フィギュアスケートも仕事も「人を喜ばせたい」北大大学院工学院・鈴木潤(下)
連載「いけ!! 理系アスリート」の第26弾は、北海道大学大学院工学院修士課程2年生の鈴木潤(札幌南)です。フィギュアスケートに打ち込み、高い表現力で見る者を魅了してきました。このほど大学院修了とともに、21年間の競技人生にピリオドを打ちました。2回の連載の後編は、大学院時代のエピソードとこれからについてです。
「お客さんにも楽しんでもらうのが一番」
北大の大学院工学院材料科学専攻に進み、より高いレベルの研究と練習の両立が始まった。スケートは1年ごとに競技継続か引退かを決めることにした。
鈴木がスケートを続けてきたのには理由がある。「お客さんをどう楽しませようかな、って考えるのがすごく好きで、いまもそれが根本にあります」
そう思うようになったきっかけは2002年ソルトレークシティオリンピック男子金メダリスト、アレクセイ・ヤグディン(ロシア)の演技だった。ショートプログラムの「Winter」で、つま先で細かく刻む高速ステップに衝撃を受けた。その「ヤグディンステップ」は鈴木だけでなく観衆も審判もほかの選手たちも虜(とりこ)にした。「僕もお客さんを楽しませたり、『次はこの人何やってくれるんだろう』って思ってもらったりしたい。そんな選手になりたいと思うようになりました」
フィギュアスケートはリンクに立てば、そこは自分一人だけの舞台。観衆の視線が自分だけに注がれる。「自分のアクションに対してリアクションしてくれるスポーツって、なかなかないと思うんですよ。結果も大事ですけど、自分がその中で楽しんで、お客さんも楽しませるのが一番大事にしてることです」。そのためにジャンプだけではなく、表現力も磨いた。
あこがれの髙橋大輔と同時期に引退
修士課程1年生の夏、2010年バンクーバーオリンピック銅メダルの髙橋大輔(関西大学カイザーズフィギュアスケートクラブ)の合宿に参加させてもらった。髙橋は憧れの選手だった。子どものころ、ヤグディンを見たときと同じような感情を抱かせてくれた。とくに、髙橋の名プログラムであるヒップホップ調の「白鳥の湖」は、振り付けをまねするほど好きだった。
「合宿では一緒にごはんを食べたり、お風呂に入ったりして、いろいろと話しました。僕も引退を考えていたので、そういう話もしたりして。年齢のこともあって、体と気持ちがマッチしないというのがあったので。練習も、モチベーションはあるけど、なかなか思うように進まない。恐れ多くて同じとはいえないけれど、大ちゃんにも少なからず同じような気持ちがあったと思いました」
鈴木は修士課程修了と同時に競技を引退することをした。偶然にも髙橋と時期が重なった。髙橋も今シーズン限りでシングルを引退し、アイスダンスに転向する。
昨年末の全日本選手権で、鈴木は万感の思いを込めてフリーの「ビートルズメドレー」を披露した。武器のトリプルアクセル(3回転半)-3回転トーループジャンプを成功させた。彼の代名詞のイーグルに、スケートへの思いを乗せて滑った。ずっと求めてきた観衆が引きこまれるようなプログラムだった。演技を終えると、会場からあたたかい拍手が降りそそいだ。「うれしいときも、つらいときも、一緒に喜び、悲しんでくれる家族や先生、ファンの方々がいた。僕はすごく幸せだったと思いますね」。総合17位、最後の全日本が終わった。
大会後の試合会場で、鈴木は髙橋に記念撮影をお願いした。その後、LINEでやりとりをしたという。「僕は社会人で、大ちゃんはアイスダンスで、それぞれ次のステージで頑張ろうという趣旨のメッセージでした。感慨深いなって思いました」。鈴木の顔がほころんだ。
スケートと研究の共通項
年が明けて2020年になると、「人生でトップ3に入るくらい大変だった」という修士論文が待っていた。テーマは有機合成。約1カ月間、実験と修論執筆に明け暮れた。午前9時から午後9時まで研究室にこもり、終電で帰ったり、泊まり込んだりすることもあった。お昼ごはんを食べるとき以外は椅子に座ることがないくらい動き続けた。
「実験で改善しながらいい方向にもっていくという形でやってたんですけど、なかなかうまくいかなくて。スケートよりもつらかったかもしれないですね。スケートはできなかったら自分の責任ですけど、研究はほかの人も関わるし、終わらないと卒業できないですから」
苦労しながらも文武両道を貫いた理由を聞いてみた。「勉強でも負けたくない、高いレベルでやりたいと思っていました。小学4年生で腰を痛めて、大学でもけがをして。スケートは、やったからといって必ず報われるってわけでもないし、いつどこでけがやアクシデントがあってもおかしくない苛酷なスポーツです。スケートはいつか終わりが来るし、社会人になってからのことを考えると、スケートだけじゃだめだなと思ってました」。言葉に力がこもっていた。
2月、修士論文の査読があった。そこで教授陣とスケートの話題になり、研究との共通項に気づいたという。「スケートも研究も終わりがないんですよ。失敗したらどうするかで次があるし、成功したらどう発展させるかで次がある。スケートも結局、自分で追求すれば追求するほどいいものになる」。21年間、スケートにも勉強にも打ち込んできた鈴木だからこそ、たどり着けた境地だ。
4月からエンジニアとしてスタート
まもなく、エンジニアとしてソニーに入社する。今後のキャリアプランを聞いてみると、軸にあるのは「人を喜ばせること」だという。「スケートでやってきたように、仕事でも人が笑顔になってくれることが僕にとっての幸せなんじゃないかな」。人工知能(AI)にも興味があり、新商品の開発に携わりたいという。
競技生活には区切りをつけるが、「21年間やってきたことを後輩に伝えられるなら、惜しみなく出していいきたい」と、後輩の振り付けに携わろうと考えている。
まだまだいろんな形で、鈴木潤の「笑顔づくり」が続いていきそうだ。