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特集:第30回ユニバーシアード

【私のユニバ】バスケJX-ENEOS藤岡麻菜美、アメリカとの大熱戦で芽生えた自信

藤岡は筑波大時代、さらにJX-ENEOSサンフラワーズに加入してからと、ユニバーシアードを2大会経験している

2年に1度開催され、「学生のオリンピック」とも呼ばれているのがユニバーシアードです。台湾・台北が舞台だった前回、日本は37個の金メダルを獲得し、夏季大会では初めてメダル獲得ランキング1位となりました。今年は7月3日から14日まで、イタリア・ナポリで開催されます。開幕に先立ち、4years.ではこの大会に出場経験があり、大学を出た現在も活躍中のアスリートに当時を振り返ってもらう「私のユニバ」をお届けします。二人目は2015年と17年大会の女子バスケットボールに出場した、JX-ENEOSサンフラワーズの藤岡麻菜美さん(25)です。

高校時代、Wリーグは夢のまた夢

バスケ女子日本代表でポイントガードを務める藤岡さんは、U16、17、18、19とすべての世代別代表で主力を担ってきた。女子バスケ界の通例だと、こういった好選手は高卒でトップリーグ(Wリーグ)へと進むが、藤岡さんは筑波大学に進学した。「自分がWリーグにいけるなんて考えもしなかったんです」と藤岡さん。直参した強豪チームの説得にも「無理です」と繰り返した。大学4年間で力をつけてWリーグに進むという未来像も、一切描いていなかったという。

そんな藤岡さんが“高い場所”を目指すようになったきっかけは二つある。一つは大学1年生で挑んだ皇后杯、もう一つは大学4年生の時のユニバーシアードだ。Wリーグの強豪を相手に大健闘した皇后杯で、「Wリーグでプレーしてみたい」という気持ちが芽生えた。ユニバーシアードを通じて生まれたのは、さらに上にある「日の丸」へのあこがれだった。

制裁が解け、使命感に燃えていた

15年に韓国・光州であったユニバーシアードは、バスケに関わる者にとって非常に大きな意味を持つ大会だった。というのも、14年から日本は男子トップリーグの混乱を受け、国際バスケットボール連盟(FIBA)から“鎖国”の制裁を受けていた。これの一部が解除されて迎える一発目の大会が、ユニバーシアードだったのだ。「こんなときだからこそ、絶対にメダルをとってこよう。やってやろう」。スタッフも選手たちも、使命感に燃えていた。

JOC結団式での集合写真(前列左から3人目が藤岡、写真は日本バスケットボール協会提供)

日本チームの平均身長は174.0cm、チーム最長身が184cm。190cmオーバーを複数抱える強豪国と比べ非常に小さなチームだったが、日本は持ち味の3ポイントと機動力を生かした小気味のいい戦いを見せた。藤岡さんも大卒1~2年目のWリーガーを主体としたチームでスタメンの司令塔を担い、持ち味のドライブからオフェンスのリズムをつくった。20年ぶりとなるベスト8入りを果たしたチームは、続く決勝トーナメント1回戦でも強豪のオーストラリアを撃破し、準決勝へと駒を進めた。

世界最強のアメリカを苦しめた

準決勝で日本を待ち受けていたのは、世界最強のアメリカだった。男女ともにさまざまなカテゴリーの日本チームが挑み、その度に大敗を喫してきた相手だ。藤岡さんは対戦が分かったときのことを「アメリカか~、みたいな感じでしたね」と笑いながら振り返り「でも、逆にそれがよかったのかもしれません。予選突破で日本のレベルを実感できたし、ここまできたら当たって砕けろ。開き直って楽しくやってやろうと、みんなが笑顔でした」と続けた。

そんな気負いのないメンタルが奏功したのかもしれない。第1クオーター(Q)のスコアは30-16。大会4連覇をかけ、これまでの大会を上回る精鋭を集めた“本気のアメリカ”を相手に、日本はまさかの大量のリードを奪った。マークマンが次々に入れ替わるディフェンスでアメリカを迷わせ、相手のミスを確実に得点につなげた。

世界最強のアメリカに対し、日本は臆することなく攻めた(右が藤岡、写真は日本バスケットボール協会提供)

「え、アメリカだよね? 点数、離れてるよね?? 」。この展開に一番驚いていたのが選手たち自身だったのではと藤岡さんは推測する。第2Q以降はギアを入れ替えたアメリカの猛攻を受け、後半開始早々に逆転されるが、その後も日本は食い下がった。「本気のアメリカと戦えるのは貴重な機会なので、深く考えずに、とにかく楽しんでプレーしてました」と藤岡さん。試合終了まで残り10.5秒、2点ビハインドという状況で藤岡さんが渾身の同点シュートを決め、延長戦へ。それでも決着はつかず、試合は再延長戦にまでもつれた。

最終的に日本は98-102で敗れ、この試合から24時間経たぬ間に始まったロシアとの3位決定戦にも敗れた。しかし各カテゴリーの代表チームが大敗してきたアメリカに、ここまで接戦を演じられたという事実は、日本のバスケ史に輝く快挙と言っていい。藤岡さんも「このメンバーでよく戦った」という充実感を第一に感じ、選手たちの表情は総じて清々しいものだったという。

アメリカに破れはしたものの、この試合は日本に、藤岡に、確かな自信をもたらした(中央14番が藤岡、写真は日本バスケットボール協会提供)

この大会を通じて藤岡さんに生まれた「小さいチームでも世界と対等に戦える」という自信。そして「A代表に入って、日の丸を背負って試合がしたい」という目標。その両方を藤岡さんは自分の中で熟成しつつ、仲間たちに伝えることも忘れなかった。「Wリーガーや海外の選手はこれくらいすごかったよ、というように、経験をどんどん伝えて、自分もプレーで見せていくことを強く意識してました」と振り返る。

その試みは、しっかりと結実した。その年の12月、筑波大は6年ぶりにインカレを制覇。藤岡さんは16年に筑波大を卒業すると、JX-ENEOSサンフラワーズへ加入。17年には念願のA代表入りを果たし、主将として挑んだ17年の台湾・台北ユニバーシアードでは、50年ぶりの銀メダル獲得を果たした。

大学生は何でも自分次第

Wリーグでは近年、大卒の選手が増え始めている。「即戦力の需要が増えた」という見方もあるが、彼女たちがバスケに触れる時間は、本業としてバスケに打ち込む高卒選手に比べて絶対的に少ない。4年間を有効に過ごし、彼女たち以上の強みを見せるため、そしてさらに高い場所にある「日本代表入り」を目指すためには何が大切なのか。藤岡さんは自身の経験を踏まえ、後輩たちにヒントをくれた。

「いろんなことを考え、選択する力は大卒ならではの強みになる」と藤岡

「大学生は何でも自分次第。自主練するのもバイトするのも遊ぶのも、すべて自分で好きなように決められます。周りに流されずにモチベーションを保つのはとても大変なことですけど、そこでいろんなことを考え、選択する力は大卒ならではの強みになる。Wリーグに入団して、そう強く実感してます。Wリーガーと比べたら大学生はどうしても練習量が少なくなりますけど、その中でも自分で考えて行動する時間を大切にしてほしいです。たとえ30分であっても、『自分でやる』と考えて行動した30分は、やらされた30分とはまったく質が違うものになると思います」

そんな大学時代を過ごした藤岡さんはいま、日本代表の主力プレーヤーとして、2020年東京オリンピックでのメダル獲得を目指している。

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