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特集:駆け抜けた4years.2025

早稲田大の台湾人留学生・黄鼎仁 野球で友達をつくった大学生活、次の夢は整形外科医

台湾から早稲田大学にやってきた右腕・黄鼎仁(提供・早稲田大学野球部)

昨年の東京六大学野球リーグで春秋連覇を達成した早稲田大学で、一人の台湾人留学生が目標だった神宮球場のマウンドに上がった。「本当に楽しかったです。頭の中が真っ白になるぐらい集中していたけど、仲間の声は聞こえました」。卒業を間近に控えた黄鼎仁(ファン・ディンレン、4年、新竹)はあの日を振り返る。

ずっと神宮のマウンドをイメージして練習してきた

秋季リーグの開幕戦となった昨年9月14日の東京大学1回戦。黄は13点リードの八回にマウンドへ。先頭打者に左前安打を打たれたが、後続を二塁ゴロ併殺と二塁ゴロに打ち取った。「ずっと神宮球場のマウンドをイメージして練習してきました。うれしかったです」。13球の神宮デビューを果たすと、大きな目を輝かせながら、そう語った。

台湾の北部、台北市に近い新竹市で生まれ育った。野球が大好きで、同市にある新竹高校でもプレーしたが、「台湾の中で2部みたいなレベルだった。だから、大学は強いところで野球がしたかった」という。

4年秋のリーグ戦で神宮デビューを飾った(提供・早稲田大学野球部)

黄の1学年上から、新竹高校に早稲田大学へと進学できる海外指定校推薦制度が始まった。「高校では、すごく勉強に時間を使いました。学校から推薦してもらえるように頑張らなければいけなかったから」

そのかいがあって高校を卒業した2020年9月に早稲田大学国際教養学部へ進学。ところが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大があったため、日本に来ることができなかった。

自炊の時に大活躍した「大同電鍋」

ようやく来日できたのは2年生になった2022年春。野球部のグラウンドがある西東京市東伏見に住み、新宿区にある早稲田キャンパスへ通いながら、野球部の練習にも参加した。国際教養学部の授業はすべて英語。「日本語は全然しゃべれなかったので、大学から勉強しました」というが、日常生活に支障はない。

「運が良くて、みんな自分とよく話してくれる。いい人ばかりです」と仲間に感謝する。とくに同級生で学生コーチの石原壮大さん(日大習志野)、1学年先輩の学生コーチだった藤原尚哉さん(早大本庄)は英語が得意だったこともあり、よく面倒をみてくれたという。

「日本で野球をやって、野球の友だちをつくりたい」

そんな思いで来日し、目標を達成した3年間でもあった。

「練習は大変でした。野球だけじゃなく、生活も勉強も、やることが多くて……。一つでも良くないと、全部がうまくいかない。だから一日中、リラックスできる時間はあまりなかった感じがします」

自炊もがんばった。活躍したのが台湾から持ってきた大同電鍋(タートン)だ。ご飯とお肉、野菜を入れた料理をよくつくった。もちろん、外食も活用した。「成田屋にお世話になりました」。東伏見駅近くにある野球部も御用達の定食屋だ。麻婆ナス定食をよく食べたという。

「日本で野球の友だちをつくりたい」という思いで3年間を過ごした(提供・早稲田大学野球部)

早稲田大野球部と台湾の浅からぬ縁

実は早稲田大学野球部と台湾には、浅からぬ縁がある。

1917年に初めて台湾遠征を実施し、現地で野球が盛んになるきっかけになったと言われている。1931年夏の第17回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)では、嘉義農林が初出場で準優勝に輝いた。このときエース兼4番で主将だった呉明捷(ゴ・メイショウ)は早稲田大学に進学。野手に転向し、36年秋に東京六大学野球リーグの首位打者になった。リーグ戦通算7本塁打は、立教大学の長嶋茂雄(元・読売ジャイアンツ)が8本塁打を放つ1957年まで、東京六大学リーグの最多タイ記録だった。

「呉明捷さん、知っています。呉さんの生まれた苗栗県と、自分の新竹市はお隣で、車で30分ぐらいなんです」と黄は目を輝かせる。「呉さんを初めて知ったのは小学6年生のときです。映画を見て、早稲田のことも、もっとよく知りました」

その映画は2014年に公開され、日本でも上映された「KANO 1931海の向こうの甲子園」だ。日本人の近藤兵太郎監督のもと、呉明捷らが成長して甲子園で活躍する様子が描かれた。呉明捷さんは戦後も日本で暮らし、孫の一人は日本で整形外科医になっている。「知っています! 会ったことがあります。自分もあの方みたいになりたいです」

嘉義農林で活躍した呉明捷の銅像(撮影・井上翔太)

黄は次なる夢を語ってくれた。

「台湾に帰って整形外科医を目指して勉強したい。そして、日本と台湾の野球の架け橋になりたいと思います」

早稲田大学と台湾をつなぐ野球の縁が、次世代に向けて、またつながろうとしている。「いまは台湾の社会人野球でプレーを続けたいという気持ちもあります。だから、色々と資料を調べています。まずは台湾に戻って、義務の兵役をしてきます」

3月25日には早稲田大学の卒業式を迎える。

神宮デビューを果たした後、吉納翼(左、4年、東邦)田和廉(右、3年、早稲田実)とともに記者会見に呼ばれた(撮影・安藤嘉浩)

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