東農大・松本圭佑、父譲りの技巧派ボクサーは東京オリンピックをあきらめない
東京オリンピックの開会式まで1年を切りました。4years.では「いざ、東京オリンピック・パラリンピック」と題した特集を用意し、かつてオリンピックで活躍した方や、東京オリンピックとパラリンピック出場を目指す選手の話題などをお届けしていきます。今回はボクシングで東京オリンピックを狙う松本圭佑(東京農業大2年、みなと総合)についてです。
神奈川県予選から目指す東京オリンピック
7月13日夜、関東大学ボクシングリーグ最終戦(第5週)の終了後、あわただしく表彰式が始まった。表彰される可能性のある選手たちが、熱気の残る後楽園ホールのリング上に集められ、背筋を伸ばして立っている。東農大の松本も、真剣な表情で会場のアナウンスに耳を傾けていた。
バンタム級の階級賞として読み上げられた名前は、東農大の韓亮昊(4年、大阪朝鮮)だった。リーグ5戦全勝の先輩が、東京オリンピック予選の出場権をかけて戦う全日本選手権(11月21日開幕)の日本連盟推薦枠を獲得した。松本は、自分が選ばれるのは厳しいと重々承知していた。リーグ戦は4勝1敗。5月11日、第1週の試合にはライト級で出場し、駒澤大の完山隼輔(2年、西宮香風)に判定負け(2-3)を喫した。適性ウェイトの1階級上で戦ったとはいえ、痛恨の黒星となった。表彰式の後は現実をしっかり受け止め、すぐに前を向いた。
「(東京オリンピック出場の)可能性はまだあるので、神奈川県予選から戦っていきます。その分、(試合の)キャリアをたくさん積めますから」
道のりは長い。神奈川県予選(8月31日、9月1日)をクリアし、さらに関東ブロック予選(9月13~16日)を勝ち抜かないと、全日本選手権(11月21~24日)は見えてこない。それでも、松本に悲壮感は微塵もない。夢の舞台への思いは変わらない。
「東京開催が決まった時からずっと目標にしてきましたから。年齢的にもちょうどいいので。これは人生に2度とないチャンスです。可能性があるかぎり、僕はあきらめません」
小3の息子がボクシングにだけは興味を示した
松本がボクシングを始めたのは、小学校3年生の夏休み。名門の大橋ジムでトレーナーを務める父の好ニさん(本名・弘司)に手を引かれ、ジムに足を踏み入れたのが始まりだった。当初、父は期間限定の“体験入部”くらいに考えていた。「ジムで体を動かして、少したくましくなれば」と。
8月の終わり、小さな息子から思いもかけない言葉を聞いた。「もうちょっと行きたいんだけど」。サッカーや野球にはまったく興味を示さなかった少年が、ボクシングだけにはひかれたのだ。本人の動機は単純だった。
「楽しかったんです。プロの強いボクサーを間近で見て、かっこいいと思いましたし、あこがれを抱きました」
ジムの大橋秀行会長にもかわいがられ、試合に招待されて観戦するうちにどっぷりとはまった。大勢の観客に応援され、リングに上がるボクサーがまぶしく見えた。同ジムではWBA・IBF世界バンタム級王者の井上尚弥をはじめ、数多くの世界チャンプを間近に見てきた。
父が構えるミットに打ち込むパンチにも力が入ってきた。父は元世界3階級制覇王者の八重樫東、元WBC世界スーパーフライ級王者の川嶋勝重らを育てた。そんな名トレーナーの指導を受け、松本はめきめきと力をつけた。全国U-15(15歳以下)ジュニアボクシング大会では5連覇を達成。高校生になると「天才」と呼ばれた堤駿斗(東洋大2年、習志野)の壁に阻まれ、インターハイでは3年連続準優勝だったが、松本の才能も推して知るべし。試合に勝つと、応援してくれている人たちが心から喜んでくれる。拳一つで周囲を笑顔にする喜びを知った。
「ボクシングをやってて、楽しいと思う瞬間です」
オリンピックへの挑戦、息子には後悔してほしくない
高校卒業後は、7人のオリンピアンを送り出している東農大ボクシング部へ。現在は父の指導からは離れているが、いまでもアドバイスを求める。関東大学リーグの試合では、リングから見える客席に、いつも父の顔がある。身を乗り出すように見入る姿は、トレーナーとしてのそれではない。
「大橋ジムの許可をもらって、可能なかぎり試合は見てます。今シーズン唯一会場に来られなかったのは、井上尚弥の世界戦でグラスゴー遠征に帯同してたときだけです」
リーグ最終戦は5-0と大差の判定勝ちだった。軽やかにステップを踏んで相手を懐に入れず、キレのあるリードジャブを差し込んだ。出入りの速さには目を見張るものがあった。それでも、本人は満足していない。終盤に動きが鈍ったことを反省していた。大学入学後から力を入れているフィジカルトレーニングの成果も、試合ではあまり出ていないという。誰よりも松本のボクシングを観察している父も、厳しく指摘した。
「悩んでるところがある。まだ、うまく力を使えてない」
スピードとテクニックは技巧派ボクサーだった父譲り。キャリアも重なるところがある。元OPBF東洋太平洋フェザー級王者だった父も、かつてオリンピックを目指したことがあった。
「あと3回勝てば、(1988年の)ソウルオリンピックに出場できました。いま振り返れば、なぜもっと本気になって目指さなかったのかと思います。息子には同じ思いをさせたくない」
だからこそ、自らの経験を当時高校生だった息子に懇々と話したことがある。
「オリンピック出場の可能性がゼロでない限り、本気でチャレンジしろ」
20歳になった息子に、いまさら多くを語る必要はないようだ。ボクシングでたくましくなったのは体だけではない。苦境に立たされてもまっすぐ前を向き、夢に突き進んでいる。