岩政大樹がサッカー選手になる夢をもたずにプロになれた理由
「夢を持つ」。スポーツ選手たちはいつもその重要性を語ります。自らが小さいころに描いた夢をかなえた経験が、その説得力を後押しします。夢を持ち、努力して、夢をかなえる。それは素晴らしいことだと思います。
ただ私は、「夢なんてもたなくても大丈夫」と付け加えたい。自分が「サッカー選手」という夢をもち、その夢をかなえるためにサッカーに取り組んできたわけではなかったからです。今回は自分がサッカー選手になるまで、そしてなってから、どんなビジョンで「夢」と向き合ってきたかという話をしたいと思います。
意識は「“いま以上”を積み上げること」
私は「サッカー選手になりたい」なんて、大学生になって現実的な目標になるまで考えたことがありませんでした。ただサッカーが好きで、うまくなりたくて、負けたくなくて、常に“いま以上”を目指して取り組んだだけでした。だから、教師になるだろうという未来像のために勉強もして、東京学芸大に進学をしました。
サッカー選手になるという夢を持ってかなえたわけではまるでなく、うまくなりたい、勝ちたいとサッカーに励んでいるうちに導かれるように道が拓けていった。その経験から、大事なことは「夢をもつこと」ではなく「“いま以上”を積み上げること」なのだと思っています。
その先にある夢、特に「“何”になる」ということに関しては別にもっていなくたって大丈夫だと思っています。より重要なのは「“どんな”自分になるか。なりたいか」だと思うからです。
私は何も簡単には諦めない人生を歩みたかった。だから両立を目指しました。少しでもうまくなりたかった。絶対に勝ちたかった。そのための努力は人一倍する男でいたかった。だから大好きなサッカーに打ち込みました。別に「サッカー選手になる」という夢をもつことは必要ではなかったのです。
私が鹿島をやめ、タイに行った理由
大学生活を送るみなさんはそろそろ、「夢をもて」と言われて育つころを卒業し、「将来をしっかり考えろ」と現実に向き合わされるころに直面していることでしょう。夢をもち、それに邁進できている方はぜひ突き進んでください。現代では、転職も当たり前の時代。やりたいことをやってみて、それを取り返す時間は人生には充分に残されています。
夢を描けずに、それによって「“何”を目指せばいいか」が分からない学生も大丈夫。自分と向き合って「“どんな”自分でいたいか、“どんな”人生にしたいか」を考えてみることです。それが分かったら、その“どんな”に関しては妥協せずに続けていくことです。
例えば、私は10年を過ごした鹿島アントラーズを離れる決断をしたとき、タイのクラブに移籍をしました。そのとき「“何”=タイのクラブに移籍をする」ということは、移籍のオファーが届くまで考えたことがありませんでした。私の基準は「“どんな”=自分だからこそできることをする人生」という漠然としたものだけ。タイのオファーが届いたとき、「それがこれだ! 」と感じました。
周囲からは「なぜ?」という声もたくさん届きました。「まだJ1でやれるだろう」。そんなことは自分が一番分かっていましたが、私の基準は「できるだけ高いレベルでプレーする」でもなければ、「できるだけ長くプロサッカー選手をする」でもなかったのです。ファジアーノ岡山、東京ユナイテッドを選んだとき、そしてプロサッカー選手を引退したいまでも、その考え方は変わってきません。“何”より“どんな”です。
大事なのは「“どんな”自分になりたいか」
未来を描くときに「“何”になりたい」というのは考えたことがありません。それは手段でしかないからです。それにより「“どんな”役割を担いたいのか、“どんな”自分でいたいのか」。それを日々自分に問いかけながら未来を考えています。
おそらく「手段と目的」の話しなのだろうと思います。「夢をもつこと」は私の中で“いま以上”を目指す自分であるための「手段」であり、「目的」ではありません。「夢をもつこと」で何かが完結するわけでは決してありませんからね。
ですから、「夢をもつことは素晴らしい。でも夢を描けなくてたって大丈夫」なのだと思っています。「“どんな”自分になりたいか」をもち、ブレずに歩み続けていれば、「それがこれだ」という仕事は見つかります。特にめまぐるしく移り変わっていく現代社会の中では5年先でさえ分からないことばかりですから、“何”より“どんな”の未来の描き方が重要になってきているように感じます。
あなたは“どんな”自分になりたいですか。“どんな”人生にしたいですか。
私はいまも「自分だからこそできることをする人生」にしたい。その仕事を「人の近くで仕事をする」、「未来のための仕事をする」かなと思っています。“何”の仕事に出会えるかな。