フェンシング

特集:いざ、東京オリンピック・パラリンピック

日本フェンシング界初のメダリスト太田雄貴「大学時代があったから、いまがある」

新国立競技場の向かいに完成したばかりのオリンピック・スクエアにて

ついに2020年東京オリンピックまで1年となりました! 4years.ではこれから随時、かつてオリンピックで活躍した方や、東京オリンピック出場を目指す選手の話題をお届けしていきます。第1弾は日本フェンシング協会の太田雄貴会長(33)です。08年北京大会の男子フルーレ個人に出場し、日本フェンシング界初のオリンピックのメダルとなる銀メダルを獲得。12年ロンドン大会でもフルーレ団体で銀メダルをとっています。

同志社に入って自由さに驚いた

――高校2年生のときに全日本選手権で優勝し、18歳にしてすでに「国内には自分より強い人がほとんどいない」という状態で、同志社大学へ進まれました。

太田:僕の実家は滋賀にあって、自分の中であまり関西から出ていくという選択肢はありませんでした。東京に出ていっても、当時はレベルの高い選手が集まって練習するような環境がほとんどなかったんです。だから大学進学をするにしても、なじみのあるところがいいなと思ってました。平安高校(現・龍谷大平安)時代の恩師の出身校ということもあり、同志社への進学を決めました。とにかく自分の中心はフェンシングだったので、「フェンシングにとってどれだけ有意義か、そうじゃないか」ということが基準になってましたね。

――大学に入学して、それまでと変わったことはありましたか。

太田:まずその自由さに驚きましたね。自由というか、個人に委ねられているところが大きいなと。人間って2種類あると思うんです。制約の中でどうやって動いていこう? と試行錯誤する人と、まったくの白紙のところから自分でクリエイティブに動いていく人。日本人は後者が苦手だと思ってて、僕もその前者のタイプでした。自由になったことで、何をしていいのかわからない、という。あとは大学に入ったことで「ここが最後、ゴール」と思っている選手も、少なからずいたと感じました。そういう環境になかなかなじめなくて、授業は大学に通って、練習はいままで通り高校でやってたりしました。

「潜っていた」3年間、負けて目が覚めた

――その環境の中で2006年アジア大会にも優勝されていますが、どんな思いで過ごされていたのですか。

太田:大学に入ってから3回生の秋ぐらいまでは、正直言うと「潜ってる」期間でした。小学3年生で始めたフェンシングでしたが、それまで1日も練習を休まず続けてきました。続けてきたのって、「勝てるから」「褒めてもらえるから」みたいな動機が大きかったんです。そのうち、練習が手段なのか、目的なのかが自分の中で分からなくなってしまったんです。そんな状態で臨んだ3回生のときのインカレで、1回生に負けました。それまでほとんど負けたことがなかったのに、です。もやもやしていたものが、結果にも現れてしまったんです。

大学に入って「潜っていた」期間も、無駄ではなかったという

――ではその負けがターニングポイントになったんでしょうか。

太田:そうですね。負けた直後に、いまも日本代表のコーチを務めていただいているオレグ(・マチェイチュク)コーチに助けを求めました。そこからは、とにかくプライドを捨てて「勝つ」ことにフォーカスしました。僕はそのころ、卒業に必要な単位はほぼ取り終わってましたので、3回生の2月に東京に拠点を移して、本格的に練習することにしたんです。そこから北京オリンピックまでは練習の量も増え、質も変わり、フェンシングが本当の意味で「楽しい」と思えるようになっていきました。そして4回生の2006年にアジア大会で優勝でき、最終的にオリンピックの銀メダルにつながっていったと思ってます。

先ほど「潜ってた」と言いましたけど、いまとなってはその間のこともひっくるめてすべてが必要な時間だったなと思います。同志社の商学部に入って、ほかの学生とまったく同じように授業に出て、勉強して。結果的に僕は就職活動をしないで4年間最後まで過ごしたんですけど、「何のために働くのか?」ということを考えたりもしました。当時の授業で「数字の羅列だな」としか思っていなかったことが、いまになってマーケティングなんかにもつながってると思うこともあります。本当にムダなことはなかったと思ってます。ゼミにも入って、先生に親身に教えていただいたりしたことは、とくに印象に残ってます。

メダル獲得の自信をもって五輪出場

――大学卒業後に北京オリンピックに出場されましたが、メダル獲得の自信はあったのでしょうか。

北京五輪、フェンシング・男子フルーレ個人決勝でクライブリンク(独)と対峙(撮影・樫山晃生)

太田:ありました。メダルをとりにいって、とれた、という感じです。オリンピックの1カ月ぐらい前から心身ともに充実してて、「これは絶対にとれるだろう」という感覚があったんです。でも「メダルをとる」ことを目標にしてたので、正直なところ決勝に進んだところで少し気持ちが満足してしまい、勝ちきれなかったのかなと思います。金メダルをとれなかったのは自分の弱さですね。

――銀メダル獲得後のインタビューで「就職活動中です」と発言されたのも、世間の大きな注目を集めました。

太田:正直なところ、大学卒業のタイミングで声をかけてくださった企業はいくつかあったんです。でもオリンピックまでは自分を追い込もうと思って、退路を断つためにどこかに就職したり所属したりすることなくフェンシングだけに絞ってました。あの場で発言したのには、どんな反応があるのか試してみたいという気持ちもありました。その結果、帰国後に60を超える企業からオファーをいただいて、それはかなり驚きましたね。

メダルの先は、誰も歩いたことのない道

――その後も森永製菓に所属しながらフランスのチームに武者修行に行かれたりなど、新しい取り組みをどんどんされてきました。

太田:正直なところ、メダルをとるまでは、先輩方が歩いてきた道を通らせてもらっている、という感覚でした。でも僕が日本フェンシング界で初めてのメダリストになった。そうしたら、その先の世界ってまだまったくの未開拓で、道も何もない原っぱのようなものでした。自分でどこに向かうのかを、決めていかなきゃならないんです。

「日本人初のメダリスト」のその先は、誰も見たことがない景色だ(撮影・津布楽洋一)

メダルをとったあと、いろんな注目が集まって「自然体でいられなくなってるな」と感じました。何をするにも消極的になってしまい「ビッグチャレンジがやりにくくなってるな」と。そんなタイミングでフランスに行ってみて、欧米の選手たちが自由に競技と向き合ったり、心から楽しんでいるのを見て、また前向きになれました。

――2012年のロンドン大会では、団体で銀メダルをとられました。16年のリオデジャネイロ大会を最後に引退されますが、それまでにも国際フェンシング協会の理事を務められていますね。

太田:13年に理事になったんですが、このときはいったん競技をやめてたんです。理事の立場でフェンシングに関わってみて、視座が高くなって、見える景色が変わりました。選手の言うことも、運営側もどちらも正しいんだなと。この経験はいまにも生きています。

競技を知ってもらい、好きになってもらうために

――そして31歳の若さで日本フェンシング協会の会長に就任されました。

太田:若い、ですね、そうですね。でも若いからこそ注目されることもあるので、それも最大限活用していこうと思ってやってます。いま協会として考えているのは「日本、アジアに対して、どうやったらもっとフェンシングを広げていけるか」ということ。いままで協会って「金メダルをいかにとるか」ということしか考えてこなかったところがあるんです。

日本のフェンシング界だけではない。世界の中でどうあるべきか、ということを考えている

フェンシングって、実は一番競技人口が多い世代は高校生なんです。でも、メダルをとるようなトップ選手は小中学校からやってます。高校から始めた子は大会ではほぼ負けてしまって、やる気を失ってしまう。そんな現状を打開するのに、例えば高校生から始めた人しか出られない大会を創設する、なんていったことも考えてます。強化だけでなく、もっと競技に取り組んでいる人のニーズに応えて、裾野を広げていきたい。ここもマーケティングっぽい感覚かもしれませんね。

裾野を広げるという意味では、フェンシングに触れてこなかった大人が簡単に体験できるような仕組みも始めています。「フェンシングやってみたいな」と思った人が、ネットから簡単に予約して体験できる仕組みを、レジャー予約サイトの「アソビュー」と提携して始めました。こうやってフェンシングのファンを増やしていきたいと考えてます。

――東京オリンピックまであと1年ですが、期待する選手を教えてください。

太田:やはり、男子エペの世界ランキング1位の見延和靖選手(32)ですね。いま一番強いと思います。それから、若い選手だと男子フルーレの松山恭助選手(早大4年)にも期待してます。東京オリンピックでは、メダルをとれたらもちろんいいですが、まずすべてのカテゴリで出場できれば、一気にフェンシングだけで24名のオリンピアンが誕生します。これだけの選手が出場できれば、フェンシング界の発信力が上がっていくだろうなとも思ってます。

いつまでも太田雄貴が一番有名、というのはよくないです。
ニューヒーロー、ニューヒロインが出てくるといいなと思ってます。

【特集】いざ、東京オリンピック・パラリンピック

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