立教を退学して東大へ エースQB伊藤宏一郎が迎えたラストイヤー
東京大学と京都大学の定期戦は、ランニングゲームで優位に立った京大が勝った。この試合、私は東大のエースQBとして3年目を迎えた伊藤宏一郎(4年、立教池袋)に注目した。
プレーの精度の低さを反省
この秋初めて関東1部TOP8で戦う東大は、この定期戦で過去2年連続で京大に負けていた。学生としてのラストイヤーを迎えた伊藤は「今年こそは」との覚悟で臨んだ。まずはRB大路航輝(4年、駒場東邦)のランでリズムをつかもうとした東大だったが、京大の堅守の前に思うようにボールをコントロールできない。京大のDL(ディフェンスライン)に押し寄せられ、伊藤のパスも思うように決まらない。苦しい展開となった。第2クオーター(Q)にはDB梅澤迪(4年、麻布)のパスインターセプトなどディフェンス陣の奮闘はあったが、オフェンスはタッチダウン(TD)を決めきれず、得点はフィールドゴール(FG)2本の6点だけ。苦しい展開は想定していた東大だが、攻撃全体で196ydを稼ぎながら6得点。オフェンスの詰めの部分に課題が見えた。
東大は2月のシーズンインからこれまで、ファンダメンタルとフィジカルを中心にすえて練習してきた。ゴールデンウィークにスキル練習を積めたが、まだまだ完成度という点では低く、パスプロテクションのコンビネーションや、QBとWRとのタイミングなど、ちぐはぐさがあちこちに見られた。伊藤は21回投げて10回のパス成功に終わった。致命的なミスはなかったが、プレーの精度が低かったことに反省しきりだった。
人生の選択肢を広げるため、退学と東大受験を決意
東大のメンバー表を見ると、全国的に進学校として知られる中高一貫校の出身者がずらりと並ぶ。その中で異彩を放つのが伊藤の出身校、立教池袋高だ。伊藤は小学校から立教に通っており、小学5年、6年生のときには立教のフラッグフットボールチーム「ラッシャーズ」でプレーしていた。当時のポジションはWRだった。伊藤はアメフト部のある立教新座中ではなく立教池袋中に進んだため、フットボール歴はいったん途絶えた。中高はテニス部で、大半の同級生と同じように立教大へ進んだ。「自分の実力では通用しないと思った」という理由で、アメフト部には入らなかった。
立教大に入って、これといってやりたいこともなかった。伊藤は割合早い時期に「人生の選択肢が広がりそう」と、東大受験を考え始めた。高校の同級生が現役で東大に受かっていたこともあり、「受けたら受かるだろう」と受験を決めた。1年生の秋ごろに立教を退学し、受験勉強に専念。一発で合格することはできなかったが、2度目の受験で受かった。
エースに口説かれてウォリアーズへ
立教大に入ったときと同じくアメフトをやる気はなく、テニス部に入るつもりでいた。しかし、テニス部があまり自分に合わないと感じたため、テニスサークルにでも入ろうかと考えていたころ、当時アメフト部「ウォリアーズ」の4年生でエースRBだった宮山賢済(現・リクシル)に熱心な勧誘を受けた。3度、4度と食事に誘われて話に耳を傾けるうちに、宮山の熱い人柄と、本気で日本一を目指しているウォリアーズに強い魅力を感じるようになった。最終的に「これだ!!」と、ウォリアーズ入部を決意した。
伊藤は自分なりに「QBは高校で経験してないと難しい」と考え、LBやDBといったディフェンスのポジションを希望していた。しかし、フラッグフットボールの経験があったこともあり、きれいにボールを投げられたため、チームメイトから「QBやってみろよ」と勧められた。初めは自信もなく、「向いてなかったら違うポジションをしよう」と思っていた。するとコンバートされることもなく、一貫してQBでプレーしてきた。
伊藤は2年生から試合に出られるようになった。その年の春、社会人Xリーグのリクシルにいた森清之氏が東大のヘッドコーチ(HC)に就任していた。秋のリーグ2戦目に4年生のQBがけがをしたこともあり、伊藤はエース格として多くの試合に出た。下級生のころから試合経験を積めたという点では、恵まれていた。チーム成績は4勝3敗で関東1部BIG8の4位。TOP8とのチャレンジマッチ(入れ替え戦)に出場することはできなかったが、チームが着実に上向いたシーズンになった。
師匠は日本を代表するQB
伊藤にとって大きかったのは、関西学院大出身でリクシルのエースQB加藤翔平がコーチに加わってくれたことだ。加藤は平日の練習にも参加してくれるため、多くの時間をともにできる。加藤からは技術面だけでなく、QBとしての心構えに始まり、試合中にどう機転を効かせるかといったことまで、あらゆることを学んでいる。日本を代表するQBである加藤の指導を随時受けられるのは、ほかの強豪チームもうらやむ環境だろう。伊藤のプレーぶりを見ていると、随所に関学のQBっぽい動きがのぞく。
3年生の春の初戦でけがをして、伊藤は試合に出られないもどかしさも経験した。けがからの復帰戦となった春の交流戦で、TOP8の中央大に勝利。自信をつけた伊藤は、ここからQBとして飛躍する。格上の中大に勝って「もっとうまくなりたい」との強烈な思いを持ち、本気で「日本一を目指したい」と思うようになったのが大きかった。
やりきる心でTOP8に挑む
常に冷静な心、決して無理をしないプレースタイルを武器に、昨秋のBIG8でのパスレーティングはトップ。12のTDを重ねた一方で、被インターセプトは1。抜群の安定感を見せつけた。森HCも「本当に信頼できる」と評する男は、この秋初めて東大が挑戦するTOP8でも、十分に通用する能力を持っている。
副将でもある伊藤は言う。「浮足立たずに1試合1試合、自分たちができることをやりきるだけ」。立教大を経てやってきた東大で、再びフットボールに巡り合った。おもしろい人生を歩んできた東大の14番が、学生ラストイヤーにかける。