陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2025

筑波大・宗澤ティファニーと八重樫澄佳(下)「一人一躍」のチームだから、学べた自立

対談を終えてツーショット撮影になったところで、晴れ間がのぞいた(すべて撮影・井上翔太)

2024年5月の第103回関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)女子1部走り高跳びで、ワンツーフィニッシュを飾った筑波大学の宗澤ティファニー(4年、滝川第二)と八重樫澄佳(4年、黒沢尻北)。対談の後編は、大学で成長につながった点やそれぞれの卒業後の選択について語った。

【前編】筑波大・宗澤ティファニーと八重樫澄佳(上)走り高跳び、ワンツーフィニッシュの背景

お互い「この能力が欲しい!」というところは?

――筑波大学に入って、ようやくチームメートになるわけですが、それまでの印象から変わったところはありましたか?

宗澤:大学に入る前の印象は、めっちゃ真面目で、勉強もできて、優等生かなと思っていたんですけど、実際に優等生の部分はあるんですけど、普通の大学1年生、年頃の18歳の人って感じでした(笑)。

八重樫:私はマイペースだなというか、ちょっとフワフワしていそうな不思議なイメージだったんですけど、もちろんそういうところもあるんですけど、それ以上に自分軸がしっかりしていました。自分で「これ」と決めたことは絶対にやるんですよ。しっかりしていないと思われる部分もあるかもしれないけど、私より断然しっかりしています(笑)。練習も本メニューに入るまでに、自分のやるべきこととかルーティンをしっかり持っていて、自分の機嫌を自分で取るのが上手なイメージです。

――お互い「この能力が欲しい!」というところは?

宗澤:突き詰めて考えるところです。あと、落ち込む姿は結構見られるんですけど、怒るとか、イライラするとかは、本当に心の中でうまく消化しているなと思います。そういう姿を見たことがないので。「イライラする状況でしょ、いま」っていう時でも、うまく自分の感情をコントロールできているから、大人だなと思います。

八重樫:それは、めっちゃ強み!「その場で声を荒らげてもしょうがないよな~」って思う。ちょっと諦めるような気持ちも入ってるけど、その場を丸く収める方が、みんなの心が安らかになるかなと。私は、自分で決めたことに関してやり切るところを尊敬しています。自分で立てた予定をあまり崩さないです。「今日、ご飯行こうよ」と言っても「今日はこれを食べると決めているから行かない」みたいなこともありました(笑)。教育実習もちゃんと行ったしね!

宗澤:教育実習は、関東インカレの直後だったんです。準備しないといけないことが、いっぱいあって……。でも関東インカレに向けて練習も必要だし、ちゃんと睡眠を取ったり、栄養を取ったりしていたら、どうしても準備がおろそかになってしまう。試合の時も、最初は結構イライラしてたんですよ。「なんでこんなに忙しいの?」って。1m70まで1回で跳んでいたからこそ、待ってる時間が長くて「今日帰ったら、まずあれをやって」とか考えてました。優勝した瞬間はめっちゃうれしかったんですけど、パソコンと向き合う日々も始まりました。あんなに忙しい中、関東インカレで優勝できるまでに自分を持っていけたから、教育実習も大丈夫でしょうという気持ちで臨みました(笑)。

関東インカレと教育実習が重なった時期を振り返る宗澤

最後の日本インカレを終え、芽生えた感情

――最後の日本インカレは宗澤選手が7位、八重樫選手が8位タイでした。

宗澤:日本インカレの時はちょっとメンタルを崩していて……。その割には全然いいというか、内容的には関東インカレとまったく一緒でした。悪い方にとらえたら成長していないということになりますが、良い方にとらえたら、どんなときでも最低限のパフォーマンスはできたかなと。あれが引退試合でもあったので、1m73を3回目で成功したときは、めっちゃ浮いたから、それだけでいいかなという感じです。

八重樫:「何か一つでもいい跳躍があったからいいか」と思うこと、よくあります。

宗澤:たぶん引退試合だったからだと思います。まだ続くのだったら、悔しい試合になったんですけど。「ここで終わり」と思ったら、責める必要がないので、自分を褒めるための要素を考えていましたね。

八重樫:私はこれまで国内大会でタイトルを1回も取ったことがなくて。どうしても1位になりたかったし、大学4年間の中でも「1m80は絶対に跳ぶ」という目標を入学当初から立てていました。関東インカレであれだけできた分、落差が大きかったです。両親も見に来てくれていたし、マットから降りた時にチームメートたちの顔がパッと目に入ってきて、「全然できなかったな」って。何かやり残したことはなかったけど、悔しかった。

自身最後の日本インカレを終え、応援席に手を振る八重樫

宗澤:わかる。10年以上やってた陸上が終わった瞬間、プラスみんなの「お疲れ様です」っていう優しい声。関東インカレで優勝して「全国でも行ける」と自分も思っていたし、みんなもそれぐらいの期待を持っていたのに……。

八重樫:そう。その優しさに「もうこの子たちと一緒に試合とか部活もできないんだ」「もうこのチームで戦うことができないんだ」って思っちゃったね。

宗澤:でも「筑波で良かった」と思った瞬間でもあった。73の3回目で「これを落としたら引退だし、跳んだら続く」という状況で、緊張しながら順番を待ってた。そのときに応援席から「いつものように行けば大丈夫だよ、楽しんで」みたいな声かけをしてもらって、落ち着いて最後の3本目の跳躍をできたので、感謝の気持ちでいっぱいです。

宗澤はすでに引退を決めていた中、1m73を成功させて笑顔がはじけた

競技継続と大学で一区切り、選択の理由

――八重樫さんは卒業後も競技を続け、宗澤さんは大学限り。それぞれの選択をした理由を教えていただけますか?

八重樫:まだ結果に納得がいってないのもありますし、このまま終わったら「もらった物を返しきれていない」とも思っています。両親や小学校から大学まで関わってくれたチームメート、指導してくださった先生方、後輩やすごくお世話になった先輩方、そしてファンの方ですね。ファンの方々は私にとって大きな存在です。良かった時も、結果を出せない時も、私の感情を良い方に動かしてくれる。私の方がこんなにたくさんもらってばかりで、このままさらっと引退できないと思っています。あとは岩手県記録を、大学生の記録のままで終わらせたくない。ちゃんと1m80まで押し上げて、後輩も育ててから引退すべきかなと思っています。

――自分のためというより、周囲のためという気持ちの方が大きいですね。

八重樫:まだありまして(笑)。来年度からはフルタイムで仕事するんですけど、デュアルキャリアとして競技も続ける形なんです。競技を続けたいけど、仕事のキャリアも諦めたくないという人たちって、たくさんいると思うんです。なので「それはできるよ」ということを自分が証明したい。地方の子たちって、ライフステージが上がるたびに競技をやめていく子たちが多い。「勉強しなきゃいけない」とか「他にやりたいことがある」とかで。もちろんその選択はいいと思うんですけど、どっちも諦めたくなくて苦渋の決断をする前に「どっちもできる」ということを伝えたいです。すごく大変だと思うんですけど、今こうして言葉にすることで「やるしかないんだぞ」と鼓舞してます(笑)。

宗澤:引退の理由はそんなになくて……。いつやめるかって考えたときに、シンプルに今かなと。高跳びのことは、大好きです。嫌いになったことは1回もない。どんなに跳べなかったときも「向き合ってる」と思うと、結構楽しくて。「落としたら終わり」っていう高跳びで得た経験は、そこで終わることなく、これから頑張ることにも絶対に生かされると思っています。仕事でも「決めなきゃいけないところで決める」場面で生きるのかなと。

――次に熱中できることが、すでに見つかっているように感じます。

宗澤:あるんですよ!すでに熱中しています(笑)。

大学まで高め合ってきた2人だが、卒業後はそれぞれの道に進む

それぞれ得意なことも、バックグラウンドも異なる中で

――最後に、筑波だからこそ学んだことや、自身の成長につながったことを教えてください。

八重樫:大学の陸上競技部自体、人数も多いですし、組織として面白いと感じたのが「一人一躍」。全員が選手である一方、全員に役割があって、それぞれの仕事を持っているんです。だからなのか分からないですけど、一人ひとりのキャラクターがある。いろんな人がいて、研究や学問が得意な人もいれば、他の才があって、そっちで頑張っている子もいたり、世界レベルで活躍する人もいる。そういう刺激的な人たちがいたということが、自分の成長につながったのかなと思います。

宗澤:似てるかもしれないですけど、一人暮らしをしている人が大半で、それぞれの競技レベルも、バックグラウンドも違う中で、部活は一緒に同じ場所でやってるということです。「自分軸を最初から持っている」ようなことを言われましたけど、それはまた「自立」とは違うなあと思っていて、「自立」の方をすごく学びました。みんな違って、いろんな選択肢ができるからこそ、選ぶためには自立が大事だなって。まだ確立はできてないけど、一つ自分のモットーにしようと思いました。

八重樫:うわ、超良いこと言った!めちゃくちゃ、スッと入ってきた。

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