バスケ

特集:駆け抜けた4years.2025

日本大学・米須玲音(上)ケガに悩まされ続けた4年間、プレーバックしたインカレ決勝

ラストイヤーで復活し、インカレ優勝に大きく貢献した米須玲音(撮影・井上翔太)

授業、ゼミ、卒業研究。大学生としてやるべきことはすべて2024年末までに済ませたと日本大学の米須玲音(4年、東山)は胸を張る。卒業研究のテーマは「ターンオーバー(ボールを失うミス)の試合の勝敗への影響」だった。

「自分たちの試合を1試合1試合見て、ターンオーバーの起きた状況をまとめて、分析して。ターンオーバーが多いから試合に負けるというものでなく、種類によって違ってくるっていうことがわかったので、今はそれを踏まえながらプレーしているとこも少しあると思います」

すでにプロバスケ選手のたたずまい

米須が川崎ブレイブサンダースでプロキャリアをスタートさせたのは、昨年12月15日にあった全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)決勝の約10日後。本稿のための取材を実施したのは、それから約1カ月後の今年1月中旬だった。スポンサー向けに大量のサインを書き終えたばかりの22歳のたたずまいは、すでに大学生からプロバスケットボール選手に切り替わっていた。

「(特別指定選手として川崎に在籍した)高校3年と大学1年の時は、そこまで試合に絡んでなかったですが、今は結構試合に出させてもらっているので『プロになったな』という実感はすごくありますし、責任も大きいです。特指時代から練習のやり方が変わったので、最初は調整が難しかったですけど、今はもう自分でルーティンを作れているので苦しくはないですね。体のケアもトレーナーさんと相談しながら、大学の時以上に気を使っています」

川崎ですでにプロとしてのキャリアを歩み始めている(©KBT)

米須の大学4年間はケガとの戦いだった。川崎でプレーしていた大学1年時の1月に右肩を脱臼し、2年時の7月にあった新人インカレ(プレ大会)で右ひざの前十字靭帯(じんたい)を損傷。復帰直後の翌年6月、さらには10月にも脱臼を繰り返したことをきっかけに手術に踏み切り、再度の復帰を果たしたのは4年秋のリーグ戦だった。「(大学4年間のシーズンのうち)半分も出ていないですね」と、米須は小さく苦笑した。

大倉颯太からのメッセージに励まされた

米須は高校まで大きなケガをほとんどしていない。脱臼をした直後は事の大きさをあまり理解しておらず、トレーナーから「全治に半年はかかる」と聞いて初めてショックを受けたという。バスケができない初めての日々を乗り越え、復帰し、そこからわずか数カ月で再びケガをしたときは、さすがに状況を受け入れられなかった。

「(靭帯が切れる)音はしたんです。したんですけど、病院に行くまで『大丈夫であってくれ』と思っていました。でも先生から状況を聞かされた時は『ここで前十字か』って……。寮に戻ってからもすごくつらかったというか」

米須はかすかに震える声で、そう振り返った。しかし直後、「でも」という言葉を口にしたときにはすっと気持ちが切り替わっていた。

ケガに悩まされ続けた日本大学での4年間だった(撮影・青木美帆)

「大倉さん(大倉颯太、現・アルバルク東京)がその日にメッセージをくれたんですよ。ちょうど試合を見てくれていたらしくて『やっちゃっただろうなと思ったよ』みたいなことを言ってくれて」

東海大学時代に前十字靭帯断裂を含む大ケガからの復帰を果たし、プロの舞台に進んだ先輩の気遣いがうれしく、励まされた。「きちんと段階を踏めば復帰できる。頑張るしかない」と気持ちを立て直すことができた。

大学3年時、再び右肩を脱臼したときは、これまでのケガとは別の葛藤があった。脱臼は癖になる。これを防ぐ手術をするのか、しないのか、いつするのか。米須は周囲から助言を得ながら、リーグ戦後に手術することを決めた。

「最終学年で思い切りやるために、3年のインカレと4年のトーナメントは諦めて、調整しやすいリーグ戦から復帰しようと。いずれは手術しないといけないとわかっていたので、そこは全然落ち込んでいません。でも、チームメートに申し訳ないなとは思いましたね。責任のある立場だから。『自分はインカレに出られません』と伝えるときは、やっぱりちょっと苦しかったです」

4年目のリーグ戦に照準を合わせて復帰してきた(撮影・青木美帆)

就任予定のキャプテンを井上水都が担ってくれた

仲間たちは米須の決断を受け入れ、支えてくれた。

リハビリに全力を尽くすため、そして復帰後はプレーに専念できるようにするため、米須が就任する予定だったキャプテンを井上水都(4年、土浦日大)が担うことになった。リハビリの一環として行っていたトレーニングの成果を事あるごとに褒めてくれた。「自分、褒められて成長するタイプなんで。『ずっと一緒に生活しててもわかるぐらい体が大きくなってる』みたいな感じで言ってくれて、それが結構うれしかったりしました」

大学最後のインカレ決勝、日大は東海大に70-63で勝利し、15年ぶりとなる優勝を果たした。勝利の雄たけびを挙げるときが刻一刻と近づくにつれて、米須の胸には4年間の苦しみがプレーバックし、積もり、試合終了のブザーが鳴り響いた瞬間に決壊した。

米須はコートにしゃがみ込んで、泣いた。

「あのときはもう足に力が入らなくて、崩れるみたいな感じでした。高3のウインターカップ(全国高等学校バスケットボール選手権)決勝で負けたこと、大学でケガに苦しんだこと。いろんなことを思い出して、自然と涙が出ました」

インカレ決勝の最終盤でフリースローを沈め、新沼康生(後方)にたたえられた(撮影・井上翔太)

***
後編は26日に公開予定です。

in Additionあわせて読みたい