東京理科大・長谷川一輝が現役引退 大学院でバイオマテリアルの研究に専念
東京理科大学マテリアル創成工学科4年の長谷川一輝(札幌藻岩)は、フィギュアスケートと学業を両立してきた理系アスリートだ。全日本選手権に4年連続で出場するなど活躍してきたが、今季限りで現役引退を決断し、2月28日に自身のSNSで報告した。春からは研究と就職活動に専念する。「スケートは長谷川一輝そのものだった」と涙を浮かべながら、18年間の競技人生を振り返った。
高校時代、国際大会に初出場
長谷川は札幌市に住んでいた5歳の頃、3歳上の姉がスケートをやっていた影響でスケートを始めた。リンクへの通いやすさや競技への理解などを考慮し、札幌藻岩高校に進学。北海道を代表する選手に成長した。
高校1年のインターハイで総合2位に入り、クープ・ド・プランタン(ルクセンブルク)で初の国際大会を経験した。フリーで滑った「古事記」は今でも一番お気に入りのプログラムだ。「JAPAN」のロゴが入った日本代表のジャージーを着られたことも誇りだった。
高校2年は腰のけがで大会出場は少なかったが、勉強したり、進路を考えたりする時間ができた。得意科目は数学や物理、化学。当時はコンピューターに興味があった。その高性能化に欠かせない半導体を研究できる大学を探した。「スケート部がある大学に進学する選手が多いですが、受験をして自分の学びたい学問をしっかり学ぶと決めました」
理系アスリートのロールモデルとして同郷の鈴木潤さん(北海道大学大学院修了)を挙げ、「見習える部分が多くありました」と話す。
鈴木さんは高校時代に国際大会に出場し、1年間の浪人生活をへて難関の北海道大学工学部に合格。大学院でも競技を継続し、大学1年から6年連続で全日本選手権に出場した文武両道の選手だった。
長谷川も受験勉強と競技を両立し、東京理科大学基礎工学部材料工学科(現・マテリアル創成工学科)に一般入試で合格した。
コロナ禍で寮の受け入れ休止、東京を拠点に
東京理科大は北海道に全寮制の長万部キャンパスがある。1年時は競技を休んで寮生活を送り、2年時から東京で練習を再開する予定だった。だが、コロナ禍で学生の受け入れが休止になり、東京のキャンパスに通うことになった。家賃などの生活費や競技の活動費がかかるため、学費は奨学金で工面した。
新たな拠点は明治神宮外苑アイススケート場。スケーティングや演技力を伸ばすため、技術指導だけでなく振り付けもしてくれる横谷花絵コーチに師事した。「自分の理想とするジャンプに近いものを理論として教えてくれるコーチです。その理想像に近づけていく練習をしていました」。大学の講義はオンラインだったため、空いた時間はリンクに通って技を磨いた。
大学の講義を通して、半導体、金属、セラミックスなど、さまざまな研究分野に触れた。長谷川は、その中から高分子材料に興味を持つようになり、研究対象としてバイオマテリアル(生体材料)を選んだ。
「人間の体の細胞を材料として扱っていく分野です。体の細胞を採取して活性化させて体に戻すという研究なのですが、自分は細胞操作の部分を扱っています。医療分野は将来絶対なくならないですし、バイオマテリアルが人間の体に入れる薬の一種類になればと思っています」
4年になると研究室での実験が増えた。プレートの中に材料を混ぜて顕微鏡で反応を見る。変化を待っている間は参考文献を読んだり、先行研究を調べたり。反応が長時間にわたる場合はリンクに通うこともできた。実験の計画を立てながら練習時間を確保した。
全日本に4年連続出場、「滑走屋」出演オファーも
学業に力を入れながら競技でも結果を残した。1年時で全日本選手権に初出場し20位。その後も3年連続で出場した。
この4年間で多くの大会に出場したが、特に印象に残っているのは3年時に北海道苫小牧市で開催された日本学生氷上選手権大会(インカレ)だ。
コロナ禍の影響でフリーのみの演技で争われ、長谷川は男子7・8級の1番滑走。3回転ルッツ-3回転トーループの連続ジャンプ含む7本のジャンプを着氷し、要素の出来栄え点(GOE)はすべてプラスの評価を獲得。131・79点をマークし、8位入賞を果たした。「1番滑走でノーミスの演技ができて、結果も出せました」。インカレは大学対抗戦で、東京理科大からの出場は長谷川だけだったが、同じリンクで練習している仲間たちの応援も力になった。
この4年間で課題だった表現力も伸びた。昨夏に行われた関東学生有志大会のショートプログラム(SP)で80点台をマークし、演技構成点で7点台が並ぶと、成長を感じた。
今年2月には、高橋大輔さんプロデュースのアイスショー「滑走屋」にも出演予定だった。体調不良で舞台に立つことはかなわなかったが、貴重な経験を得た。
高橋さん自身が長谷川の演技を見て、アンサンブルスケーターとして抜擢(ばってき)したという。横谷コーチを通して出演への打診があり、卒業論文の発表を控えて忙しい時期だったが快諾した。
「選ばれたことは光栄に思っています。アイスショーの方向性として、第一線で活躍している選手だけではなく、全日本には出ているけれど(メディアなどで)名前が挙がらない僕たちみたいな選手もしっかり見せてあげたいというコンセプトもいいと思いました。スケジュール的にすごく厳しい部分はありましたけど、それでも出させてください、とお願いしました」
練習できた時間はわずかだったが、他のスケーターとアイスショーを作り上げるのは初めての体験だった。もし次のチャンスがあるならば、二つ返事で応じるつもりだ。
「研究と就活に専念したい」
研究を続けるため、東京理科大大学院への進学は決まっていた。年明けはラストのインカレ、国民スポーツ大会、「滑走屋」の練習、卒業論文の発表と慌ただしく過ごしてきた。一段落した2月中旬、じっくりと自分の将来について考える中で一つの結論を出した。
それは、競技引退だった。
「研究と就活に専念したいという気持ちにやっぱり正直になりたいと思い、決めました」
目を潤ませ、言葉を絞り出しだ。
「これまでスケート一辺倒だったので、それ以外に目を向けたい気持ちが強かった。自分は(学業と競技の)2つまではなんとかなるけど、3つだとできなくなってしまう。自分が学んできたことを生かせるような、自分の能力を生かしてくれる会社をしっかり選びたい。そのために時間を使いたいと思います」
18年間、情熱を注いだフィギュアスケートはどんな存在だったのか。
「スケートは、長谷川一輝そのものだったと思います。これだけ長い時間をかけてやってきた。本当に涙が出るくらい大切なものだったと感じています」
3月20日に明治神宮外苑アイススケート場で行われるエキシビションがラストダンスとなる。
「大学に入ったときは金銭的にも時間的にも能力的にもすごく不安になる部分が多かったんですが、それでも自分がやりたいことに向けて、いろんな選択肢を考えながら取り組んできました。奨学金を借りたときも、将来の自分が返済してくれることを期待して決めました。『頑張れ、将来の俺』と。親もこのような大きな選択を許してくれて、心強かったです」
いつ競技を引退するのか。大学受験をするとき、大学を卒業するとき、けがをしたとき……、その問いはさまざまな場面で突きつけられる。長谷川はその度に今、自分がやりたいことは何か、それを実現できる環境はどこか、そのために自分は何をすべきか、を考えて行動してきた。
「やりたいことがある人はしっかり考えて、やりたいことを中心に置き、いろんな選択肢を持ちながら、成し遂げたいことに向かってしっかり走っていってもらいたいと思います。過去の自分と同じように競技と学業の両立に不安を持っている人には、『突き進んでもいいんだよ』と伝えたいです」
長谷川が理系アスリートとして全力で歩んできた道は、後輩たちのお手本になる。その考える力と行動力があれば、これからも多くのことを成し遂げていけるだろう。
頑張れ、将来の長谷川一輝!