20年前の大学サッカーといまの大学サッカー
私が大学生だったころ(それはもう20年近くも前になった)、大学サッカーは過渡期にありました。1993年にJリーグができ、私が東京学芸大に進学したのが2000年。優秀な選手が当たり前のようにプロの世界を選ぶようになった時代で、大学サッカーは新たな方向性を模索していました。
20年前、「大学に進んだからこそ」の選手育成が始まった
そのころに大学サッカーが打ち出しはじめたのが、「18歳でJリーグではなく大学に進んだからこそ」の選手を輩出することでした。ただ単にJリーグに進めなかった選手が“残りもの”として戦うのではなく、「大学サッカーを選んだからこそできること」を身につけさせ、その後につながる成長の場とできるように改革が進められました。
海外への積極的な遠征は、Jリーグに所属しているとなかなかできない経験。戦術的、マネジメント的な視点も22歳で最高齢になる大学では要求されますが、18~22歳のプロの選手には養いづらいものでしょう。公式戦の出場機会は言わずもがな。それをより推し進めるために大学リーグの試合数を増やしました。
そのころからです。Jリーグで再び大卒の選手たちが脚光を浴びるようになったのは。山口の無名の木偶の坊だった私も、大学サッカーのおかげでチャンスをもらい、プロで活躍するための武器を磨くことができました。
いまでは各チームに当たり前のように、欠かせない重要なピースとして大卒の選手がいます。20年前には衰退する一方だと思われていた大学サッカーが、日本サッカーで重要な役割を担い続けています。
大学スポーツは可能性に充ちている
そして、“いま”です。
時代はまた変化してきました。日本における“スポーツ”が”体育”だった歴史からの変化。社会におけるスポーツの価値の高まり。デュアルキャリアという概念の広がり。100年時代。さまざまな変化が大学スポーツの方を向いて歩いてきているように感じるのは私だけでしょうか。
この時代に大学スポーツに身を置かれているみなさんには、ものすごい価値があります。私にはたまたま15年というプロサッカー選手としての時間が与えられて、その間にいろんななことを考え、学ぶ時間ができました。サッカー選手としての日々に追われる時間と、それ以外のことに目を向ける時間の両方を持つことができました。
しかし大学のときにもっとできることがあった。広げることができた。そう思うことは少なくありません。あのころ、私は凝り固まっていたのです。「サッカーをやっていればいい」と。
ムダがムダではないのがみなさん、大学生の特権です。“やってみる”がすべて身になるのがみなさんの“いま”です。その“いま”にぜひ当たり前のことを当たり前にこなしていきながら、当たり前を疑ってみてください。
いまみなさんが再考する大学スポーツの価値が、20年後、私のようなおじさんになったときに、当たり前の顔をして日本社会の重要な役割を担っているでしょう。新しい大学スポーツをつくるのは“いま”だと思います。
なぜでしょう。私の今年の夏は、大学スポーツの価値をふと考えてみることが多い夏でした。