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特集:第73回全日本大学バスケ選手権

東海大・大倉颯太、全ては最後のインカレのために 大けがから早期復帰した男の覚悟

大倉(右)は全治12カ月の大けがから予定よりも3カ月早く復帰した(撮影・全て青木美帆)

11月某日。東海大学の体育館を訪れると、男子バスケットボール部がインカレに向けたモチベーションビデオの撮影をしていた。この日の撮影テーマはレイアップシュート。選手たちが次々にそれを決める中で、大倉颯太(4年、北陸学院)は185cmの上背からワンハンドのダンクシュートを何本も決めた。しなやかかつダイナミックな跳躍から生まれるそのシュートに、仲間たちは大きな歓声をあげていた。

「『本当にもう大丈夫なの?』みたいなことを言われるのが、一番嫌なんです」。大倉はその後に行ったインタビューの中でそう言った。約1時間にわたるやり取りの中で、最も感情があらわになった瞬間だった。

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3カ月も早い復帰

特別指定選手として千葉ジェッツに同行していた大倉が、右膝を負傷したのは2月のこと。クラブによる「前十字靭帯断裂、内側側副靭帯断裂、内外半月板損傷、全治12カ月」というリリースに、多くの人が“大学ラストシーズンの大倉を見られないのか”と悲しんだ。しかし大倉はそんな人々を驚かせるように、10月31日の関東大学リーグ戦(オータムリーグ、第8節)で公式戦のコートに舞い戻った。

当初のリリースより3カ月も早い復帰。心配の声があがるのは当然と言えば当然だ。しかし冷静に考えると、長く豊かな競技人生を望んでいるだろう大倉、そして彼を支える関係者たちが、無理を押した復帰を選択するわけがないということが分かる。「嫌なんです」という言葉には、そういったニュアンスが感じられた。

メディカルスタッフに精神的にも支えられ

とは言え、大倉が復帰を急ぎ、シーガルスの一員としてプレーすることにこだわったのは事実だ。焦点は大学最後の大会となるインカレ(12月6日開幕)を、最良のコンディションで戦うこと。「そこに向けて、『もしリーグ戦が開催されるのであれば10月11月には試合に出たい』と先生に伝えていましたけど、『ひざの状況と本人次第ではあるけれど、あまり現実的な目標ではない』と言われましたね。ただ絶対無理とは言われなかったし、自分次第だったらいけるんじゃないかと思っていました」

受傷の3日後に行われた1回目の手術後から、大倉は早速復帰時期をぐんぐんと巻いた。1週間を予定された入院は3日で切り上げた。2回目の手術の必須条件だったひざの屈曲を予定より早く取り戻し、その術後の入院も1週間縮めた。早期復帰のための秘密兵器はない。プロトコル(治療計画)を遵守しながら、リハビリにできるだけの時間を割き、状態が回復していくのを祈るしかない日々だったが、大倉は「『頑張っている』とか『きつい』という感情は特にありませんでした」と振り返る。その背景には、復帰に関わったメディカルスタッフたちの存在があった。

「受傷から間もない時期はそれなりに落ち込みましたが、専門家の皆さんに『今の医療だったら落ち込むけがじゃないから全然大丈夫』『いろんなところを酷使してたし、全部治すいい機会だよ』と前向きな言葉をいただいたのはありがたかったです。おかげで『選手生命が……』とか『パフォーマンスレベルが……』みたいなことでなく『しょせん手術だろ』って軽く考えられたので。リハビリに携わってくださった方々もいい方ばかりでした。リハビリは同じ動きの繰り返しなので、やる気を保つのが大変な時もあるんですが、復帰のことを話してくれたり一緒にメニューをやってくれたり、楽しい時間にしてくれて。『リハビリを頑張らなきゃ』ってマインドでいたら、たぶんつらくなっていたと思うんです。でも『皆さんに会うためにリハビリに行っていた』みたいな感じだったので、気負いすぎず、なんならけっこうチャラチャラと取り組めたというか(笑)。僕はリハビリに充てる時間を確保して、皆さんに身を預けて、何かを考え込むことなく、ひたすらメニューに取り組むだけでいられました」

関東大学リーグ戦ではまだプレータイムこそ限られていたが、攻撃の起点となり、自らもシュートを決めた

全幅の信頼をおく仲間たちとの二人三脚の末、大倉は百戦錬磨のドクターが「今まで見てきたアスリートの中で一番」と驚くほどのスピードで復調し、10月25日には待望のゴーサインが出た。10月31日の復帰戦は13分のプレータイムにとどまったものの、以降の3試合は20分程度までそれを伸ばし、優勝決定戦となった11月7日の日本大学戦では22得点(うち3ポイント4本)、5リバウンド、2アシスト。素晴らしいスタッツを挙げて、自身にとって1年生の時以来となるリーグ優勝に貢献した。

涙する同期にあえて「よく頑張ったね」とは言わない

クールな振る舞いからは一見分かりにくいところがあるのかもしれないが、大倉の東海大というチームに対する思いは非常に深く、広い。

1年生の時から学生スタッフとともに映像分析を担い、コーチに戦術を進言することも少なくない。昨年のインカレ終了後に拠点を千葉ジェッツに移してからはスタッフ陣と定期的に連絡を取り、3月からの新シーズンに向けたチーム構想や戦術を練り始めていた。SNSにおける受傷後の第一声は「(前略)本当に楽しみにしていた大学4年目。あのメンバーともう一回、このユニフォームを着て試合がしたいです」。当時の心境を「けがでプレーできないということよりも、このチーム・メンバーでプレーできないかもしれないということにショックがありました」と大倉は振り返る。

リーグ戦では主にシューティングガードとしてプレーしたが、大倉がトップの位置でボールを持つとチームは落ち着いた

そのような思いがあったから、大倉は大学に戻った6月以降も、チームのために様々なことを買って出た。ビッグマンのバックアップを務める張正亮(3年、東海大諏訪)のワークアウトを引き受け、コンビを組む河村勇輝(2年、福岡第一)のシューティングにリバウンダーとして付き合い、合間には戦術やスキルの話をたくさんした。

準優勝に終わった7月の関東学生選手権(スプリングトーナメント)の閉会式では、落胆する佐土原遼(4年、東海大相模)と八村阿蓮(4年、明成)に「ここで負けるのは正直許されないから」と言葉をかけた。東海大はこの大会でコンディショニングに苦戦し、プレータイムが長かった2人は特に疲労の色が濃かった。「コンディションを言い訳にしないプライドがあったから彼らは泣いていたわけで、それを分かっていて『よく頑張ったね』とは言えません」。同級生たちがどれだけ誠実にバスケに向き合っているか知っているからこその、厳しい言葉だった。

「颯太(11番)がいると、タイムアウトをとらずにコート内の選手たちで修正できる」と佐土原(23番)。大倉の能力はチームのあらゆるところで発揮される

大倉の発する言葉には、以前から有無を言わさぬ鋭さがあった。大けがを経たからなのか、集大成が間近だからかは分からないが、1年前の同じ時期にインタビューを行った時よりも更に研ぎ澄まされた意識と覚悟を感じた。インカレへの思いはただただシンプル。「勝ちたい。いや、勝たなきゃいけない」。有終の美に向けて、既に腹は据わっている。

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