準硬式野球

連載:いけ!! 理系アスリート

特集:駆け抜けた4years.2024

山形大医学部・金原広汰 「医師になって150キロ投げる」実現したら文武両道を誇る

大学では140キロ台の速球を武器に活躍した(撮影・川浪康太郎)

文武両道――。山形大学医学部準硬式野球部の金原広汰(仙台一)には、この言葉がよく似合う。国立大医学部に現役合格したのち、投げては最速144キロの速球を武器に打者を圧倒。打っては確実性と長打力を兼ね備えた打撃で中軸を担った。だが金原自身は、本当の意味での文武両道をまだ成し遂げていないと考えている。6年間の大学野球生活、そして医師国家試験を終えたばかりの今、究極の文武両道を体現すべく再出発を切った。

【特集】 駆け抜けた4years.2024

高校で140キロ計測し、国立大医学部に現役合格

金原は仙台市出身。両親ともに医師の家庭で育ったが、中学生の頃までは「むしろ医師にはなりたくないと思っていた」。開業医の父の多忙ぶりを目の当たりにし、「自分にはできない」と感じたからだ。両親からも医師の道を勧められたことは一度もないという。ただ勉強には懸命に取り組み、小学生のうちから学習塾に通う日々を送った。

勉強と同じく日常の一部になっていたのが野球だ。自宅の近くに東北福祉大学野球場があり、観戦する機会が多かったため、幼少期から野球は身近な存在だった。自身も小学4年生の頃に野球を始めた。

高校は宮城県内屈指の公立進学校、仙台一に進学。1年秋からエースとして活躍し、3年時には最速140キロを計測して注目を集めた。東京六大学リーグで野球を続ける選択肢もあったが、「将来、スーツを着てサラリーマンをする姿より、白衣を着て患者さんと話す姿の方がイメージしやすかった」ことから、医学部受験を決意。山形大医学部の推薦入試を受験し、現役合格を果たした。

投げるだけでなく、バットでもチームを引っ張った(撮影・川浪康太郎)

準硬式野球で「二刀流」を貫いた6years.

大学では、新歓で好印象を持った準硬式野球部に入部した。平日は午前8時半から午後4時半まで講義を受け、火、水、木曜は午後5時から約3時間、全体練習で汗を流す。全体練習がない日はジムで体作りに励み、シーズン中の土日は試合に臨む。そんな日常が続いた。

4年秋から始まる実習は通常の講義より朝が早く、終了時間も遅い。練習量を減らさざるを得なくなったものの、全体練習に途中参加したり、自宅でYouTubeを見ながら自主トレしたりして補い、6年夏まで野球にも全力で打ち込んだ。「しんどいと感じることはなかったか」尋ねると、金原は「ずっと野球をやっていたので、体力面でしんどくなることはまったくなかったです」と笑った。

「好きで、自信があるのはバッティングだけど、チームを勝たせるとなるとピッチングが大事になる」。投手の練習をメインにしつつ、打撃練習や外野の守備練習も欠かさなかった。1年時から投打で躍動し、下位に沈んでいたチームを上位に引き上げると、5年秋は創部初のリーグ優勝に貢献。大学ラストシーズンとなった6年春も投げては5勝、打っては4割近い打率をマークし、全国大会出場の立役者となった。

5年秋、創部初のリーグ優勝を果たしマウンドで喜びを爆発させた(撮影・川浪康太郎)

好きな野球を純粋に楽しみたい部員が多く集まる準硬式野球部。硬式野球部に比べると勝利至上主義の色合いが薄く、個々の能力を高めることに集中する環境も性に合っていた。高校の後輩である鈴木健(東京大学4年)や小中高でライバルだった佐藤隼輔(現・埼玉西武ライオンズ、当時・筑波大学)が大学野球の第一線で活躍する姿に刺激を受け、硬式野球への再転向を考えた時期もあった。それでも、6年間野球に打ち込む先輩やともに戦う同期、後輩、チームを支えるマネージャーと同じ時間を過ごす中で「この仲間たちと勝ちたい」と思い直し、準硬式野球をやり切った。

どちらで見ても認められてこそ、文武両道

大学卒業を迎える今、金原は文武両道という言葉をどう定義するのか。

「僕個人の考えですけど、進学校で野球をやることを文武両道と言うのなら、それは誰にでもできると思うんです。たとえば甲子園に出場して、東大に一般入試で現役合格すれば、文武両道と言えると思う。野球なら野球だけで見て、勉強なら勉強だけで見て、どちらで見ても誰もが認めるような存在になろうと今まで頑張ってきました」

努力はいかなる時も怠らなかった。ただ、大学生のうちに、金原の考える文武両道を成し遂げることはできなかった。だからこそ、野球も勉強も、まだまだ上を目指す気概がある。

6年間過ごした山形大医学部のグラウンドで笑顔を見せる金原(撮影・川浪康太郎)

理想を追い求め、硬式野球クラブチームへ

医師国家試験に合格すれば今春から2年間、山形県内の病院で研修医として経験を積み、将来的には整形外科医、そしてスポーツドクターを志す。「野球をやる中で一番しんどかったのは、ケガや痛みで体を動かせなくなること」。大学では肉離れや骨折で戦列を離れた期間があり、その際はOBの医師が治療してくれた。今度は選手の苦しみを和らげる立場に立つ。

一方で山形市の硬式野球クラブチームに入団し、野球も継続する予定だ。ここ数年目標に掲げてきた150キロ計測を実現させるため、現時点では投手に専念するつもりでいる。金原は野球を続ける理由について「肩が上がらなくなるまで、体が動くうちは野球をやる。というか、やらないと死ぬ時に後悔すると思う」と率直な思いを口にした。

「医師になって、都市対抗やクラブ選手権で150キロを投げたら『文武両道』と言えるかもしれない。そこが目標ですね」

金原はこれからも、ふたつの道を全力で駆け抜ける。

白衣を身にまとう金原(本人提供)

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