかったら、けがはしない。お前の練習が足りないからだ」と父が言う。榊原はそれぞれの言葉をしっかりと受け止めた。
父の心残りに触れて
修士課程に進んでからは金子ボクシングジムにも顔を出しており、いまはプロを目指している。「アマとプロはグローブが違うんですけど、アマはグローブががっちりしてて自由が利きません。でもプロのグローブは薄くて、軍手みたいにどうにでも形が変わる。そっちの方が楽しそうだなって」。ライセンスは17歳からとれるため、これまでもプロを目指すことはできたが、両親の賛同が得られなかった。「学生である以上、親が最大のスポンサーだから」と榊原。ずっとプロへの思いを言い続けてきたことで、ようやく父から許しが出た。「僕、しつこいんですよ、昔っから。だから『こいつは変わらないな』って思ってくれたんじゃないですか」とニヤリ。
ボクシングをやる上で、父と兄から言われたことがある。「やるんだったら一生懸命、心残りのないようにやりなさい」と。とくに父はけがでプロのライセンスをはく奪されてリングを降りた。やりきったという思いはない。だからこそ「最後やめるときは『もうやらなくてもいいや』と思えるぐらいまでやりきって、そう思えるように練習しなさい。少しでも心残りがあってやめると、それは30歳になっても40歳になってもずっと心に残り続ける」と、息子に言い聞かせた。いまもボクシングをしたいという父の思いが痛いほど伝わってきた。
「東大にいってまでボクシングをしなくてもいいんじゃない?」。榊原にそう言う人もいる。その度に「ありがたいアドバイスだな」と受け止めている。「でも、僕がやりたいことがボクシングだったから続けるわけなんです。東大でなくてもボクシングはやってました。学問優先というのは東大ボクシング部みんなの共通認識。だから『実験もやりたい、ボクシングもやりたい』っていう自分にはぴったりなんです」
通算の戦績は10勝8敗。いまは東京都大会優勝が目標だ。榊原の挑戦は続く。