フィギュアスケート

連載:いけ!! 理系アスリート

特集:駆け抜けた4years. 2020

工学部の実験プロセスをスケートの練習に応用 北大大学院工学院・鈴木潤(上)

観衆の心をひきつける表現力が鈴木潤の持ち味だ(すべて撮影・浅野有美)

連載「いけ!! 理系アスリート」の第26弾は、北海道大学大学院工学院修士課程2年生の鈴木潤(札幌南)です。フィギュアスケートに打ち込み、高い表現力で見る者を魅了してきました。このほど大学院修了とともに、21年間の競技人生にピリオドを打ちました。2回の連載の前編は、4歳から大学4年生までの話です。

 羽生結弦と切磋琢磨した小学生のころ

鈴木は仙台市出身で、姉の影響で4歳からフィギュアスケートを始めた。小学生になると全国大会にも出場。お客さんに見てもらえる喜びを知った。リンクに投げ込まれるプレゼントもうれしくて、大会を心待ちにする少年だった。

小学校高学年のころ、同学年でオリンピック2大会連続金メダルの羽生結弦(ANA)と同じリンクで練習した時期がある。鈴木も羽生も負けず嫌いだった。「羽生選手は何でもできる感じですね。ジャンプもうまかったですし、ビールマンスピンもやってました。武器があっていいな、っていうのはありました。だから僕は表現力でアピールしようと。いいライバルがすぐ近くにいて、切磋琢磨(せっさたくま)できたのでよかったかなって思います」

中学1年生の全国中学校大会では、羽生とともに表彰台に立った。その後はリンクの閉鎖に伴い、父親が単身赴任していた札幌市へ拠点を移した。勉強も手を抜かず、進学校の札幌南高校に進学。ジュニアで全日本選手権に出た。日本スケート連盟の強化選手にも選ばれ、高2でジュニアグランプリシリーズも経験。同世代を代表する選手に成長した。

小学校高学年のころ、羽生結弦と同じリンクで切磋琢磨した

札幌市内のリンクを転々、100km先へも

練習拠点は地元にこだわった。北海道はアイスホッケーやスピードスケートはトップ選手が次々に育っていたが、フィギュアスケートはこれからだった。「ここで僕がもっと高いレベルにいって、フィギュアも強いんだっていうところに持っていけたらという思いがありました」

だが、練習環境は決していいとは言えず、札幌市内の3カ所のリンクを転々とする日々だった。アイスホッケークラブの練習や一般滑走の合間を縫って練習時間を確保した。市内のリンクが営業しない夏は50100km離れた苫小牧市や泊村にも出かけた。「親や先生、学校の仲間といった応援してくれる人たちがいて、勉強もスケートも続けてこられました。僕のスケートをする環境は、恵まれてたところもありましたね」

宙ぶらりんの浪人生活

進学に際して、北海道大学を志望することにした。受験勉強のために一時期スケートから離れたが、待っていたのはつらい浪人生活だった。

「まずスケートが再開できなくなったのがショックで……。それに、勉強したからって翌年に受かる保証もない。スケートでうまくいかなかったら、また翌年があるじゃないですか。確実に前に進んでいることは分かるんですが、浪人はゼロで進んでないんですよ。宙ぶらりんの状態っていうのが一番苦しくて」

ちょうど羽生が2014年ソチオリンピックで日本男子フィギュア界初の金メダルをとった時期だった。「周りの同世代の選手が活躍してるのを見て、自分は何をやってるんだろうっていうのが強くありましたね」

スケートも勉強も妥協なくやってきた

 一浪で合格、始まった授業や実験との両立

猛勉強の末、1年後に北大工学部応用理工系学科に後期で合格。2年から応用マテリアルコースで金属を専攻した。スケートは再開できたが、授業や実験と両立する日々だった。

練習は1日に1時間半から2時間、長くても3時間だ。夏は営業するリンクが減るため、2日に1回しか滑れないこともある。「たくさん滑った方が絶対にうまくなる。僕は練習量では勝てないので、ほかの人がやれないことをやっていかないといけない」。練習の時間も場所も十分に確保できない中で安定した結果を出すためには、何が必要か。鈴木は自分なりの方法を編み出した。

量より質の追求。そこには大学での実験のプロセスが生かされた。実験は仮説を立てて実行してフィードバックする。そのPDCAサイクルを練習に取り入れた。

練習をビデオで撮ってもらい、注意すべき点を確認し、上手な選手と比較検証する。「練習は仮説を持って臨み、ダメだったら次、うまくはまったらそれを使って新しいことを考える。それを繰り返してたのが僕の強みで、最大効率を生み出してたと思います。そのおかげで、ほかの選手より少ない練習量で同じくらい戦えてきたんじゃないかな」。結果、大学1年生から6年連続で全日本選手権に出られた。

メンタルのコントロールも重視した。「スケートは一発勝負なので、そこにいかにピークをもってくるか。練習できてなくても、リンクに立ったらそれは自分以外は分からない。自分の中で『やってきた』と思い込んでメンタルをコントロールしました。4回転ジャンプは跳べないですけど、自分が持ってるジャンプを確実に決めることを考えました。頭の中なら練習は何回でもできる。失敗も成功も。それで自信をつけさせて、成功体験をつくってました」

2月24日の引退エキシビジョン「明治×法政 ON ICE」にゲスト出演

引退するはずが強化選手に復帰

競技生活には、大学4年生で区切りをつけるつもりだった。「経済的な問題もありますが、リンクの送り迎えは先生がしてくれてて……。スケートは僕一人でやれるスポーツではないんです」

引退となると心の持ち方が難しかった。いい結果を出さなくてもいいのだから妥協もできる。一方で最後だからやるだけやりたい。そのバランスをどうとるか。

そうして迎えた4年生の全日本選手権は、気持ちと体がうまくかみ合った。自己最高の10位。「前の年に腰のけがでチャンスを逃していたので、その雪辱も果たせましたし、自分の気持ちに点数と結果がついてきた。これまで一番いいくらいに滑れた。演技後は『終わっちゃった』っていう気持ちで。もうこの景色を見ることはないんだ、と。欲を言えばいつまでも見ていたいけど、いつかは別れないといけない。やりきった達成感、疲労感と同時に寂しさもありました」

こうして引退するはずだったが、一気に状況が変わってきた。高2以来となる国際大会に派遣され、強化選手への復帰も決まった。鈴木はフィギュアスケートを続けることにした。

【後編はこちら】フィギュアスケートも仕事も「人を喜ばせたい」北大大学院工学院・鈴木潤(下)

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