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連載:4years.のつづき

甲南大アメフト部OB福島雅弘さん(下)仲間との「終活」、みんながくれた生きる勇気

福島雅弘さんの浪速高、甲南大の後輩にあたる2年生の長井洸衛とツーショット(近影はすべて撮影・篠原大輔)

43歳のときに難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した、甲南大学アメリカンフットボール部「レッドギャング」OBの福島雅弘さん(51)。連載「4years.のつづき」後編は、就職してからこれまでの道のりです。

【前編はこちら】甲南大アメフト部OB福島雅弘さん(上)スポーツ推薦1期生として奮闘、43歳で難病に

最初は「四十肩じゃない?」

福島さんはいま、妻の真理さんのふるさと山口県宇部市で暮らしている。目や口元の筋肉しか動かせないため、一日の大半をベッドで仰向けになって過ごしている。日中は基本的にヘルパーや学生アルバイトが2人で介護し、夜は真理さんが隣で寝る。1日3回、体調の確認に立ち寄る訪問看護師が食事の補助をする。週に3回ほど、カフェや焼き肉店に出かけるのが楽しみだ。

高校、大学とアメフトに没頭したあと、福島さんはキラキラした世界にいた。新卒で芸能プロダクションの吉本興業に就職。東京でテレビ番組の制作に関わり、人気アイドルグループのオーディションにも立ち会った。真理さんとも東京で知り合った。「平たく言って合コンでした」。真理さんが笑顔で振り返る。「異性としてビビッとくるものはなかったんですけど、人に気を遣える人だなと感じて好印象でした」

甲南大アメフト部の部室で福島さんに話かける妻の真理さん

出会って5年あまりで結婚し、福島さんは大阪での勤務を経て吉本を退社。真理さんの地元の宇部市で、二人で不動産関係の仕事を始めようとした。その準備をしていた2016年1月。福島さんが高いところにあった荷物を動かそうとすると、左肩に力が入らず落としてしまった。その前年からゴルフでショットの飛距離が落ちたことに異変を感じていたが、このとき明確に自分の体に何かが起こっていると自覚したという。

42歳だった。真理さんが振り返る。「最初は『四十肩じゃない?』なんて言ってたんですけど、あまりに同じようなことが続くので、町中のクリニックへ行ったら大学病院の整形外科への紹介状が出て、行ったら脳神経内科を紹介されて。そこから経過観察の時期が半年ぐらいあって、検査入院を経て確定診断を受けました」

検査入院の3カ月ほど前、福島さんが「頭が真っ白になった」、真理さんは「目の前が真っ暗になった」と表現する瞬間があった。毎日のようにネットで同じような症状のケースを調べる中で、二人の前にくっきりと「ALS」の三文字が浮かび上がってきたのだ。国内のALS患者は約1万人。有効な治療法は開発されておらず、患者の約7割が人工呼吸器による延命を選ばないとされる。その日から、頭の中は冷静でいても、なぜか体は震えているという数日間を過ごしたという。

合同練習で寒くなり、レッドギャングのグラウンドコートをかけてもらって笑顔の福島さん

「お願いがある。終活をしてほしいねん」

確定診断が出る前、浪速高校(大阪)と甲南大学でチームメイトだった西尾陽樹さん(50)に福島さんから電話があった。「高校から一緒だからペアみたいに思われがちなんですけど、お互いにそこまで仲がいいとは思ってないんですよ」と西尾さん。だから久々の電話に身構えた。「会いたいねんけど」と福島さん。これまで斜に構えて本音をなかなか口にしなかった男の申し出だけに、「何か相当なことがあったんやろな」と想像した。山口から関西に出てくるというので、アメフト部の2学年先輩である森櫻智義さんが営む焼き鳥店「ひちご屋」で会った。

雑談ばかりが続いた。話が途切れたあと、福島さんが「俺、ALSやと思う」と切り出した。それが進行性難病を示すことは西尾さんも知っていた。だから典型的な関西人の彼も、リアクションができなかった。

すると福島さんは「西尾にお願いがある。終活をしてほしいねん」と言った。「これまで好き勝手やってきたから、アメフトを通じて出会った人たちにお礼を言いたいし、話がしたい」と。西尾さんは「まかしとけ」と返した。レッドギャングの先輩や同期、後輩に声をかけ、福島さんのために集まった。ライバルだった大学の「同期」たちも集まってくれた。大阪と東京で4回ほど大人数で福島さんを囲んだ。浪速高校のメンバーでも集まった。真理さんとは思い出作りにとニューヨークへ旅行した。

福島さんが「終活」という言葉を使った以上、西尾さんは当初、彼が延命することはないと思っていた。真理さんによると、実際に「俺は絶対に延命しない」と口にしていたそうだ。その後の心の変化について真理さんはこう振り返る。「人工呼吸器をつけると家族が犠牲になる、家族が24時間見なきゃいけないというので延命を諦める人が多いんですけど、ネットで調べていくと24時間他人介護ができるという法律そのものはある。さまざまな制度もあります。ただ使いこなすのが難しかったり、人がいなかったり、認定の手続きのハードルが高かったり。確かに大変なんですけど、法律そのものはある。そこから夫とは『それなら延命できないこともないよね』という話で進んでいきました」

また、西尾さんにも福島さんの心変わりの原因に思い当たるところがあった。「一つは遠藤の姿を見てきたことでしょうね」。福島さん、西尾さんとともに甲南アメフト部のスポーツ推薦入学1期生となった遠藤清貴さん(50)のことだ。4年生の秋シーズンはTE(タイトエンド)として関西学生リーグ1部でパスキャッチ数2位と大活躍した。その遠藤さんが2002年にリンパ性白血病を発症。余命数カ月と告げられたが、長きにわたって闘病生活を続け、現在は寛解している。「もう一つは『終活』の中で、アメフトの仲間たちから『どんな姿になっても生きてくれ』『誰かがすごい発見をしてこの病気を治してくれるかもしれんから、お前は生きろ』と言われたのも大きかったみたいです」

同期の遠藤清貴さん(左)の生き様も福島さんの考え方に影響を与えた

在宅療養の体制を整えるため、介護事業所を設立

飲み込む力が弱くなってきた2020年2月に胃瘻(いろう)の造設手術を受け、呼吸する力が弱くなってきた同年4月に気管を切開し、人工呼吸器を装着した。

真理さんはこれまでつらかった時期として、呼吸状態が悪くなってから気管切開の手術を受けるまでの期間を挙げる。「呼吸がしにくくなると、本人はやっぱり精神的に追い込まれる部分があるんです。自暴自棄というか、正直当たられたこともありました。苦しいんだろうなってのは分かるんですけど、そのときは『こんなんやったら延命したくない』ってことも言い出して……。本心ではないとは思いながら、一番しんどい時期でした」。そんなときは家に来てくれる看護師さんが間に入ってくれたり、「ちょっと距離を置いた方がいいよ」とアドバイスしてくれたりして乗り切れた。

そして真理さんは司法書士の仕事の傍ら、2021年5月に訪問介護事務所を設立した。「在宅で療養していくには介護の体制を整えないといけない。でも宇部市には重度訪問介護に対応した事業所がなかったので、自分たちで作るしかなかったんです」と真理さん。いまはヘルパーや医療系の学校に通う学生アルバイトなど10人以上を雇用している。

合同練習が終わり、感想を口にする山口東京理科大の部員たち

生きた証であり、勇気の源

前編で触れたように、福島さんは2021年から山口東京理科大学アメフト部のコーチを務めている。6月下旬に実現した母校・甲南大との合同練習では、甲南の現役選手たちにも思うところがあったようだ。副キャプテンでWR(ワイドレシーバー)の福田竜飛(4年、箕面自由学園)は「福島さんの後輩として恥ずかしくない練習をして、少しでも喜んでもらえたらと考えてました。秋は必ず2部で勝って入れ替え戦に出るので、その試合を観戦に来てくださったらうれしいです」と話した。

WRの長井洸衛(こうえい、2年)は浪速高校アメフト部出身。福島さんと同じ道を歩んでいて、偶然にも福島さんの現役時代と同じ15番をつけている。「福島さんのことを知って、今日初めて会って、いまずっとリハビリしてるんですけど改めて頑張ろうと思いました。去年はスピードしか持ち味がなかったんですけど、体の強さも持ち合わせたレシーバーになります。福島さんの思いを受け継いで、いっぱいタッチダウンしてるところを見てほしいです」と笑った。

福島さんは「甲南大学レッドギャングで過ごした4年間は、いま思えばどんなものですか?」という私の問いに、視線入力でパソコンを操作し、こう返してくれた。

「生きた証であり、勇気の源」
50年生きてきた内のわずか4年間の出来事ですが、こういう病気になって死をリアルに感じたとき思い出すのは、やはりあの4年間でした。一番つらい時期に、当時の監督やコーチをはじめ、先輩、後輩、そして同期のみんなが、わざわざ、山口まで励ましに来てくれたおかげで随分と勇気づけられました。

福島さんは今日も生きる。真理さんをはじめとした人たちに支えられて、生きられる。心の中にはいつも、レッドギャングでの4years.がある。

真理さんは「学生時代の関係性が30年近く経っても変わらないのがすごい」と語る(最前列の15番が福島さん、1995年のレッドギャングのイヤーブックから)

4years.のつづき

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