シーズンを終えた君へ、「現状維持は衰退の始まりだ」
私の母校である東京学芸大学蹴球部が関東リーグ2部から降格してしまいました。OBとして寂しさを感じながらも、最近はあまり顔を出すことができていないので、何かを言う資格もありません。もう20年も前になった私の学生時代と重ね合わせてもしかたのないこと。歴史は続いていきます。
栄光よりも挫折が多いのが人生
この時期になれば、それはすべてのチーム(学生)に言えることでしょう。優勝を果たすチーム、優勝を逃すチーム、残留を果たすチーム、降格してしまったチーム、昇格を果たしたチーム。それぞれに何らかの結果が明確に突きつけられていることだと思います。そしてまた、その中の誰もがもれなく、結果が出た次の朝にはまた新しいスタートをきっていることでしょう。
学生時代もプロ選手時代も、勝負の世界に生きているときはいつもそうでした。優勝した日は「夜が明けないでほしい」、優勝を逃したときは「早く明日になってほしい」、そう思ったものです。
10年間所属した鹿島アントラーズで私は三連覇を果たしました。カップ戦も含めるとタイトルは7つ、タイのクラブでのタイトルを合わせると8つ獲得できました。それは幸せなことで、決して少なくない数ですが、それでも失ったタイトルの方が断然多いわけです。
不安の中で決心した「体の動かし方改革」
シーズンを終えて、切り替えを図るたびに、私は不安と戦っていました。「このままではダメだ」「いま以上を目指すにはどうすればいいのか」。とくに、ただサッカーをしていれば体の成長とともにうまくなっていた10代とは違い、「20代は何かを具体的に変えていかなくては成長にならないのではないか」という不安をいつも抱えていました。
そこで私は「体の動かし方改革」に踏みきりました。20代半ばのころだったと思います。プレーの“何を、どのように”と一個一個変えていくだけでは甘い。そもそもの体の動かし方を変えればすべてのプレーが変わるのではないか。その思いに行き着いた私は、本を読み、トレーナーに相談し、自分の体を根本から変えていきました。そこから長い年月をかけて改善を図っていきました。
変化は確実に起こっていきましたが、順風満帆だったわけではありません。それまでの成功体験に引っ張られて、「わざわざ変えるリスクをとる必要があるのか」と自問自答した日もありました。結果でしか正しさを証明できない世界ですから、何をすることが正しいかなんて分からなかったし、未来の結果につながる確信など何にもありませんでした。ただ、現状維持に向かっているのを感じながら「変えない」という選択肢を選ぶことは、そのときの私にはあり得なかったのです。
いつが転機かなんて、誰も教えてくれない
現役を引退したいま、自分のキャリアを振り返ると、あそこで“変える勇気”をもつことができたのは一つの転機だったと思っています。20代半ばにもなれば、プロサッカー選手になるまでに培った自分というものがあります。それを大事にしながら、新たな自分に書き換えていくには期待よりもリスクの方が強く感じたりします。それも当時、私は別にけがをしたわけでも、試合に出られなくなったわけでもなかったですから。
ただ、現状維持に向かう自分に対する不安があり、勉強をして知識を得ていく中で、進むべき道を見つけた気がした。それを見定めたら、「続ける」という努力をした。それがなければ、その後の私はなかったと思っています。
では、誰が、いつ、何を、どのように変えていけばいいのか? それは分かりません。それは決して分からない。では何を言いたかったかと言いますと「みんな頑張ろう! 」ってこと(笑)。「進むべき道を見つけて切り替えよう! 」ってこと。「進むべき道を見つけるために学ぼう! 」ってこと。「現状維持は衰退の始まりだ」ってこと。
私もそう遠くない未来に、勝負の世界にまた戻りたいと思っています。