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特集:パリオリンピック・パラリンピック

慶大・尾崎野乃香 大学でイスラム学ぶレスラー、階級上げてパリオリンピック銅メダル

レスリング女子68kg級でパリオリンピックに臨む尾﨑野乃香(撮影・浅野有美)

慶應義塾大学の尾崎野乃香(4年、帝京)がパリオリンピックのレスリング女子68kg級で銅メダルを獲得した。62kg級の国内選考に敗れ、一度は途絶えた夢だったが、階級変更に踏み切ってオリンピックへの切符をつかみとった。

※この記事は2024年6月公開の記事をパリオリンピックの結果を受けて再構成したものです。

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「世界で勝つより難しい」国内女子代表選考レース

パリオリンピックのレスリング競技で初日に登場した。大会前の取材で尾崎は「しっかりと金メダルを取って、レスリング(全体)を盛り上げていきたい」と語っていた。

2022年9月の世界選手権は62kg級で優勝。パリオリンピックに向けても同じ階級で挑んでいたが、「世界で勝つよりも国内で勝つほうが難しい」と言われるほど、日本女子の代表選考は熾烈(しれつ)を極めた。

尾崎は代表選考レースが始まった22年12月の全日本選手権、翌23年の全日本選抜選手権で敗れ、3位以内に入れば代表に内定できる世界選手権に進めなかった。それは日本女子の高いレベルを考えると、パリへの道が限りなく閉ざされたことを意味した。全日本選抜の試合直後、尾崎は「レスリングを始めた頃からの夢がオリンピック。今後もオリンピックに出て優勝するという大きな目標は変わらない」と話し、28年のロサンゼルス・オリンピックに目標を切り替える発言をしていた。

そうはいっても、心は重いままだった。「何をしても楽しくなかった。レスリングも、ただこなす毎日。人生つまんないって思っていた」

一度はパリへの道が限りなく閉ざされ「何をしても楽しくなかった」(撮影・浅野有美)

階級を上げることを決め、課題の防御を強化

そんな時、非オリンピック階級ではあるが、世界選手権65kg級の代表決定プレーオフに出場するチャンスが巡ってきた。尾崎は母の利佳さんから、「世界チャンピオンを目指すっていうのもすばらしいことだよ」と背中を押された。

「何をしたらまた輝けるかなって思っていた時に、65kg級でも優勝したら2階級王者として見てもらえると思ったら、今までと全然違う気持ちになれた」

新たな目標が見つかり、練習にも再び熱が入るように。プレーオフを制して代表になると、23年9月の世界選手権でも頂点に駆け上がった。その場で62kg級はライバルの元木咲良がパリオリンピック代表を射止めたが、68kg級は日本の出場枠獲得のみが決まり、代表選考は白紙に戻った。

尾崎にとっては、小さい頃からの夢に再び挑めるチャンス。階級を上げることを決めた。

オリンピック出場の夢に再び挑むため、階級転向を決意(撮影・浅野有美)

課題の防御面を強化するために知人のつてを頼り、山梨・韮崎工業高校で指導する文田敏郎氏を訪ねた。息子の健一郎は、東京オリンピック男子グレコローマン60kg級の銀メダリストで、パリでは金メダルを獲得。尾崎は毎週末、大学の授業が終わった後に山梨へ。日曜に帰京するまで、文田氏のもとで徹底的に防御を磨いた。そして昨年の全日本選手権で優勝を遂げ、代表決定プレーオフへの道を開いた。プレーオフでは残り9秒からの逆転勝ちで、パリの切符をもぎ取った。

「一回どん底を見ちゃってるから失うものがなかった。62kg級で代表を取れなかったときに、自分のがんばりが相手よりも下回っていたことを認めた。そうしたからこそ、自分が次に同じ後悔をしないようにしようって思えた」と振り返る。

女子68kg級のパリオリンピック代表決定プレーオフを制し、笑顔があふれた(撮影・藤田絢子)

イランの英雄、ハッサン・ヤズダニの大ファン

ついに代表に内定した尾崎。人生をかけて向き合うレスリングとの出合いは小学2年の時、テレビで見た映像だった。「当時はまだマットが黄色だった。その上で選手が組み合っているのを見て、これ何? やってみたい」と心を奪われた。両親が探してくれた教室に通い始めた。

もともと運動神経は良かった。スピードのある片足タックルを武器に、小学5年から全国少年少女選抜選手権で2連覇を達成。中学でも数々の大会で優勝を遂げた。高校進学と同時に、全寮制で英才教育をするJOCエリートアカデミーに入校した。卒業後、レスリングの強豪大学に進むのかと思いきや、選んだのは慶應義塾大学だった。

「ライフプランを考えた時に、スポーツをずっとやりたいという考えもなかった。学ぶ中で、興味があることとか、やりたいことが何か見つかったら、それはそれでいいんじゃないって」

環境情報学部で心の赴くままに、学業にも取り組んでいる。

入試の際に関心があったのは、人間工学や心理学だった。だが「今はイスラムの勉強をしている」。

慶應義塾大ではイスラムの勉強にも励んでいる(撮影・浅野有美)

〝推し〟の影響からだ。尾崎は2016年のリオデジャネイロ大会から2大会連続でメダルを獲得したイランの英雄、ハッサン・ヤズダニの大ファン。インスタグラムでヤズダニのファンであることを投稿したところ、イランのレスリングファンとの交流が生まれた。「ヤズダニを応援してくれるなら、僕たちも野乃香を応援するよ」。

目をきらきらさせながら周囲にヤズダニの話やイランの友人との交流を話しても、「イラン? 中東? 怖いんじゃないの? と言われてしまう。そうじゃないのに……。だから(深く知るために)まずはイスラムの宗教について勉強してみようと思った」

男女平等にスポーツができる世界になるには

イラン代表の選手やコーチとの親交も深まった。「イランの公用語のペルシャ語を勉強しようと思ったら、大学に授業がなかった。だから、似ているアラビア語を勉強しています」。そのイランでは宗教上の理由から、女性がレスリングをすることが禁じられている。「スポーツってまだまだ男女平等じゃないところがある。平等にスポーツができる世界になるにはどうしたらいいか。宗教のことも踏まえながら研究したい」

オリンピック代表決定プレーオフの前日も、尾崎は提出期限が迫った4000字のレポートに取り組んでいたという。「前日に私、何やってるんだろうなんて思いながらやってました。でも、やりきったら、試合もやるしかない!って。勉強とレスリングで、いいバランスがとれている」と笑う。

文武両道を地でいき、オリンピックでのメダルをつかみ取った。

レスリング界を盛り上げるためにも、パリでは金メダルをめざす(撮影・浅野有美)

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