水泳

特集:駆け抜けた4years.2025

早大・松本信歩 行政書士試験合格のオリンピアン、高いレベルの文武両道をこれからも

パリオリンピックに出場した早稲田大の松本信歩(右、撮影・柴田悠貴)

2024年のパリオリンピック競泳女子200m個人メドレーに出場した早稲田大学の松本信歩(4年、東京学芸大附属高)は、世代のトップで活躍してきてもなお、「自分はまだまだ」とひたむきに練習を続ける。早大でチームとして戦う経験は、松本を大きく成長させた。さらなる高みを目指す彼女の4年間に迫る。

気がついたら日本のトップを目指すレベルまでに

水泳を始めたのは5歳の時。泳ぎを習得してから順調にタイムが縮んでいったため、どんどん熱中していった。入会したスイミングクラブは個人メドレーを重視していたこともあり、当時から200m個人メドレーを専門にしていた。小学生で全国大会に出場、中学時代には初めて全国優勝を果たし、高校ではジュニアの世界大会の代表にも選出された。この時は直前のけがもあり4位。目標のメダル獲得にはあと一歩届かなかったが、「もっと良いタイムで泳ぎたい」と気持ちを新たにさせてくれる経験でもあった。「気がついたら日本のトップを目指すレベルまで続けていた」。水泳と向き合った日々の延長に、今の姿がある。

朝日新聞社の「受験する君へ」という特集で取材を受けた(撮影・本間このみ)

入学前から世代トップスイマーとして活躍していた松本が早大を選んだのは、勉強も競技も高いレベルで続けられる環境にひかれたからだった。同じクラブに早大へ通う先輩がいて、授業と練習を両立できる環境があると聞いた。1年生のときは新型コロナウイルスの影響でオンライン授業が中心となり、自由な時間が多かったことから、資格の勉強をするようになった。学業でも目標を見つけ、それを達成することの楽しさを知った。簿記や宅建の資格を取得するだけでなく、今年1月には行政書士試験にも合格したことを、自身のSNSで報告している。

「毎年インカレでは実力以上のタイムが出る」

早大入学後はパリオリンピック出場をつかむまで、なかなか世界大会の代表に入ることができなかった。国内大会で2位までに入らなければ代表入りできないところ、松本はわずかな差で3位や4位になることが多く、あと一歩届かない悔しさを何度も味わった。わずか0.4秒届かずに代表入りを逃したときは、本当につらかったと振り返る。

それでも小さな頃からの夢だったオリンピックを目指し、ひたむきに練習を続けた。昨年3月、パリオリンピック代表選考会の200m個人メドレーで2位に入り、ついに代表の座をつかんだ。4年に1度の大舞台に向けて調整を重ね、しっかりと調子を上げていたが、オリンピックはやはり厳しい舞台だった。決勝進出という目標には届かず、世界のトップスイマーとの実力差を痛感。日本のトップレベルだけではなく、世界で戦えるレベルを目指さなければいけないと感じ「これではダメだと思った」と総括する大会だった。

パリオリンピック準決勝の後、悔し涙を流した(撮影・田辺拓也)

オリンピックを終え、9月には早大のエースとして最後の日本学生選手権(インカレ)に臨んだ。200m個人メドレーは持ちタイム的にも「絶対に優勝しないといけない種目」で、見事に4連覇を達成。自己ベスト更新とはならなかったが、チームの得点に大きく貢献した。普段はクラブで練習している松本にとっても、インカレはやはり特別で、「毎年インカレでは実力以上のタイムが出る」そうだ。周りの雰囲気や応援、他の選手のインカレに懸ける思いが、松本をいつも奮い立たせていた。

特にリレーは特別だという。1年時の800mフリーリレーでは、仲間と「メダルを取れたら良い」と話していた中、結果はうれしい銀メダル。後続の選手が少しでも良い位置で泳げるように、自分が少しでも速くタッチしてつなごうという思いが好結果につながった。学内でチームを運営してくれた同期や、支えてくれたマネージャー、スタッフへの感謝の気持ちも尽きない。後輩たちも競技レベルの高い選手が多く、より強い早稲田になってほしいと期待を込める。

昨年の国民スポーツ大会で、今大会限りの引退を決めていた大橋悠依(右)と(撮影・森田博志)

国際大会で自己ベストを毎年更新し、次のオリンピックこそ

競泳の好きなところは、わかりやすさだという。コースロープで仕切られ、誰にも邪魔されない空間で泳ぎ、先にタッチすれば勝ちというルール。だからこそ、タイムを出すためには自分との戦いになる。

パリオリンピックの代表選考会では、100mバタフライでの代表入りも狙っていたが、2位の池江璃花子(横浜ゴム)に0.01秒及ばずに代表を逃した。ほんの一瞬の差が結果を大きく分け、しかしタイムはウソをつかないからこそ、自分の努力も目に見えてわかる。それがここまで松本が競泳を続けてきた理由の一つだ。パリオリンピックを経験し、自分よりも体格の大きい世界の選手たちと戦うためには、どうすればよいのかと考えるようにもなった。

競泳は自分との戦い。これからも追求していく(撮影・樫山晃生)

自身より3秒も4秒も速い選手と間近で泳いだことで、まだ自分は戦えないと思った一方、「伸びしろもある」と思えた。200m個人メドレーで世界で勝負するには、100mの各種目で日本選手権の決勝を戦えるレベルにならなくてはいけない。今後の大きな目標は、パリでは果たせなかったオリンピックの200m個人メドレー決勝で戦える選手になること。国際大会では、自己ベストを毎年更新することを目指す。

これからもさらなる高みを目指し、松本は日本の競泳界を代表する存在として活躍していくことだろう。

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