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連載:サッカー応援団長・岩政大樹コラム

スポーツで言語化が必要になる理由 高卒ルーキーだった内田篤人との経験から得たもの

岩政さん(右)は2006年、高卒ルーキーで鹿島に入団したばかりの内田篤人との意思疎通が、言語化につながるいい経験になったと振り返る(写真は2009年5月撮影、撮影・朝日新聞社)

先日、母校である東京学芸大学で1日指導をする時間がありました。学芸大の結果は常に追ってはいるものの顔を出すのは本当に久しぶり。もちろん全ての選手が初顔合わせでした。

指導できるのは1日だけだったので、内容に関してはコーチや選手たちに現状をうかがった中で、守備をメインテーマに行いました。しかし練習を始めて少しすると、私は昔自分がいたころのイメージを今の選手たちに無意識に重ねていることを感じて、これではいけないと、選手たちに“今の彼らのやり方”を聞きながら進める方向に変えました。「自分たちの守り方を教えて! 言葉にして!」と。しかし、なかなかうまく言葉のキャッチボールができませんでした。そこでふとまた考えたのです。“言語化”って必要なのでしょうか。今回はここに少し迫ってみたいと思います。

島で育ち、勝つためのサッカーを悟る 元日本代表・岩政大樹さん1

重要となる瞬間は言語化できないものばかり

言語化という言葉は近年ブームのようによく聞かれるようになりました。私も指導者や解説者を始めるにあたって、言語化とは避けては通れないことでした。ただ、最初は言語化という言葉に少し違和感がありました。私は本を書いたり、解説をしたり、指導をしたりして、言語化をしていく仕事をしていながら、言語化を強調するのはどこか違う気がしていたのです。

プレーする選手たちにとっては、言語化は必ずしも大切ではありません。選手たちの目的はいつも勝つことで、そのための手段として、サッカーは選手たちの意思疎通が欠かせません。ただ、それは言葉を介するものである必要はないのです。フィーリング、仕草、表情、経験、そして、なんとなく。そんなことで実際に分かり合える選手たちというのはいます。

そして、サッカーをしていると結果を分ける瞬間の絵は大体、言語化できないものです。もしくは、勝負のプレーを選んだ時の意図は、言葉では考えていないものなのです。サッカーをプレーしたことがある方は分かると思います。ゴールというのは不思議なほど、頭で考えている時は決まらず、無心で反応できた時に決まります。そんな体験をしていると、言語化というものに疑問を持つことは自然だと思います。

結局、「言語化すること」は目的ではないということだと思います。「伝えること」が目的で、言語化はその手段でしかありません。意思疎通ができて、プレーがシンクロできているなら、選手は何も言語化に頼る必要はありません。

言語化はあくまでも勝つためのひとつの方法

ただ、今回のようなケースではどうでしょう。私は久しぶりに顔を出した母校で、知らない選手たちに指導をする。そこでお互いの意思を合わせていくには言語化が欠かせません。時間が限られますからね。

つまり、言語化することが大切ではなかったとしても、言語化できることは必要なのだと思います。必要な時に必要な人に対して、自分(たち)のプレーの意図や狙いを言葉にできることで、素早く意思疎通を図ることができます。それは、「分からない人に分かってもらう」ということになり、連携を深める時間を大幅に短縮してくれます。そのために、時に言語化というのは必要になります。

言語化は「伝える」ためのひとつの手段であって、言語化自体が目的になってはいけないと岩政さんは考えている(撮影・小澤達也)

ただ、言語化というと、どうもかしこまって聞こえてしまうのですが、プレーしている現役の選手たちはとくに、難しく考えることはありません。大事なことは「勝つこと」に対して、選手同士の意思疎通をできるだけ間違わないレベルに持っていくことで、そのために「どんな言葉を選んだらいいか」を日々考え続けることだと思います。つまり、競技に向き合い、プレーに向き合い、勝つことに向き合い、味方と向き合った結果が、ただ言語化となっている感覚で充分です。

ルーキーの内田篤人に伝えた2つの意識の置き方

そう言えるのは、私の経験からです。私は言語化というものに向き合った意識は一切ありませんでした。あったのは、目の前の味方に「どんな言葉を選び、それをいつ、どういう順番で伝え、そして、何を“伝えない”のか」をプロ生活の中でずっと考え続けてきた結果が、言語化になっているだけでした。

例えば2006年、内田篤人が鹿島アントラーズに入団してきたプロ3年目の開幕前のことです。私は高卒の篤人に何をポイントとして伝えてあげたら、ピッチ上の大体のことが成り立つのかを、篤人の視点に立って考えました。それはできるだけシンプルで分かりやすいものでなくてはなりません。高卒の若造でしたからね。そこで考え出したのは、守備における意識の置き方を、“自分のサイドにボールがある時”と“逆サイドにボールがある時”、それぞれひとつずつに絞り、提示をすることでした。それ以外は、プレーしながら打ち合わせていけばいいと考えたのです。

それは今、指導者として選手たちに提示をする際の参考になっています。そして、私にとって言語化というものにつながったいい経験でした。

ポイントとなるところを言語化して伝えられていれば、プレー中の打ち合わせもより理解度が高まる(撮影・小澤達也)

相手に合わせて言葉を選べるというのは武器になる

私が言いたいのは、“言語化”が必要になった時に、相手に合わせて言葉を選べるというのは武器になるということです。ただ、それは取ってつけようと外から探す必要などなく、プレーしているなら、その時の自分の感覚や意図を言葉にして、周囲に伝わるような言葉を探す、という繰り返しでいいのです。

そうすると、選手たちは何ら難しく考えることはなく、勝つことに対し、言葉にする方がうまくチームが回るタイミングでは、できるだけ伝える相手に的確な言葉を選んで、伝える。それはつまり、勝つことに真剣に向き合う。競技に真剣に向き合う。味方に真剣に向き合う、ってことだと思うんですよね。

という、よく分からない“言語化”でした。ではまた。

サッカー応援団長・岩政大樹コラム

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