関学サッカー山本悠樹、ユニバで優勝してプロの世界へ
2年に1度開催され、「学生のオリンピック」とも呼ばれているのがユニバーシアードです。台湾・台北が舞台だった前回、日本は37個の金メダルを獲得し、夏季大会では初めてメダル獲得ランキング1位となりました。今年は7月3日から14日まで、イタリア・ナポリで開催されます。開幕に先立ち、4years.では今大会に参加する大学生アスリートを紹介します。4人目は男子サッカーの代表に入った関西学院大学4年のMF山本悠樹(草津東)です。
2年続けて関学からガンバへ
サッカーJ1のガンバ大阪は6月11日、来シーズンから関学のMF山本が加入すると発表した。「大きいクラブから話が来てうれしかった。でも、それよりいまはホッとしてる気持ちが大きいです」と山本。関学からはDF髙尾瑠に続く、2年連続のガンバ大阪への入団。山本は昨年の天皇杯で撃破したチームを、新たな居場所に決めた。
少年時代から、漠然と「プロになりたい」と口にしていた。夢が現実に近づいたのは、高2のときだった。全国大会でプロ内定者を擁するチームと対戦。勝ち切ることはできなかったが、「自分にもやれるかもな」と、プロ志望を固めた。そんなとき「大学も考えとけよ」という監督の言葉で大学進学も考えてみた。頭に浮かんだのは、当時、大学タイトル四冠を達成した関学。だが、「本気で考えてはなかった」。信じた道はプロ一本だった。
いきなり厳しい現実を突きつけられた。意気込んで参加したセレッソ大阪のチーム練習。だが、プレーのレベル、速さ、強さ、すべてに圧倒された。「いまはプロ行っても無理やな、早よ帰りたい」。挫折を味わった。頭の隅に置いてあった大学サッカーの道がよぎる。「残された道は関学しかなかった」。関学では通常、高校生のときに練習会に参加し、セレクションに
けが繰り返し、仲間に救われた
大学サッカーの厳しさも、想像を絶するものだった。入学前の2月から練習に参加。「とにかく練習がキツかった」。すぐにAチームに上がったが、ここでも圧倒された。セレッソ大阪の練習で味わった挫折が蘇った。けがをして、6月にリーグ戦で公式戦初出場を果たしたが、その後も何度もけがを繰り返した。「焦ってました」
折れかけた心を支えてくれたのは、同期だった。当時の1回生で、山本より早くAチームにいたのがMF岩本和希(4年、ガンバ大阪ユース)だ。山本と同じタイミングでけがをし、ともにトレーニングに励むことも多かった。その空間で語り合った。「思っていたことを素直に吐ける場所でした。和希がいたから頑張れた」。また、DF宅野海里(4年、京都サンガユース)も、けがで苦しむ山本を言葉で支えた。「みんなが明るく接してくれたのは大きかった」と山本。心を許せる仲間とともに戦ってきた。
トップ下からボランチへ
チャンスが巡ってきた。1回生の秋、天皇杯2回戦のアルビレックス新潟戦でスタメンに抜てきされた。試合には敗れたものの、前半31分、プロチーム相手にゴールを決めた。その後、リーグ戦でもスタメンに定着し始め、新人賞も受賞。やっとスーパールーキーとして名をはせた。「試合に出し続けてくれてるから、結果を出すしかない」。高校でプロ入りを断念した日から、前へ前へと焦る気持ちを常に抱え、2年間を駆け抜けた。
勝負の3年目。3回生の秋、攻撃参加の多いトップ下から、チームの司令塔となるボランチへ転向。チームにけが人が増えたためのコンバートだった。最初に思ったのが「ゴールに遠いな(笑)」。でも徐々にハマっていった。広い視野が生き、高校時からの課題であった守備面も成長。相手のマークがつかないため、前線に出たら自在に点も取れた。「こっちの方がいいかも」。プロのスカウトからかかる声も、増え始めた。
「結果が残せるボランチになる」。ポジション転向から半年が経ち、描くボランチ像は明確になった。目指すはガンバ大阪の顔。「替えのきかない選手」になることだ。また将来は、海外でのプレーも視野に入れている。「ガンバ大阪は、1年目から試合に出られるチャンスがあるチームだと思ってます。結果を残し続けたい。でも、いまはまだ実力が追いついていない。2年ぐらい待ってほしいです(笑)」。大きな夢を語りながら、謙虚な姿勢ものぞかせた。
ユニバーシアードでは日の丸を背負う。「スタメンで出て優勝したい」。関学の誇るファンタジスタはプロの世界に飛び込む前に、ナポリでひと暴れするつもりだ。