明大・宮川昌大 宇田幸矢から教え受け、戸上隼輔と高め合った3人目の明治大のエース
明治大学の宮川昌大(4年、野田学園)はTリーグの琉球アスティ―ダにも所属する、威力ある両ハンドと力強い雄たけびが特徴的な選手だ。関東学生1部リーグ戦(以下、リーグ戦)では不在がちだった戸上隼輔(4年、野田学園)と宇田幸矢(4年、大原学園)の穴を埋め、〝明治大のエース〟としてチームを支え続けた。大学ラストイヤーは個人戦のシングルスで関東学生選手権優勝、全日本大学総合選手権・個人の部(以下、全日学)で準優勝。大学卓球界にその名を刻み、次のステージへ歩みを進める。
監督からの期待に応える「2点起用」
明治大学卓球部は歴史と伝統に満ちた大学卓球界の名門だ。これまで東京オリンピック金メダリストの水谷隼や、リオデジャネイロオリンピック銀メダリストの丹羽孝希ら、日本男子卓球界の中心を担ってきた選手たちを多く輩出している。現在も全日本2連覇の戸上と世界ランク自己最高19位の宇田が「2大エース」として活躍してきた。ただ〝明治大のエース〟はもう一人いる。宮川昌大だ。
卓球の名門・野田学園中高から明治大へ進学した宮川。「ユニホームの色とか全部がかっこよく見えた」と憧れや熱い気持ちを胸に、紫紺軍団の仲間入りを果たした。ただ、周りは全国で名をはせた選手ばかり。リーグ戦のメンバー入りは決して簡単な道のりではなく、必死に努力を重ねた。
コロナ禍による制限が徐々に緩和され、春季リーグ戦が再開されたのは宮川が大学3年になった2022年。チームメートの戸上と宇田が海外遠征などと重なり出場できない中、全7試合でシングルスとダブルスの「2点起用」をされた。2点起用はチームのエースによく使われ、髙山幸信監督からの高い期待の表れだった。宮川はシングルス5勝、ダブルス3勝とチームの優勝に大きく貢献。ただ本人は「自分がもっと勝ちを重ねることがチームにとって大事。そう気付いて、練習の時から追い込むことを心掛けた」と心から満足はしていなかった。
明治大は全日本大学総合選手権・団体の部でも優勝を果たし、秋季リーグ戦は3大大会制覇をかけて臨んだ。ここで宮川は圧巻の活躍を見せ、シングルス全勝。チームとしても全勝優勝を果たし、見事にグランドスラムを達成した。名実ともに〝明治大のエース〟となり、彼の活躍なしでは偉業を達成できなかったと断言していいだろう。
高校から一度も勝てていない相手に雪辱
ラストイヤーのリーグ戦も戦い抜き、シングルス通算25戦22勝。宮川は全大学の4年生選手の中で最多勝利を収めた。また個人戦のシングルスでも集大成を見せた。特に躍動したのが、学生日本一を決める全日学。実は高校時代から、シングルスでは全国の舞台で思うような結果を残せておらず、大学2年時は12位。グランドスラムを達成した翌年はまさかのランク外(32強)だった。それでも2023年は4年生としての意地を見せ、これまで高かったベスト16の壁を越え8強まで勝ち進んだ。
準々決勝の相手は高校時代から一度も勝てていない愛知工業大学の谷垣佑真(2年、愛工大名電)。途中までゲームカウント1-2でリードされたが、劣勢でもボールに食らいつくことで、相手にプレッシャーを与えミスを誘発。加えて強烈な両ハンドが炸裂(さくれつ)し、見事勝利を収めた。初のベスト4進出を果たした。勢いそのままに決勝まで駆け上がり、準優勝。「今まで勝てたことのない選手に勝てて本当にうれしかった。決勝に来られたことも自信になった」。優勝にはあと一歩届かず、悔しい気持ちも残る一方、全国の舞台で表彰台入りを果たし、輝きを放った瞬間でもあった。
最強の同期でライバルでもある2人の存在
「戸上選手や宇田選手がいなかったら今の自分はいない。2人の活躍を見て自分も頑張れている」と言う通り、宮川にとって2人の存在は大きい。コロナ禍で大会がなかった時期には「宇田選手からフォアハンドとバックハンドのフォームとか、いろいろ教えてもらった」。おかげで威力のあるボールを打てるようになり、〝強打〟は宮川の代名詞に。また「戸上選手とは中学からずっと一緒にやってきて、今すごくいい結果を残しているので、自分もそれに負けじと結果を残したい」と刺激を受けている。今の日本男子卓球界のトップ戦線を走る、同期でありライバル2人が宮川をこれほどにまでに強くした。
チームを支えてきた宮川に髙山監督も「苦しい試合を何度も勝ってチームを優勝に導いてくれた。本当に4年間頑張ってくれた」と賛辞を惜しまない。大学卓球界を代表する選手にのし上がった宮川が、この世代で3人目の〝明治大のエース〟として、日本男子卓球界に旋風を巻き起こす日は、そう遠くないはずだ。