水泳

特集:うちの大学、ここに注目 2024

松山陸 恩師に救われた競技人生、明大卒業後も二人でめざす28年オリンピックメダル

レース前に笑顔を見せる松山(すべて撮影・明大スポーツ新聞部)

3月17日から24日にかけて行われた国際大会代表選考会(パリ五輪代表選考会)の100m背泳ぎで見事1位となり、五輪代表となった松山陸(銀座千疋屋)。大学卒業後も母校・明治大学を拠点に、佐野秀匡監督の指導の下で活動を続けている。苦しみから救ってくれた監督と共に、五輪での表彰台入りを目指す。

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人生初の不調 引退を思いとどまらせた言葉

「レベルが低いところからのスタートだったので、ベストタイムが更新できない年もなく順調に」競泳を続けてきたという松山。高校生の時にはインターハイで100m背泳ぎ、200m背泳ぎで二冠を飾った。この好成績を受け、日本学生選手権(以下、インカレ)4連覇の実績を持つ明大へ進学。大学1年時のインカレでも100m背泳ぎ、200m背泳ぎの二冠を達成した。安定して記録を更新し続ける優れた選手として、順風満帆な競技人生を送っていたかのように見えた。

競技中の松山

しかし、大学2~3年時に調子が低迷。精神面からくる不調によりスランプに陥ってしまう。「練習もできなくて苦しい感じで、少し水から逃げてしまう部分が多かった」(松山)と初めて直面した壁に苦しんだ。そこで、佐野監督と話し合い、練習環境を変えることで不調からの脱却を図る。大学3年時の夏から、練習の拠点を、地元のスイミングスクールから明大に移し練習に励むこととなった。明大での練習が始まってからも「相当落ちていた部分があった」(佐野監督)、「ブランクがある感じで、かなり落ちてしまった」(松山)と、簡単に調子は上がらない。

大学3年時の松山は、自身の進路で迷っていた。幼少期から続けてきた大好きな競泳から離れ就職をして社会人になるのか、このまま競泳を続けるのか。悩んだ状態で迎えた12月のジャパンオープン。松山はこの大会で進路を決めようと挑んだものの、どの種目でもA決勝に残れず。思うような結果を出せずに終えてしまった。

結果を受けて、松山は一度競泳をやめる決意をする。しかし佐野監督の言葉が、松山を思いとどまらせた。

「『中途半端なのにやめていいのか』と言ってくれた。『せっかく小さい時から頑張ってきたのに、夢のオリンピックに手が届きそうなところまで来たのに』と。監督が僕のことを信じて声を掛けてくれたことは、佐野監督の下で(まだ)やりたいと強く思ったきっかけの一つになった」。松山はやはり、もう一度競泳に向き合うことを決めた。

楽しさ思い出した大学4年 復活ののろし

「一生懸命練習して、どん底からはい上がってきた」と語る松山は、4年生となった昨年、ジャパンオープンなど国内の大会で、かつての姿を彷彿(ほうふつ)とさせる好成績を残す。インカレでは100m背泳ぎで2位、4×100mメドレーリレーでは第一泳者として出場し優勝。同年のジャパンオープンでは100m背泳ぎ、200m背泳ぎで日本人トップの成績を飾った。

ジャパンオープンで表彰台に立つ松山

「嫌いになったわけではないけれど、心から楽しめてなかったなっていうのをすごく感じていた」という低迷期から、徐々に調子を上げ、明大での練習が肌に合うことを実感していくようになった。かつてはただただ苦しかった練習が、佐野監督の下では、競泳を好きな気持ちや楽しむ気持ちを保ちながらできるようになった。

「水泳は楽しいものなんだよっていうのを思い出させてもらった」「苦しい競技の中で、楽しいと感じて練習できると、練習でもレベルが上がる、パフォーマンスが上がる」。自身の成長を強く実感するようになった。

競技人生初のスランプを佐野監督の下で乗り越え、復活ののろしを上げる。松山にとって、もう一度競泳に向き合う転機となった。

きゃしゃな体に速さ 伸びしろ豊富

目標に向けて、2人の準備は着々と進んだ。卒業後のスポンサーとして、銀座千疋屋と契約。佐野監督が松山のためにスポンサーを探すべく明大水泳部のOBに相談をして、話が持ち上がったという。銀座千疋屋側も松山に五輪出場の可能性を見いだし期待。実際に松山本人とも話をした末にスポンサー契約を結ぶことになった。「自分1人で水泳をやってるわけではない。応援してくれてる人たちの力もちゃんと自分のパワーに変えて、速い選手になりたい」。五輪に向けた熱量が、どんどん膨れ上がっていく。

恩人である佐野監督からの後押しも受け、共に五輪でのメダル獲得に向けて励むこととなった松山。佐野監督と互いに信頼する関係性が築かれている。

監督から見た松山の強みは、「水泳選手の中ではかなり細身できゃしゃな体だけれども、スピードを出せる力を持っていること」。実際、松山が本格的なウェートトレーニングを始めたのは、大学4年の秋からだと言う。「大学4年間で(ウェートトレーニングを)全くやらないでトップレベルまで来ているので、まだまだ伸びしろがたくさんある」(佐野監督)。トレーニングの効果は早々に表れており、今年1月の「KOSUKE KITAJIMA CUP 2024」では、100m背泳ぎで入江陵介(イトマン東進)を破り1位を獲得。進化の余地を残している松山に、監督も期待が止まらない様子だ。

パリよりロス五輪 監督信じてメダルめざす

笑顔を見せる松山(左)と佐野監督

そんな2人が見据えるのは2028年に行われるロサンゼルス五輪でのメダル獲得だ。二人三脚でやっていくことを決めた際、佐野監督は「パリでメダルを取るところまで行けるかというと、かなり厳しい状況。なので、4年間かけてロサンゼルスで勝負しよう」と松山に伝えたという。ロサンゼルスはかつて、佐野監督が留学していた土地。「第2の故郷だから、ぜひロサンゼルス・オリンピックに行きたいと思っている」と、思い入れのある地での夢の実現を目指す。

「オリンピックでメダルを取ることは、なかなか達成できない高い目標だと思う。けれど、監督は『信じて付いてきてくれれば、上に連れていく』と言ってくれているので、僕は監督を信じて突き進む」。二人三脚で歩み始めた2人の夢は、まだ始まったばかりだ。

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