レスリング・藤田雄大 青学を旅立ち、狙うは東京五輪
開花を始めた桜がキャンパスを彩った3月、少しあどけなさも残るその青年は青山学院大学の学位記を手に笑顔を見せた。青学史上初の現役全日本チャンピオン、藤田雄大(いなべ総合学園)の門出だ。
初の全日本制覇にもガッツポーズなし
昨年末に東京・駒沢体育館で開催された天皇杯全日本レスリング選手権は、東京オリンピックにつなががる大会ということもあり、会場には多くの観客やメディアが詰めかけた。藤田の出場した男子フリースタイル61kg級は、オリンピックにはない階級とはいえ、決して楽な優勝ではなかった。
1回戦、準々決勝は接戦で判定勝ち。激闘となった準決勝では1点ビハインドの試合終了間際に逆転で勝った。この試合について青学の長谷川恒平監督は「気持ちが優しい選手なので、いままではどうしても勝ちに対する気持ちが弱かった。残り数秒で逆転できたのは大きな成長です」とほおを緩めた。
決勝の相手は前年大会の準決勝で敗れた有元伸悟(近大職員)。互角の戦いになることが予想されたが、藤田が磐石な試合運びで完勝。試合後、対戦相手の有元も「藤田くんのレスリングが安定してて強かった」と、戦友へ惜しみない称賛を送った。
青学のレスリング史に名を残す優勝を決めた瞬間、藤田の顔に浮かんだのは喜びではなく安堵の表情だった。もともと感情を表に出すタイプではないが、自身初となる全日本制覇にガッツポーズの一つもなかったのだ。それはなぜか。
「61kg級は非オリンピック階級なので、(オリンピック階級の)57kg級に比べたらレベルもそんなに高いわけではないです。優勝はうれしいですけど、ホっとしてる気持ちの方が大きいです。57kg級で東京オリンピックを目指します」
勝利の歓喜に酔いしれることなく、藤田はすでに次の戦いを見すえていた。
気弱だった少年に訪れた転機
57kg級でオリンピックを目指すとなると、2017年に男子フリースタイルの日本人選手で36年ぶりに世界王者となった高橋侑希(ALSOK)を超えなければならない。 同じ三重県出身で、藤田のあこがれの選手だ。
藤田が競技を始めたのは小学校4年生のとき。気が弱かった藤田を見かねた父が、知り合いがやっていたレスリングを勧めた。「嫌々やってて、ずっとやめると言ってました」と藤田は当時を振り返る。
中学に入ってそんな気持ちに変化が現れた。中3の4月にJOC杯カデットの部で優勝をつかむと、12月の全国中学選抜選手権でもタイトルを獲得。全国の頂点に立ち、初めて「レスリングをやってきてよかった」とうれしさが込み上げた。 「どうせやるならオリンピックを目指したい」。そう思い始めたのもこのころだ。
地元の強豪校であるいなべ総合学園高校へ進学。国体や高校選抜で優勝し、全日本の舞台にも立った。青学では1年生のときに新人戦で、2年生のときはインカレで優勝。 しかし、その後は順風満帆とはいかなかった。
大学3年のときにけがをして、しばらく競技から離れた時期があった。この年に出場した国内大会は二つのみで、大学入学後初めて無冠で1年を終えた。4年生の春の時点では卒業後も競技を続けるかどうかで迷っていた。一般学生と同様に、就職活動もしていた。 しかし、なかなかやりたいことには出会えなかった。
進路選択に頭を悩ませる中、青学のコーチをはじめ、周りからは競技を続けることを勧められた。 自身の将来について自問自答を重ねるうちに、レスリングを「限界までやってみようかな」という思いが膨らんだ。秋ごろには気持ちを固め、「どうせ続けるなら恵まれた環境で」と、自ら自衛隊体育学校を志願し、4月に晴れて入校。 自衛隊での寮生活は「正直不安」と緊張もあるようだが、レスリングだけに集中できる環境への期待も大きいだろう。
藤田のことをほかの選手や指導者に聞くと、異口同音に「優しい」と言うが、当の本人は「いい加減なだけですよ」と笑う。 4年前に「勉強とレスリングを両立したい」と青学の門を叩いた。決してレスリングの強豪大学ではなかったが、学生が主体となって練習に取り組む環境に、「伸び伸びとできた」と振り返る。青学の自主性を重んじるスタイルは、藤田の性に合っていたのだろう。 「入学前はここまで成績を残せるとは思ってなかった」と、自分でも驚くほど充実した4年間だった。
減量し、57kg級で五輪目指す
本格的なオリンピックへの戦いは、5月末に開催される明治杯の予選会から始まる。 本来、昨年末の天皇杯ベスト8以上の選手は予選なしで明治杯に出場できるが、藤田の場合は階級変更をするため、予選会への参加が必須となる。
61kg級を主戦場とする藤田にとって、57kg級への減量は「だいぶしんどい」と、本人も苦笑い。さらにこの予選の1カ月前に中国で開かれるアジア選手権には61kg級での出場が決まっているため、帰国後の短期間で体重を調整しなければならない。限られた時間でいかに体をつくれるかが、大きなポイントとなる。
「まずは予選会で勝って、明治杯は57kg級で優勝して、プレーオフも勝ち取って、オリンピックの枠を取って、自分で出たい。高橋さんを目標にして、追い越したいです」。力強く話したその目には、優しさと同時に闘志の炎が灯っていた。
4年間慣れ親しんだ青学大のマットを離れ、新天地で新たな一歩を踏み出した藤田。偉大な先輩の背中を追う道は、長く険しい。それでも藤田は自身のレスリング人生をかけ、限界まで挑み続ける。オリンピックの熱気をまとった来夏の千葉・幕張メッセに、JAPANのシングレットに身を包んだ藤田の姿があることを願ってやまない。