早稲田大・江村優有 ケガで棒に振った4年目も成長の糧「グローバルなプレーヤーに」

昨年5月3日、宇都宮市。早稲田大学の江村優有(ゆうあ、4年、桜花学園)は、3人制バスケットボール女子日本代表のメンバーとして「パリ2024 FIBA 3x3 ユニバーサリティオリンピック予選2」の初戦・オーストリア戦を戦っていた。
パリオリンピック出場をかけた重要な大会の初戦で、メンバー唯一の大学生は鬼気迫るパフォーマンスを発揮していた。オーストリアは4人のメンバー中、3人が180cm超という大型チームだったが、少女のころから長崎・佐世保の米軍基地で年長のアメリカ人に戦いを挑んでいた江村は動じない。ドリブル、外角シュート、アシスト、ディフェンス……。身長162cmと小柄ながら多彩なプレーで相手を翻弄(ほんろう)し、接戦の立役者として輝きを放った。
「ユーアースペシャル」。実況を担当した英語話者のアナウンサーは連呼した。 それが「You are」と「ユウア」をかけた洒脱(しゃだつ)な表現だったかどうかは確かめようがないものの、その日の彼女は疑いようがないくらい特別な選手だった。

しかし、思いもしないアクシデントが起こった。残り1分26秒、日本が17-15と抜け出したタイミングで、リバウンドに飛び込んだ江村はボールを抱え込んだままコートに倒れ込み、苦悶(くもん)の表情を浮かべた。
江村は当時の心境を振り返って言った。
「『ああ、これはやったな』って思いました。脛骨(けいこつ)がひざより前に出て、普段じゃない動き方をしていたから、すぐにわかりましたね」
病院に搬送され、左前十字靭帯(じんたい)損傷と診断された。オリンピックでの華々しい活躍も、かけがえのない大学最後のリーグ戦もインカレも、一瞬で吹き飛んだ。その喪失感をどのように乗り越えながらその後の日々を過ごしたのか、というテーマで話を聞こうと取材に向かい、感傷的な言葉が出ることを想定してインタビューを始めた。
良い意味で予想を裏切られた回答
しかし、その予想は裏切られた。江村は当たり前のように言った。
「オリンピックに出るチャンスを逃してしまったっていうこと、結果を見たら金メダルを狙えるチャンスがあったっていうことの悔しさはありましたけど、次の準備に向けてリハビリを頑張るだけだったので、そんなに長く気分が落ち込むことはなかったですね。すべては成長の糧。苦しいとかつらいとか感じている時間がもったいないので」

取材を行った2月中旬、江村は大学内の施設でリハビリとトレーニングに明け暮れる日々を過ごしていた。ケガの経過は順調で、走る・跳ぶといった動作はスムーズになってきたという。「だいたい8時半くらいに大学に来て、リハビリをやって、バスケをやって。週に6日、長い時は8時間とか9時間くらい体育館にいます」
江村は今、大学4年目のシーズンを棒に振ったことで結果的に得られた「残り1年の選手登録期間」を活用し、バスケットボールの本場・アメリカの大学でプレーする方法を模索している。
「『アメリカに留学した』という実績を作りたいわけでなく、マーチ・マッドネス(NCAAトーナメントの呼称)を経験して、アメリカのバスケの文化や知識、ファンダメンタルを再認識したい。あとはケイトリン・クラーク(WNBAインディアナ・フィーバー)、ペイジ・ベッカーズやエイジー・ファッド(コネティカット大学)、ジュジュ・ワトキンス(南カルフォルニア大学)など同世代のトッププレーヤーとプレーしたいです」
おそらく前例のないチャレンジをしている江村には、その場で立ち尽くしたり、後ろを振り返ったり、感傷に浸ったりする暇がない。

さまざまなカテゴリーを経験し、培った「洞察力」
「グローバルなプレーヤーになりたい」。家族の影響で競技を始めた頃から、思いは一つしかなかった。一方で年を重ねるうちに「学生アスリートを極めたい」「スポーツ科学の知識を自分の中に取り入れて成長したい」という思いも芽生えるようになった。
全国屈指の名門・桜花学園で1年時から主力の座をつかみ、2、3年時にはウインターカップで2連覇を達成。おそらく望めば、どこのチームにでも行けただろう江村は、早くから早稲田大への進学を希望していた。
江村は入学時から突出したパフォーマンスを見せた。デビュー戦となった1年時の関東大学選手権、3位決定戦(白鷗大学戦)で48得点12リバウンドという驚異的な数字をたたき出し、1年生ながら大会得点ランキング2位に君臨。2年時の同大会では得点王とベスト8賞、ファン投票によるMIP賞も受賞した。
大会後には5人制の日本代表候補に選出され、オーストラリア遠征や国際強化大会を経験。7月には3人制のU21日本代表としてモンゴルで行われた大会に出場し、その後すぐに学生選抜の一員としてWリーグが主催するサマーキャンプに戦いの場を移した。
江村は大学4年間で身につけたものの一つに「洞察力」を挙げる。これは3人制、5人制、大学、日本代表、国内、海外と、さまざまなカテゴリーを経験したたまものだろう。「さまざまな環境でバスケをすることで、その国の文化や価値観がゲームの組み立てや考え方に影響することを感じ取れて、勉強になりました。バスケットの本質の部分、特にIQを高められたかなと思います」
勉学にも全力投球した。江村が在籍したスポーツ科学部は2年時よりコースが分かれ、体育会各部の部員の多くがコーチングコースに進む中、単位が取りやすいとは言えないトレーナーコースに進んだ。「自分はケガが多かったので、ケガをしない体作りやケガに対するアプローチを学んで、生かしたいなって思って。あとはトレーニングに生かせるピリオダイゼーションだったり、パフォーマンス全般に生きるバイオメカニクスだったりを幅広く勉強しました」

コートに立てない状況で、言葉力を磨いた
江村が早稲田大を選んだもう一つの理由に、学生主体のチーム運営がある。日本一という目標に向かう道筋やアプローチがそれぞれに委ねられているスタイルは「誰かに強制されてバスケをしてないから、バスケを嫌いになったことがない」と話す江村によくマッチした。
「グローバルなプレーヤーになる」という目標に向かってストイックにトレーニングを重ねる江村は「みんながみんな同じにならなくていいし、同じにしようとも思わない」と、仲間たちに自分と同じ熱量を求めなかった。仲間たちも江村の突き抜けた思いをリスペクトしながら、自分なりの鍛錬を重ね、それぞれの役割を果たすために成長していった。
ただ、チームの大黒柱でありエースである江村がチームを離脱した今シーズンは、さすがに大きな動揺が走った。コートに立てない自分ができることは何か。江村は言葉の力を磨き、仲間たちの不安を払拭(ふっしょく)しようとした。
自分の経験や知識をもとに、的確なアドバイスや指示を出す。当初は「うまく伝わっていないな」と思うこともあったが、試行錯誤を重ね、コミュニケーションをブラッシュアップしていった。
「話が長いと聞く方の集中力が持たないし、大事なことが何かがわからなくなるので、要点をキーワード化して、プライオリティーを決めて話すことを意識していました。ボキャブラリーを増やして、いろんな視点、角度から考えて、その時・その人に応じた伝え方を使い分ける。勉強になりました」
インタビューは苦手だと笑った江村だが、その言葉はいずれも迷いがなく、簡潔で、強かった。

「行けるとこまで行って、楽しみたいだけ」
江村は4月から早稲田大大学院でコーチングを学び、独自にトレーニングを積んで渡米の準備を行う予定だ。
NCAA1部の強豪校……かなうならばWNBA選手を多く輩出している伝統校・コネティカット大に編入し、「マーチ・マッドネス(3月の狂気)」と称されるほどの注目を集めるNCAAトーナメントを戦いたい。近々の目標はそのように設定しているが、その後についてはあえて具体化していない。
「もうずっと行けるとこまで行って楽しみたいだけなので、ずっと上を目指していく感じです。どんどんどんどん成長していきたいし、うまくなりたい」
行けるところまで行く。それは世界最高峰のリーグWNBAを指すのかと尋ねると、江村は「まあそこも一つですね」とだけ答えた。行けるところまで行き、たどり着いた場所には、一体どのような世界が広がっているのだろうか。
