大学陸上・駅伝

連載:いけ!! 理系アスリート

インターハイの悔しさから陸上続行、2つの部で実績残し 東大医学部・内山咲良(上)

いけ!! 理系アスリート
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内山は東大3年生の冬から本格的に三段跳びの練習に取り組み、4年生で一気に開花した(撮影・藤井みさ)

今回の連載「いけ!! 理系アスリート」は、東京大学医学部5年生で三段跳びに取り組む内山咲良(さくら、筑波大附属)です。医者を目指している内山は昨年9月の日本インカレで自身初の13m台となる13m00を記録し、2位となりました。2回連載の前編は陸上との出会い、東大での競技生活についてです。

センター試験後、急きょ東大理三受験を決意

内山には小学生の時から、医者になりたいという思いが漠然とあったという。人の役に立ちたいというところから医者をイメージし、心も支えられる存在になりたいと思うようになってからは、具体的に将来の夢として描くようになっていった。

「ちょっとだけ足が速かった」という内山は、筑波大学附属中学校(東京)で陸上部を選んだ。走り幅跳びと四種競技に取り組み、3年生の時には走り幅跳びで都大会7位入賞。「もうちょっとやれば伸びるんじゃないか」と考え、筑波大学附属高校(東京)でも陸上部へ。高校では走り高跳びや100mハードル(H)などもこなしていたが、一番可能性を感じていたのが走り幅跳びだった。3年生での関東大会で5m65をマークし、3位入賞。同校陸上部として1979(昭和54)年以来、36年ぶりともなるインターハイへの切符をつかんだ。ただ、予選敗退という結果に「何もできないまま終わってしまった」という気持ちが残った。

その後、内山は大半が医学部に進む東大理科三類に現役合格を果たすが、最初から東大を目指していたわけではない。部活に取り組んでいた時は試合で土曜日の授業に出られないこともしばしばあったため、塾にも通いながら遅れを取り戻していた。「高2まではあまり真面目じゃなかった」と言うが、文武両道はすでに、内山の中では当たり前の日常になっていたのだろう。

高3の夏に引退してからは勉強に本腰を据えた。センター試験を受けるまでは別の大学を第1志望にしていたが、思っていたよりもセンター試験の結果がよかったこともあり、後期に元々の志望校を受けることも視野に入れ、前期は東大理科三類に挑戦。見事現役合格を勝ち取った。その合格発表直後、塾で“陸上続行宣言”をしたのはインターハイでの悔しさがあったからだった。

2つの陸上部に所属、それぞれの面白さをかみしめて

東大には全学部を対象にした陸上運動部と、医学部を対象にした鉄門陸上部がある。内山は当初、鉄門陸上部にのみ入部するつもりだった。しかし鉄門陸上部は関東インカレや日本インカレに出場できないことを知ると、全国の舞台にまた立ちたいと考え、陸上運動部にも入部を決めた。どちらの部も練習は週3回(陸上運動部の方はパートで回数が異なる)あり、全部に出ると週6回となる。そのため練習内容を調整しながら、週5日ペースで練習をこなしている。

4年生の時は鉄門陸上部の大会に出場していなかったが、3年生の時は鉄門陸上部の大会にいろんな種目で出場していた(撮影・藤井みさ)

どちらの部も練習拠点は駒場キャンパスであり、どちらも強豪校のように練習メニューを考えてくれるようなコーチはおらず、学生が主体となって運営している。基本的に練習は別々に取り組み、鉄門陸上部の方は平日だと18時30分と遅い時刻から練習を開始する。鉄門陸上部の部員は40人程度だが、陸上運動部は100人規模と倍以上の組織であり、陸上運動部は結果をより意識しながら競技と向き合っている。そのため内山のように両方に所属している選手は1~2年に1人程度と少ない。

全国大会を狙うのであれば陸上運動部だけでもよかったかもしれない。それでも鉄門陸上部のアットホームな雰囲気は居心地が良かった。鉄門陸上部にとって最も大きな大会は東日本医科学生総合体育大会(東医体)だが、その大会で内山は走り幅跳びのほか、100mや100mH、走り高跳びなど、様々な種目に挑んでいる。とくに3年生の時には3種目で優勝(走り幅跳びは3連覇)、1種目で2位という成績を残している。「みんな家族のように仲がよくて、医学部の方はより陸上を楽しむという側面が強いです」と内山は笑顔で答えた。

1週間にテスト10回、その1週間後に日本インカレ

理科三類も他の学部同様、最初の2年間は前期課程教育(教養学部)として総合的に学ぶ。専門分野が加わる2年生後期からは、理科三類の学び場は駒場キャンパスから本郷キャンパスに変わり、解剖実習など医学部医学科の基礎実習が始まる。

5年生の今、これまでを振り返ると、一番多忙だったのは4年生の時だと内山は言う。毎日1~6限と授業がびっしりあり、テストは1年間に40回もあった。とくに夏休み明けの9月には1週間の内に10回もテストをこなさないといけなかった。そのテストの1週間後には日本インカレが控えているというスケジュール。「まだ1週間あったのでなんとかなったのかな。練習のレスト中にテスト勉強をすることもありました。逆境というか、もうやるしかないって感じで頑張れました」と笑って振り返る。

日本インカレでは1回目の跳躍でいきなり13m00を跳び、2位につけた(写真は本人提供)

この日本インカレで内山は三段跳びで13m00をマークし、2位の結果を残している。東大女子学部生が日本インカレで表彰台に上がるのは、創設1887(明治20)年ごろとされる陸上運動部の長い歴史の中でも初の快挙。しかし内山は元々、走り幅跳びがメイン種目で、三段跳びは大学生になってから始めたサブ種目だった。本格的な練習も3年生の冬季練習から。4年生での1年をひとつの区切りとして考えていた内山がたどり着いた、新たな世界がそこにはあった。

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