日体大・藤波朱理 女子レスリング界の新星 パリでの金メダルめざし、挑む世界選手権
世界でも強さが際立つ日本女子レスリング界の新星として、注目を集めている選手がいる。日本体育大学の藤波朱理(2年、いなべ総合)。9月には、自身初のオリンピックとなる来年パリ大会の出場権をかけて、世界選手権に挑む。
アテネオリンピック前年、レスリング一家で生まれる
女子53kg級の藤波は6月の全日本選抜選手権を圧勝し、世界選手権への切符を手にした。中学2年から続く連勝記録は122に。同じ53kg級(前身の階級含む)でオリンピック3連覇を果たした吉田沙保里さんの119連勝を抜いたとして、周囲の盛り上がりは過熱している。
だが、本人は冷静だ。
「記録は過去のこと。でも、記録をきっかけに自分のことやレスリングのことをちょっとでも知ってもらえたらいいなと思います」
女子レスリングがオリンピックに初めて採用されたのが、2004年のアテネ大会だった。その前年、藤波は三重県で生まれた。競技を始めたのは4歳から。元選手だった父・俊一さんの影響で、兄もレスリングをしていた。レスリング一家に生まれた藤波も自然とその道に進んだ。
「始めた頃の記憶がない。笛の音、マットに靴がこすれる音……。その中でマットサイドで寝ていたのは覚えています」と屈託なく笑う。
レスリングを無理強いされたことがない
身長164cm。手足が長く、レスリングをするのに恵まれた体格を持つ。だが、幼い頃を振り返った藤波はこう言う。「運動神経もなくって。運動会のかけっこも順位は後半のほうでしたし。小さいときの夢は、幼稚園の先生でした」
それでも父の指導方針のおかげで続けてこられたと感謝する。
「無理強いされたことがない。やらされていたら、ここまで続けていなかったと思う」
子どもの頃の藤波について、「柔軟性が高く、タックルに入るタイミングの取り方がうまかった」と評するのは父の俊一さんだ。のびのびとした環境のもとで才能を伸ばし、現在のもう一つの武器とも言える「防御力」をコツコツと磨いていった。
「小さいときは体の線が細くて、力がなかった。足を触らせなければ失点のリスクは少ない。そう思って練習してきた」と藤波。相手が攻めようとタックルを仕掛けて来た瞬間、藤波はそこにいない。今年6月まで1年半もの間、国内外で無失点試合を続けた。
同じ三重出身、憧れの先輩を「私が絶対に倒す」
才能と努力によって、藤波はめきめきと頭角を現していった。
17歳だった2020年、国内シニアのデビュー戦となった全日本選手権で優勝。翌2021年には初出場した世界選手権を制した。
ただ、ここまでは2021年の東京オリンピック女子53kg級で金メダルに輝いた志土地(旧姓・向田)真優との直接対決の機会はなかった。東京オリンピックの前後で志土地が調整を優先し、藤波と同じ大会に出場しなかったり、別の階級で出場したりしていたためだ。
そのときから藤波は「真優さんを倒さないとパリには行けない。(直接対決が巡ってきたら)絶対に自分が倒す」と言い続けてきた。
そして、6月の全日本選抜選手権。初めての顔合わせで有言実行した。準々決勝で当たると、グラウンドの攻防を制し、フォール勝ち。圧倒的な強さを見せつけ、あとは優勝まで駆け上がった。
「同じ三重出身の選手で小さいときから真優さんはむちゃくちゃ強くて、憧れしかなかった。東京オリンピックで真優さんが優勝してから、超えたい存在になった。それが大きなモチベーションの一つでした」と振り返った。
世界選手権は昨年に続き、2年連続でセルビア・ベオグラードで開かれる。昨年は代表に内定しながら、直前のけがによって出場を回避した。「同じところでリベンジできる機会はなかなかない。世界選手権で優勝して、オリンピックで金メダルをとることしか考えていない」と意気込む。