大学サッカー

特集:第30回ユニバーシアード

【私のユニバ】FC東京・永井謙佑 ベオグラードで選手村を経験、五輪で生きた

ユニバーシアードでの経験が、後のロンドンオリンピックにも生きたという

2年に1度開催され、「学生のオリンピック」とも呼ばれているのがユニバーシアードです。台湾・台北が舞台だった前回、日本は37個の金メダルを獲得し、夏季大会では初めてメダル獲得ランキング1位となりました。今年は7月3日から14日まで、イタリア・ナポリで開催されます。開幕に先立ち、4years.ではこの大会に出場経験があり、大学を卒業した現在も活躍中の方に当時を振り返ってもらう「私のユニバーシアード」をお届けします。最初は2009年のベオグラード大会に出た、サッカーJリーグ・FC東京のFW永井謙佑選手(30)です。

W杯出場のミッション課されてユニバへ

永井は6月9日、日本代表復帰戦となったエルサルバドル戦で、代表初ゴールを含む2得点を挙げた。幼少期をブラジルで過ごしたこともある永井は、福岡の九州国際大付属高校を経て、2007年からの4years.を福岡大学で過ごした。ここで爆発的なスピードと決定力を併せ持つ点取り屋へ成長。大学サッカー界でその名を轟かせた。当時から福岡大サッカー部の監督を務める乾眞寛(まさひろ)さんによれば、永井は大学3年生になって、それまでくずぶっていた感のあった能力が一気に伸びたという。

福岡大時代の永井(右)。超高速が武器だった(撮影・原田亜紀夫)

急成長を遂げたきっかけは、2年生の秋にあったU-19アジア選手権。サウジアラビアで開催されたこの大会で永井は4ゴールを挙げ、得点王に輝いた。しかしチームは準々決勝で敗退。翌年のU-20ワールドカップ(W杯)出場権を逃した。「ほんとに悔しい、めっちゃ悔しい」。帰国後、永井は乾監督の前で悔しさをあらわにした。それを見た乾監督はこのとき、永井にあるミッションを課した。それは2年後に迫っていた2010年南アフリカW杯への出場だ。「本気で目指してみろよ」。永井の成長を促すために、乾監督はあえて高い目標を設定したのだ。

そうした背景があった中で、永井は3年生だった09年のユニバーシアードに出場した。セルビア・ベオグラードでの大会の代表に選ばれたのは20人。現在、永井が所属するFC東京のチームメイトであるGK林彰洋(流通経済大)や、サガン鳥栖で主力のMF高橋秀人(東京学芸大)らがいたが、日本の前評判は決して高くはなかった。「周囲の雑音は気にならなかったです」と永井は言う。「いろんな国に行って、試合をする経験を積みながら臨んだ大会だったし、ほかの国のレベルがどんなものかも正直分かってなかったんですよね。僕自身は年代別代表での経験もあったので、そこまで気負うことはなかったです」

初戦の決勝ゴールで火がつき得点王に

ユニバーシアードはサッカー選手として国際試合の経験が積める貴重な場だ。活躍次第では、海外のスカウトの目に留まる可能性もある。期する思いは自然と高くなった。「大学生の代表選手として出られる大きな国際大会はそこしかなかったので、大会へのモチベーションはありましたね」と永井。自分の実力が国際舞台でどの程度通用するのか、楽しみで仕方がなかった。

この大会で日本は銅メダルを獲得。目標の金メダルには届かなかったが、チームでつかんだ結果を誰もが誇りに思っていた。永井は全6試合に出場。グループリーグ(GL)の3試合で7ゴールを挙げ、大会の得点王になった。圧巻だったのがGL2戦目のブラジル戦(4-1)と、続く3戦目のタイ戦(5-0)。永井は連続ハットトリックという離れ業をやってのけた。

永井はハットトリックを決めた試合よりも、初戦となったフランス戦でのシュートに価値を感じている

それでも、永井の印象に残っている試合はほかにあった。GL1戦目のフランス戦(2-1)だ。決勝ゴールを決めた。「あそこで躓(つまず)いてたら、その後にいい流れはこなかったと思うんです。だから1戦目で勝てたのはよかったですし、そういう意味でも一番印象に残ってます」。自分もチームも勢いづいたゴール。その後の2試合で決めた6ゴールより、よっぽど価値があったのだ。

めちゃめちゃアウエー、でも勝った

ユニバーシアードでは、国際舞台だからこそできる貴重な経験が山ほどあった。PK戦までもつれた準々決勝のセルビア戦(0-0)では、異様なムードを体感。「めちゃめちゃアウエーでしたね。初めて経験するようなムードでした。PK戦では日本側が蹴るタイミングになるとブーイングが響いて。そんな中で勝てたのは大きかったです」。永井はそう言って笑った。

南アフリカW杯にはサポートメンバーとして帯同するにとどまったが、のちにアジア大会、そしてオリンピックにも出場した永井にとっては、ユニバーシアードがそれらの予行演習になった。10年の広州アジア大会では通算5得点で得点王に輝き、優勝に貢献。2得点を奪った12年のロンドンオリンピックでは、44年ぶりのベスト4進出を果たした日本の快進撃を支えた。そうした活躍の背景に、ユニバーシアードでの経験があったと永井は強調する。

「いろんな国の選手と選手村で生活し、試合に臨むっていう感覚はオリンピックやアジア大会で生きましたね。そこで一回免疫みたいなものができてたので、イメージしやすかったです」

ユニバーシアードを振り返って「そこで一回免疫みたいなものができた」と永井

そうした成功体験を得ている永井だからこそ、今年のナポリ大会を最後にユニバーシアードからサッカー競技が消滅するのを残念に思っている。今後、国や地域の代表チームではなく、単一チームで学生世界一を争う大会として生まれ変わる見込みだ。

「大学生のうちから日本代表選手として戦うことって滅多にないですし、すごくもったいないと思ってます。ユニバーシアードを経験してプロにいって、そこから日本代表へ上り詰めた選手はたくさんいます。大会に出た経験が少なからず生きてる部分はあると思いますし、ユニバーシアードのようなさまざまな国や競技の選手たちと触れあいながら、舞台で海外の国や地域の代表とガチンコ勝負できる機会がなくなるのは、ほんとにもったいないことだと思います」

18年ぶりに大学生で日本代表選出

09年のユニバーシアードを終えて帰国した永井は、喜びに浸る間もなく次のチャレンジを見据えていた。乾監督から設定されていた目標は日本代表入り。永井は本気で目指した。するとその年の12月、翌年のアジアカップ最終予選(イエメン戦)に臨む日本代表メンバーに初選出。大学生の日本代表入りは18年ぶりの快挙だった。

永井は大学4年生の時にA代表入りを果たした(コートジボワールとの練習試合にて、撮影・西畑志朗)

その後の永井は、11年のプロ入り、12年のロンドンオリンピック出場へ飛躍していく。前述のように南アフリカW杯の出場メンバーには選ばれなかったが、オリンピックでの活躍がベルギーリーグへの移籍を引き寄せた。そして現在はJリーグ首位(6月25日時点)のFC東京にて、ストライカーとして活躍している。

永井にとって、ユニバーシアードでの経験はかけがえのないものだった。

 

◆下の画像バナーよりギフティングサービス「Unlim」を通して寄付ができます。

in Additionあわせて読みたい