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早大女子バスケ・中田珠未、学生唯一のA代表候補が本気で狙う東京オリンピック

中田は2019年度の初めに選ばれた26人のA代表候補のうち、唯一の大学生だ(撮影・田村浩一)

女子のバスケットボールで、学生で唯一東京オリンピックを見据えたA代表候補選手に選ばれている早稲田大学の中田珠未(なかだ・たまみ、4年、明星学園)です。

試合経験を積むため実業団でなく早稲田へ

「東京オリンピックで金メダルをとる」という目標を掲げているバスケ女子日本代表チームは、2019年度から新たな選手選考のやり方を導入した。年度初めに選ばれた26人の候補選手たちをプールし、大会ごとにその中からベストな編成を組むというスタイルだ。中田はこの26人に学生として唯一選出された。A代表候補入りを果たしたのは今回が初めてだ。

中田は183cmの長身と運動能力をトム・ホーバスヘッドコーチから高く評価され、6月初旬の国際強化大会では15人のエントリーメンバーにも食い込んでいる。いまもっとも東京オリンピックに近い大学バスケ選手は「東京オリンピックを1年後に控えたこのタイミングで候補に入れたことは、すごく大きなチャンスです。この1年をどう過ごし、どう変われるかですべてが決まります」と、覚悟を決めている。

U16日本代表に選ばれてから、中田は世代別代表の常連だった。もちろん高校時代には実業団チームからのオファーがあった。それを断って早稲田に進んだのは、自身のキャリアの浅さが理由だった。バスケを始めたのは中学1年生からだが、しっかりした指導を受けるようになったのは中3から。「高卒でWリーグ(女子バスケのトップリーグ)に入って2、3年試合に出られないよりも、大学で経験を積んだ方がプラスになるんじゃないか」と、大学のトップチームであり、両親が卒業し、兄も在籍していた早稲田に進学した。

目論見(もくろみ)どおり、中田は1年生のころからプレータイムを獲得しつつ、卒業後のWリーグ入りを目指し、同じポジションの先輩たちから技術を盗んだ。「ひとつ上の田中真美子さん(現・富士通レッドウェーブ)はミドルシュートの決定率が高くて、体の使い方もすごく上手で。運動能力に強みがある私とはまったく違うよさがあったので、毎日やり合うのがすごく楽しかったです」

2年生のときにはユニバーシアードで世界の強豪と戦った。準優勝という好成績を収めたことは「もっと貪欲(どんよく)になって上を目指してもいいのかもしれない」と思える大きなきっかけになったという。3年生のときにはいわゆる「B代表」としてアジア大会で戦うなど、着実にステップアップしてきた。

183cmの長身と運動能力の高さが中田の武器だ(撮影・田村浩一)

A代表候補の中では最年少、だからこそ貪欲に

A代表候補の大学生は中田だけであり、同い年のWリーガーもいない。4月上旬に代表の活動が始まった当初は心細さもあったが、いちどコートに入れば、そんなことを考える余裕はなかった。「プレーはもちろん、行動の一つひとつが評価の対象にされているかもしれないと思いながらやる練習は、精神的にかなり疲れました。求められるバスケも簡単なものではないし、細かい(チームでの)ルールを一つひとつ徹底することも大変でした」。それでも大学では味わえない緊張感や、バスケだけに打ち込める環境で得られる充実感の方が、大変さよりも勝っていた。

日の丸を背負うトップ選手たちの意識の高さを間近で感じられたことも大きかった。「高校、大学の先輩にあたる本橋菜子さん(現・東京羽田ヴィッキーズ)は、毎日一番乗りでシューティングをされてました。練習後は疲労をためないように早く引きあげる人もいれば、その日の課題に遅くまで向き合う人もいる。それぞれが自分の体調を考えて、毎日違うことに取り組んでいたのは、すごく勉強になりました」

中田自身は今シーズン、スリーポイントシュートの精度を上げる練習に取り組みながら、トレーニングと体重増に打ち込んだ。体重は4月から1カ月ほどで5kg増えた。「海外の選手は縦にも横にも大きいから、体重は必要だなと思いました。合宿から大学に戻ってからはプロテインも飲むようになったし、ごはんの量やウェイトトレーニングの時間も増やしました」。そう話す中田の傍らには、コンビニの袋に入った500mlの牛乳パックがあった。「プロテインを溶かせて飲むんです。大学でみんなから『すごくガタイがよくなったね』って言われます」と言って笑った。

現在、プロテインも飲みながら体づくりに取り組んでいる(撮影・青木美帆)

ベルギー代表と対戦した5、6月の国際強化試合は、大会直前の練習でけがをした影響でほとんど出られなかった。記念すべきA代表としてのデビュー戦はわずか1分44秒間の出場にとどまり、無得点という悔しい結果に終わったが、中田は休む間もなくユニバーシアード代表に合流し、主力として戦い抜いた。

東京五輪決定のころ、夢は「幼稚園の先生」だった

Wリーガーと比べ、絶対的にバスケに触れる時間が少ない大学生という不利な立場にありながら、中田はベストを尽くした先にオリンピック代表の座を狙っている。

「いまこの時点で『オリンピック候補』という立場にいられるのは、本当に一握りの選手だけ。その中に自分がいるということを、自身自身がしっかり評価しなきゃいけないと思ってます。もちろんつらい思いをすることもあるし、練習もキツいです。それでも、この立場にいるからこそやらなきゃいけないことって、たくさんあるんですよね。そういうことを自分の力に変えて、チャンスをつかみたいです」

中田はいま、オリンピックの代表候補という重みをかみしめている(撮影・青木美帆)

オリンピックの日本開催が決まった2013年当時、中田の将来の夢は幼稚園の先生になることだった。U16日本代表に選出されて以降、ことあるごとに「あなたたちはオリンピックエージだ」と言われてきたが、実のところあまり現実味はなかったという。「正直に言うと、まだフワフワしてるんです」と率直に打ち明けた中田の東京オリンピックへの道は、いままさに開けたばかりだ。

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