日体大・藤波朱理がパリオリンピック代表に レスリング世界選手権V「一回り強く」
日本体育大学の藤波朱理(2年、いなべ総合)が9月にセルビア・ベオグラードであったレスリングの世界選手権女子53kg級で2大会ぶりに優勝を遂げ、来年のパリオリンピックの切符を手にした。藤波は初のオリンピック出場となる。
ウィニングランのイメージトレーニングで発奮
大会前の藤波には、日課があった。朝食前の散歩だ。その時に聞いていたのが、毎年、世界選手権の覇者がウィニングランする時、会場にかかる音楽だった。
「聞くと鳥肌が立つ。今日も一日、頑張ろうと自分を奮い立たせてきた」
オリンピックで金メダルをとるというのは、幼い頃からの夢だった。日本協会の規定で、今大会でメダルを獲得した選手は、代表に選ばれる。
藤波は4月、中学2年から続く連勝記録を119に伸ばし、2004年アテネ、08年北京、12年ロンドンのオリンピック3大会連続で金メダルを獲得した吉田沙保里さんの持っていた記録に並んだ。その後も連勝記録を伸ばし続ける19歳は技術だけでなく、精神面の強さも持ち味の一つだ。
「負けたらどうしようという思いがなくなるぐらい練習して練習して、試合前には『これで負けたら仕方ない』くらいのメンタルに持っていく。だから、緊張してダメだ、ってなった覚えはないですね」
オリンピックの重圧 いつも通りにいかない
ただ、初のオリンピック出場のかかる舞台。いつも通りとはいかないことが起きた。
準々決勝。身体能力の高いエクアドル選手から猛攻を受けた。タイミングよく両足タックルに入られるなどして開始早々、5点を失った。防御能力の高い藤波が国際大会で失点するのは2019年2月以来、4年半ぶりのことだ。
「少し焦った」
セコンドについた父の俊一コーチからの「大丈夫」という一言で冷静さを取り戻せたという。
「その一言で『絶対に世界王者になる、オリンピック(に行く)』っていう思いが頭に浮かんだ」
総合力の高さでは藤波が抜きんでている。落ち着きを取り戻し、組み手で相手を崩して技を繰り出し、最後は両肩をマットに沈めてフォール勝ちを決めた。
「オリンピックということを考えないようにしていたけど、どこかで考えてしまって、足が動きづらいことがあった。そういうことは初めての経験」
ただ、ピンチだったのはこの一戦のみだった。準決勝は開始からわずか42秒で規定の得点差をつけて試合を終わらせた。この時点で銀メダル以上を確定させて、オリンピックの代表権をつかんだ。だが、本人は「優勝をして喜びたい」。表情を緩めることはなかった。
翌日行われた決勝の相手はベラルーシ出身で、今大会は個人の中立選手として出場していた。過去には、東京オリンピック金メダルの志土地(旧姓・向田)真優が2017年の世界選手権で土をつけられたことがある。
「力が強くて、日本にはいないタイプ。ただ、自分のレスリングをできたと思う」と藤波。
得意とするタックルを次々と決め、テイクダウンを奪って得点を重ねた。自身は失点することなく、規定の得点差をつけて4分43秒で優勝を決めた。
待ちわびたこの瞬間 支えてくれる父にサプライズ
試合後、毎朝聞いていた音楽が会場に流れ出した。マット下にいたセコンドの父・俊一さんと抱き合って喜びを分かち合った。さらに父の両足にタックルを決め、会場の笑いを誘った。
「『優勝したらやろうか』と父と軽く打ち合わせていた。もっとタックルの切れを高めていきたい」とちゃめっけたっぷりに語る。
その後、マットから降りようとした父を引き留め、声をかけたあと、2人で日の丸を手にして駆け出した。父には内緒にしていたサプライズだった。
「この世界選手権で優勝したら、2人でウィニングランしたいと思っていた」
地元三重から日体大に進み、現在は父と2人暮らしをしながら練習に励んでいる。いつも支えてくれる感謝を込めてのことだった。
「娘が一緒にまわろうと言ってくれた。感無量です。今までにない景色を見られた」と父も目に涙を浮かべて喜んだ。
最短ルートで代表を決めた藤波は言う。「この世界選手権でこんなに最高なのに、もしオリンピックでウィニングランをできたらどんなに最高な気持ちなんだろうと思う。パリまで約10カ月。もう一回り強くなった藤波朱理を見てもらえるように強化していきたい」
すでに視線はパリを向いている。
4years.では、2024年のパリオリンピックでも活躍が期待される日本体育大学・藤波朱理選手の話題を随時掲載していきます。