大学アメフト

アカレンジャーにあこがれて始まった「主将道」 アメフト日本代表主将・近江克仁1

5年ぶりに結成された日本代表で主将を務めた(撮影・北川直樹)

アメリカンフットボールの日本代表が5年ぶりに結成され、31日にアメリカのテキサス州フリスコ市でTHE SPRING LEAGUE選抜との国際試合に臨んだ。NFLやカナダのプロリーグCFL入りを狙う選手たちの集まったチームに、日本は16-36で敗れた。45人の代表メンバーを束ねた主将のWR(ワイドレシーバー)近江克仁(おうみ・よしひと、24、立命館大~IBM)はいま、3月末から延期になったCFLのグローバルコンバイン(能力判定テスト)に向けてトレーニングを重ねている。日本人初のNFL選手を目指す近江の歩みと、彼が見すえるものについて3回の連載で紹介する。 

カナダでの挑戦へ準備の日々

今年1月で大手損保会社を退社した近江は、日本代表の試合のあとも帰国せず、ロサンゼルスへ向かった。同じく世界を目指すオービックのRB李卓(り・たく、25)と共同生活をしながら、世界トップクラスのトレーニング施設「EXOS」でCFLのグローバルコンバインを突破するためのトレーニングをしていた。

NFLの選手も6、7人いて、刺激の部分で大きかったです。瞬発力、爆発力が違いました。コロナの関係で10日間ぐらいしかそこでトレーニングできなくて残念でした。3月末に帰国して、体をつくり直すのにはいい期間やと思ってやってます。CFL9月の開幕を目指してるので、やるならその前にグローバル選手のコンバインはあるはずです。日本代表の試合ではアピールできたと思ってるんですけど、7月中旬にアメリカでアピールするチャンスがありそうなので、そこに行こうかなと思ってます」。近江は前向きでしかない。 

大手の損保会社をやめ、フットボールにかけている(撮影・北川直樹)

プレーでも日本代表をリード

5年ぶりに結成された日本代表で主将を務めた近江は言葉だけでなく、もちろんプレーでもチームを引っ張った。3-27で迎えた第3クオーター(Q8分すぎ、QB高木翼(富士通)から近江、西村有斗(オービック)へのパスで敵陣22ydへ攻め込んだ。第1ダウン10yd。近江は左のレシーバー。当初のプレーコールでは浅く右側へ切り込んでいくルートだったが、プレー直前に高木と目が合ったときに「アップする」というシグナルを出した。浅く切り込む動きで終わるのではなく、そこから縦へ走るダブルムーブで一気にタッチダウン(TD)を狙うという意味だ。「目の前に来たのが相手の一本目のCB(コーナーバック)だったんですけど、試合を通じてマンツーマンで十分に勝負できてる実感があったんで、ダブルムーブでいけると思いました」。近江は狙い通りにフリーとなり、エンドゾーン内で高木の浮かせたパスをキャッチ。チーム初のTDになった。ほかにもパスを捕ってからのランで大きくゲインしたプレーもあり、NFLの関係者から「日本でのプレーのビデオを送ってほしい」と言われた。 

この試合に関して近江が関西人っぽいことを言う。「テンションもモチベーションも上がりすぎて、たぶん僕の身体能力がマックスやったんですよ。試合前の練習から『今日は速いな』って実感してて、Hポールのバー(地上3.05m)にダンクしてみたんです。そしたら、いつもはできないのに初めてできたんですよね」。面白い。

家のテレビにはいつもアメフト

近江は長男として大阪市東成区で生まれ育った。小学5年生までは水泳、サッカー、空手に取り組んでいたが、フットボールは身近なものだった。父の永郎(ひさお)さん(52)は立命館大学のアメフト部で活躍し、社会人でもプレーした。ピラティスのインストラクター(スタジオ名:Pilates Home Studio T)である母の滝子さん(52)はいまもフラッグフットボールの選手でもある。家のテレビには常にアメフトの映像が流れていた。近江はいつもフラッグの練習について行っていたから、楕円(だえん)形のボールを投げるのも捕るのも、うまくなっていた。 

小学5年生の終わりごろ、父に連れられて小中学生のタッチフットボールチーム「千里ファイティング・ビー」の練習を見学に行った。見学だと聞いていたのにみんなの前に立たされ、監督が「今日から入る新人や。自己紹介しろ」と。近江が「見学だけやのに……」と戸惑いながらしゃべると、「声が小さい!」と怒られた。この日からアメフト人生が始まった。 

千里ファイティング・ビー時代の近江(66番)。QBをしているのはIBMでチームメイトの前田泰一、25番は日本代表で一緒だった小椋拓海(写真は本人提供)

父からは「アメフトをやってほしい」と言われたことはない。一方で勝負魂はたたき込まれていた。小学45年生のころ、空手の大会で対戦する選手に左利きの小学生がいた。近江は彼を苦手にしていて、2大会連続で負けた。2度目に負けて準優勝になった日、まだ表彰式があるのに父は近江に言った。「帰るぞ。帰って特訓や」。やるからには勝つ。この根性は幼いころから身についていた。 

タッチフットを始めて、中学はアメフト部のあるところに行きたいと思うようになった。父がいくつか勧めてくれた学校の中に立命館宇治中学校があった。入学案内で見た校舎やグラウンドのきれいさに圧倒されて通称「立宇治」を第一志望にすることにして、受験の1年前から塾に通って合格した。 

立命館宇治中に入ったときは148cm

いまは身長が180cmある近江も、中学に入ったときは148cmしかなかった。QB(クオーターバック)を志望したが、のちに立命館大でも同期でエースQBになる西山雄斗(現・みらいふ福岡SUNS)がすでに160cmほどあって、西山がQBで近江はRB(ランニングバック)になった。中2のときに予選を勝ち上がり、甲子園ボウルの中学招待試合に出た。「甲子園の土は持って帰ったらアカンって言われてたんですけど、全員がちょっとずつ持って帰ってました。スパイクについた土も、大事に袋に入れて。家に飾ってました」と笑う。 

中学の3年間で身長は20cm伸び、立命館宇治高校に進んだときは168cmあった。中3からWRでプレーするようになっていた近江は、父の母校でもある立命館大で活躍することを見すえ、「高1から試合に出たろう」と思っていた。WRとして3年生の先輩より実力的に上回っている自信があったが、試合に出してもらえなかった。それが悔しくて「絶対に抜いたろう」「大学ではあの人を抜いたろう」と、まだ細かった体をたくましくするためのトレーニングに励んだ。 

立命館宇治高3年のクリスマスボウルでジャンピングキャッチを決める近江(写真は本人提供)

3年生のときは高校日本一を決めるクリスマスボウルへ、立宇治として4年ぶり2度目で勝ち上がった。早大学院に12-17で負け、初の日本一は逃したが、主将を務めた近江にとって、クリスマスボウル出場を決めた関西大会の決勝が印象深いという。準決勝の大阪産大附戦でエースQBの西山が負傷。関西学院との決勝には出られなくなった。チームに危機感が高まった。いきなり大役を任された1学年下のQBとともに、どうやって関学に勝つのか。チーム内で危機感は一体感へと昇華し、立宇治は関学を下した。 

このほど日本代表の主将を務めた近江は中学、高校に続き、立命館大でも主将になった。思い返せば小学校のときに出た「3031脚」の大会でもキャプテンだったそうだ。近江の「主将道」は、そこから始まった。「周りが『やるの嫌やな』と思うようなことを、全部僕がやってきたんです。たとえば練習中に一人ちょけてる(おどけてる)ヤツがいて、みんなそいつに注意した方がいいと思ってるけど、できない。それを僕がサッと注意する。そういうのがずっと癖づいてるから、中学からずっとキャプテンになるべくしてなってきたんだと思います」 

4回生のリーグ最終戦を前に、中学から10年目のコンビとなるQB西山(左)と(撮影・朝日新聞社)

あこがれが募り、髪を赤く染めた

みんなが嫌がることを率先して、やる。見上げたメンタリティーの原点はなんと、幼いころに見ていた石ノ森章太郎原作の特撮ドラマ「秘密戦隊ゴレンジャー」にあった。「小さいころからのあこがれがアカレンジャーやったんです。アカレンジャーって、普段はみんなを笑わせたり、ちょっととぼけてるところがあるんですけど、戦うときは率先して出ていくじゃないですか。そういうアカレンジャーのような人物像を自然と目指してたのはあったと思います」。あこがれが強すぎて、幼稚園のころに粉末を使って頭を赤く染めてしまったこともあったそうだ。 

2回生の関学戦でタッチダウンパスを受けた(撮影・朝日新聞社)

大学2回生だった2015-16年のシーズン、近江は同期のQB西山、RB西村七斗らとともに主力として活躍。最大のライバル関学に5年ぶりに勝ち、甲子園ボウルで早稲田大に勝って8度目の大学日本一に輝いた。このシーズンのリーグ戦終盤に、近江は頭を丸刈りにした。関西の大学ではいまも、最上級生を中心に頭を丸めてアメフトに打ち込むという風潮がある。高校生も同じだ。本来、近江はこれが大嫌いだ。「坊主にしたから『気合が入ってる』っていう文化、どないやねんという思いがあるんです。立宇治のときも英語の試験に落ちたら坊主という決まりがあって、2年生のときに僕もやってるんです。そういうのに坊主を使うのはしょうもないと思ってて、高3でキャプテンになったときに『今年は坊主にせんといこうと思う』って言いました。それで坊主にしてる高校に勝っていって、最後に日本一をかけて戦った立宇治と早大学院はどっちも坊主にしてない学校だったんです。それはうれしかった」

 それならなぜ、2回生のときに頭を丸めたのか。4回生になったときにそうしないための布石だったのだ。「坊主がカッコ悪いからしたくないんじゃない、っていうのを示すためにやりました。シーズンが深まっていくのにチームの雰囲気が高まっていかなくて、僕はその当時から『こんなんじゃダメですよ』って発言してたんです。でもなかなかチームが変わらないから、西山に『坊主せえへん? 俺らから気合入れようや』って言って、やりました」。近江という男に芯があるのは確かだが、このときは本来の信念から一転して「坊主=気合入ってる」論に寄っているのがほほ笑ましい。 

2回生の甲子園ボウルを前に現地で練習。近江(左)の髪に丸刈りの名残がある(撮影・朝日新聞社)

甲子園ボウル連覇を狙った3回生の年から、全日本大学選手権の西日本代表を決めるトーナメントが変更になり、関西の1位と2位がリーグ戦に続いて再び甲子園ボウル出場をかけて戦う公算が大きくなった。そして立命館は2度とも関学に負けた。「2年分の悔しさで、試合が終わってすぐ『3年、集まろうぜ』と声をかけて『もう一回やり直して、4年は絶対勝とう』って話をしました」。そして前述の通り、近江は立候補して主将になった。 

エース七斗をおとりに、ロングパス成功

4回生の春、これまでけがとは無縁だったエースRB西村七斗が早稲田大戦で大けが。秋のリーグ第3戦までは一切試合に出なかった。4戦目の京大戦の1週間前、オフェンスの最初のプレーが西山から近江へのロングパスに決まった。近江がそのプレーにまつわる裏話を教えてくれた。「京大はまだ七斗は出てこないと思ってたはずなんです。それでコーチとSNS担当のマネージャーが話して、SNSに七斗が練習で走ってる動画を載せたんです。京大戦から出るぞ、みたいな雰囲気を出すために。それが効いたのかどうか分からないですけど、最初のプレーに七斗をおとりで入れたら、京大のディフェンスがみんな七斗に食いついたんです。僕は完全にフリーになれて、西山もベストボールを投げてくれてタッチダウンできました」 

時には相手に体当たりして味方を走らせる(近江は左端、撮影・篠原大輔)
4回生のリーグ戦での関学戦で、近江(中央右)は関学の横澤(中央左)を抜き去ってキャッチ(撮影・篠原大輔)

最大のライバル関学に食らったリベンジ

そして迎えた関学とのリーグ最終戦。ともに全勝同士。RB西村が本格的に戦列復帰することもあり、立命サイドは自信にみなぎっていたという。攻守蹴がかみ合い、21-7の快勝。2週間後の甲子園ボウルをかけた再戦に向けても、集中力を高く保ちながら激しい練習に取り組めたと感じていた。しかしフタを開けてみると、前半を終えて0-213-34の完敗だった。

1戦目は点差以上に圧倒できて、ただ関学は2戦目にプレーを隠してると思ってたし、コーチからもそう言われてました。でも1戦目はほぼ全員が1対1で圧倒してたんですよ。だから、この2週間で成長したら絶対に勝てる、っていうおごりがあったのかもしれないです。関学のオフェンスから始まって、1プレー目でディフェンスが10yd以上ロスさせたんですよ。それで勝ちムードが流れましたね。一瞬。次のプレーで関学のRB山口(祐介)がゴール前まで独走して。そのときにタックルミスが3回ぐらいあったんですよ。『あれっ』と思ったところでもう、試合は終わってましたね」 

2回生で甲子園ボウルに出たが、そのあとは関学が近江の前に立ちはだかった(撮影・北川直樹)

主将の反則がチームに及ぼした想定外の影響

百戦錬磨の近江も、前半に「らしくない」反則を犯した。オフェンスのプレーが始まる前に、前へ動き出してしまった。「フォルススタート」だ。近江によると、そのときの立命のプレーは彼がメインターゲットになるパスで、目の前にいた関学のDB横澤良太がプレー直前に間合いを詰めてきた。1戦目でもやり合っていた相手だったので「よっしゃ、楽しみやな」と思っていたら、プレーの始まるタイミングを間違えてしまったそうだ。 

0-14とリードをされていた場面。言葉でもプレーでもパンサーズを引っ張ってきたリーダーが珍しく犯した反則は、本人が思う以上にチームに重くのしかかった。私はのちに「あの近江さんの心が折れた瞬間を見てしまった」という後輩の言葉を聞いたことがある。近江は言う。「僕自身は何も思ってなくて、それからもいつも通りに取り組んでたんですけど、お客さんまで含めて周りの見方は違ってたんですね。試合が終わってから気づきました」

「一年間、応援ありがとうございました!」。スタンドを埋めてくれたパンサーズファンに大声で叫んで、近江の4years.が終わった。

4回生の西日本代表決定戦で関学にリベンジされたあと、お客さんにお礼の言葉を叫んだ(撮影・朝日新聞社)

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