角田夏実(上)「自然農法」の東京学芸大学柔道部を経て、パリオリンピックで金メダル
今回の連載「4years.のつづき」は柔道の角田夏実(31、SBC湘南美容クリニック)です。パリオリンピックには女子48kg級で金メダル。連載の前編では、強豪というイメージがあまりない東京学芸大学柔道部に所属していた頃の恩師や仲間に、当時を振り返ってもらいました。
「本当に練習をやらない、びっくりするぐらい」
「なっちゃんは、本当に練習をやらない。びっくりするぐらいやらないです」
角田と同じ52kg級(当時)で、大学の2学年下にあたる原(旧姓・飯塚)貴恵さん(30)は屈託なく笑う。「いまは日の丸を背負っているから、きっと全然違うと思いますよ。でも、当時は背負うものなんて何もないじゃないですか。やりたいときに、やりたいだけやる。そんな感じでした」
ある日、一緒に他の柔道部へ出稽古に行ったが、角田は練習に参加せず、ずっと見学していた。「手首が痛い」という。「えっ?手首? それぐらいなら(練習を)やりなよ」と原さんは思ったという。
島根県出身の原さんは強豪・阿蘇中央高校(熊本)に柔道留学し、東京学芸大に進学した。それまで自分が育った環境では、手首が痛いという理由で練習を休むなんて考えられなかった。
東京学芸大学は1949年、東京にある複数の師範学校が統合して創設された。「高い知識と教養を備えた想像力・実践力に富む有為の教育者を養成する」ことを目的とした大学だ。柔道部も学校創設と同時に創部しているが、強豪選手が集まって大会で好成績を収めたり、日本を代表するような選手の育成を目指したりするような柔道部ではなかった。
潮目が変わったのは15年ほど前。「国立大学だけど、トップクラスのアスリートを学長枠で5種目5人だけとろうという話になったんです」。当時、柔道部の監督をしていた射手矢岬さん(63)が振り返る。
高校時代からすでに使っていた十字固め
筑波大を卒業した射手矢さんはコーチング学やスポーツ科学の専門家で、現在は早稲田大学スポーツ科学学術院の教授をしている。当時は東京学芸大で教鞭(きょうべん)をとりながら、柔道部の指導をしていた。
「成績がいいことが前提だけど、高校の内申がとれていて、面接で学芸大に向いている生徒だと判断すれば、という説明だったので、僕は手を挙げたんです。柔道部も一枚かみたいです、と」
スーパーアスリート推薦選抜――。日本代表選手や強化選手、もしくは全国大会ベスト8以上、あるいはそれに準ずる実績や能力を有する学生を対象にした推薦入試制度だ。
「推薦で選手が入ってきたら、国士館大や東海大に勝てるのですか?」と会議で教授らに質問された射手矢さんは「絶対に無理です」と言った。「男子は無理です。女子でやらせてください。うちの学風としても、女子選手の方が向いていると思います」。2009年にそんな学内議論があり、2010年度入学から、スーパーアスリート推薦選抜がスタートした。
角田の1学年上が、1期生になる。
「スーパーアスリートだから、トップ選手をとってこいと言われるけど、最初から、そんな選手は来てくれませんよ。その中で、角田は3番(高校2年の高校総体)でした」
射手矢さんは、角田が千葉県立八千代高校3年で出場した2010年千葉国体で、彼女の柔道を見た。「強かったですよ。(得意とする関節技の)十字固めもすでに使ってました。面白い選手だなあ。ぜひ、うちに来て欲しいなあと思ったんですね」
その会場に原さんもいた。「私は出場していないけど、熊本と千葉が対戦したんです。先輩たちの熊本が2-1で勝ったんですが、1ポイントとられた相手が、後から思うと、なっちゃんでした」
実はこのころ、角田自身は全国大会で思うような結果を残せず、高校を卒業したら柔道をやめるつもりだった。「なんか、ケーキ屋さんになりたかったらしいね。そんなこと知らず、ぼくは勧誘に行ったんです」と射手矢さんは笑う。
練習後の帰り道「赤レンガ倉庫に行きたいね」
この出会いが転機となった。いくつかの大学の勧誘を断っていた角田だったが、「柔道を軽く続けながら勉強もできるかな」と受験を決意した。2011年春、角田は東京学芸大に入学。今までとはまったく違う雰囲気の学生生活のスタートでもあった。
練習は基本的に週4~5日、強豪チームに多い朝練も2日だけ。それも「授業と練習が早く終わる水曜と、日曜は皆さんが夜更かししないよう、その翌日(木曜と月曜)だけ朝8時から30分だけ体を動かそう」と射手矢さんが提案したものだ。
朝練がない日は授業が始まる前、朝6時から9時までコンビニエンスストアでアルバイトもした。「夜練のあと、なっちゃんの部屋で飲んで、そのまま寝て、朝はそれぞれのバイト先に向かう。よく、そんなことをしてました」と原さんが懐かしむ。とにかく毎日が楽しかった。
「そういえば」と思い出したように明かしてくれたエピソードがある。
日曜に珍しく練習をした後、いつもの整骨院で体のケアをした帰り道で「赤レンガ倉庫に行きたいね」「行っちゃいます?」というノリになった。「なっちゃんはちょっといい自転車だったんですよ。クロスバイク? というか、クロスバイクもどき? 私はママチャリです」
東京都小金井市にある東京学芸大学から横浜赤レンガ倉庫までは約45km。自転車でも3時間近くかかる。「スマホの地図で調べたら、(親指と人差し指を近づけて)これぐらいで、いけるじゃんと思っちゃったんですね」。ナビに従って走り始めたら、高速道路に入りそうになり、「だめじゃん」となって、徒歩で検索し直したら、今度は自転車をかついで歩道橋を渡ることになった。
「私はメチャ練習したけど、なっちゃんはしてなかったんですよ。そんなに元気があったってことは。とにかく、そこまでして赤レンガ倉庫に行きたかったの?と思うんですけど、なんか行ったんですよね」
想像以上に大変なサイクリングになった。途中で何度もルートを外れたから、余計に時間も体力も消耗した。さらに悲惨だったのは帰り道。「真っ暗な多摩川土手とかを2人で走りました」
実は翌日、大学院生の先輩から研究への協力を頼まれていた。「キツメの計測をするからと言われていたことが、2人ともすっぽり頭から抜け落ちていた」と原さん。100km以上も自転車をこいで足がパンパンな2人は、当然のように先輩から怒られたという。それも含めて、青春時代の忘れられない思い出になっている。
「何も押し付けられない4年間でした。なっちゃんみたいな優しい先輩、面白い先輩と一緒に、射手矢先生のもとで自由にやらせてもらいました。だから、ずっと柔道を好きでいることができました」と原さんは言う。
自然農法を提唱するおじいさんから学んだ指導法
そんな自由な環境で角田は才能を開花させた。
「自然農法なんです。知ってます?」
射手矢さんから提示されたのは、想像もしないキーワードだった。
「角田たちを指導するちょっと前に、自然農法を提唱するおじいさんに会いに行ったんです。これがすごかったんですよ。これだ!と思ったんですね」
愛媛県出身の農学者、福岡正信さん(1913-2008)。新田高校(愛媛)で教員をしている大学の先輩に紹介してもらったという。「色んな種を入れた泥団子をつくり、あちこちに蒔(ま)く。『育ちたいやつは育て!』みたいな感じで。すると、その土地に合った強い作物が、中から育つという考え方なんです。岩の間から大根が生えてきたりする。自然の力と遺伝子が合えば、強いものはどこでも伸びてくるんです」
射手矢さん自身も強制されるのは好きでなく、したいことをしてきた。生徒に対しても、自然農法のような指導をしようと思った。「角田は負けん気の強さが一番の素質だと僕は思っている。だから、うち(東京学芸大柔道部)が合ったんじゃないかな」
「自然農法」で育った異端な柔道家は他にもいた。その先輩との出会いも、角田の生育を促すことになる。