角田夏実(下)関節技が得意になった背景、「抑え込みで終わらない寝技」習得に向けて
パリオリンピックの柔道女子48kg級で金メダルを獲得した挑む角田夏実(31、SBC湘南美容クリニック)は、「自然農法のような」東京学芸大学柔道部で、その才能を開花させた。連載「4years.のつづき」後編では寝技や関節技が得意になった背景を探ります。
角田自身が「寝技教室」と表現する「朝活」
東京都小金井市の東京学芸大学キャンパス内にある柔道場に、毎週月曜朝7時から柔道家や格闘家が集まってくる時期があった。学生だった角田も参加していた。本人は「寝技教室」と表現するが、柔道部の朝練ではない。「抑え込みで終わらない寝技をしよう」という呼びかけに応じ、柔道部員やブラジリアン柔術をやっている格闘家が集まるようになった。
主宰したのは柔道部OBの高本裕和さん(47)。母校のすぐ近くにある児童養護施設に勤務しながら、卒業後も後輩たちの練習に顔を出していた。並行してロシアの格闘技サンボや柔術に興味を持ち、角田が入学する直前の2009年にはサンボの全日本選手権に出場して優勝している。
「高本というのも面白い男でしてね。人に押しつけない、いい味があるんですよ」
東京学芸大の柔道部監督だった射手矢岬さん(63)が当時を懐かしむ。角田より16歳上の高本さんが3年生になるとき、射手矢さんが着任した。
ある日、早朝に道場を貸してもらえないか、と高本さんが言ってきた。「朝活」をしたいという。「月木は朝練をするけど、7時から1時間か1時間半だったらいいよ」と許可したら、「けっこう人が集まるようになったんですよ。高本さんのとこで寝技をすると面白いと、学生も参加するようになった」と射手矢さん。
ただ「教室」と言われるほど、「教えていない」と高本さんは言う。「一緒に練習をしていた。一緒に学び、研究をしていた感じです」
想像力と解決力が養われる「柔術」
では、「抑え込みで終わらない寝技」とはどんなものなのか。
「柔道では寝技で不利な体勢になっても抑え込まれなければ、審判が『待て』で試合を止めてくれる。つまり第三者の介入があるから、最後まで問題を自分で解決しなくてもいいというマインドが無意識のうちに芽生えている」と高本さんが説明してくれた。「それに対し、柔術は起こったことのすべてのシチュエーションを自分で解決しなければならない。だから、想像力とか解決力とかが養われたと、自分は思っています」
たとえば、柔道では抑え込まれそうになったら、首筋を守り、わきの下に手を入れられないよう体を小さくするのが常道とされる。「亀になる」と言われる防御だ。「柔術で亀になったら、バックをとられ、相手に大きなポイントを奪われてしまう。だったら、抑え込まれた方がいい。相手が自分の正面にいるから、『エビ』という動きをして逃げたりすることで、自分が戦える体勢に戻すことができるだからです」
「トライアル&エラーを繰り返しながら成長するのが柔術。付け加えたり、引いたりするのが楽しいのです」。そして、「角田さんも、そのあたりが楽しかったのではないでしょうか。本人が負けず嫌いというのもあるし、あれこれと考えるのが面白かったのだと思います」
角田にとっては、「こんな柔道もあるんだ」という新たな発見になったようだ。やられた技を研究し、次はかからないように工夫したり、逆に自分がかけられるようになったり。そんな作業に夢中になった。
「割と将棋に似ていると思います。将棋は一手に複数の意味を持たせるのがいい手だと言われますよね。柔術もこのガードポジションはディフェンスも強いし、攻めもいける。右足を引っかけたら複数の関節技に移行できるとか、伏線を張ることができます」と高本さんは言う。
足の指を手の指と同じように使える
角田と一緒に練習する中で、驚いたことがある。「足の指を手の指と同じように使えるのが、彼女が普通の人と一番違うところだと思います」。足の指で柔道着をつまむことができる。あそこまで足の指を使える人は見たことがないと高本さんは言う。「技術もあるけど、それだけ頭のてっぺんから足の先まで神経が生き渡っているということだと思います」
柔道には理想的な形というものがある。そこから外れてしまうと、とくに創始国の日本では評価されないこともある。「柔術の本場はブラジルで、考え方も合理的です。こうでなければいけないというものがない」と高本さんは語る。
角田も地力をつけ始めて全日本柔道連盟の強化選手になった頃、相手と正対せず、片手だけ持って横に走るような柔道スタイルでは国際試合で勝てないと指摘された。
「あの人たち(日本代表コーチ陣)の言うことを聞いてもしょうがない、みたいな愚痴を言っていましたね。頑固ですから。だけど、納得すれば、ちゃんと取り組む。あるとき、パパっと両手で持つようになった。頭で理解し、体で覚えたら、早いんです」と射手矢さんは振り返る。
ただ、「角田が柔術の大会に出たら、すぐ優勝できますよ」と高本さんが言ってきたのには困惑したという。「それは勘弁してくれ。柔道のスーパーアスリート選抜推薦だから、柔道を頑張ってもらわないと」と射手矢さんは懇願したという。高本さんは角田自身が「柔術の試合に出たい」と相談してきたことがあると記憶する。「そのときは僕が止めました。ちょうど柔道の強化選手になった頃でした。いまは柔道に専念し、柔術はひと区切りついてからでもいいんじゃないか、と」
角田が柔道以外の格闘技にも夢中になっていた様子がうかがえる。
ピリピリ感はない分、居心地の良さがある
射手矢監督が目指す「自然農法」のような柔道部で伸び伸びと力強く育った角田は、東京学芸大を卒業して実業団に進むと、3年目の2017年に世界選手権代表に初選出され、準優勝に輝いた。52kg級から48kg級に階級を変更し、2021年から世界選手権で3連覇。今夏のパリオリンピック代表に内定した。
その間も、定期的に母校である東京学芸大で練習してきた。遠征や合宿などがなければ、「基本的に週2日」は後輩たちと練習する。
「後輩と一緒に練習し、技の研究をしたり、話したりしているうちに、やっぱり柔道が好きだなあと改めて思えるんですよね。帰る頃には、また練習を頑張ろうと思えるというか」
「出稽古に来てくれた選手も、『学芸大って楽しそうに練習するよね』と言ってくれる。ピリピリ感はないんですけど、逆に言うと、そういう居心地の良さがあるんです」
日本の女子軽量級選手としては珍しく関節技を得意とし、31歳でオリンピック代表の座をつかんだ異色の柔道家。パリで金メダルを獲得したことで、東京学芸大学の学生・卒業生では初のオリンピックメダリストとなった。