水泳

連載:いけ!! 理系アスリート

バタフライと医学を追って 新潟大・関谷岳(上)

関谷は2浪を経て新潟大学医学部に進んだいまも、毎年200mバタフライの記録を更新している

連載「いけ!! 理系アスリート」の第7弾は、競泳の200mバタフライに取り組む新潟大学医学部4年の関谷岳(がく、開邦)です。東日本医科学生総合体育大会(東医体)で4年連続優勝、2017年には地元の沖縄で1分59秒30の沖縄県新記録を出しました。スポーツドクターになりたくて、2浪して新潟大医学部へ進んだ彼は、実習と座学の日々をすごしながらも、自己記録を更新し続けています。南国で始まり、雪国で現在進行中の文武両道を2回に渡ってお届けします。

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沖縄インターハイが終わって受験にシフト

関谷と会ったのは新潟市内にある新潟大学医歯学総合病院。白衣をまとった関谷は「僕ってどんな感じに見えます? あんまりオーラってないですかね? 」と言って笑った。初対面にもかかわらず、どこか距離の近さを感じるのは、4人きょうだいの末っ子という生い立ちも関係しているのかもしれない。

沖縄県那覇市出身。5歳のときに双子の兄である斗武(とむ)と一緒に泳ぎ始めた。初めて習ったときからバタフライが好きだったが、マイケル・フェルプス(アメリカ)の豪快な泳ぎをテレビで見てから、どんどんバタフライにのめり込んでいった。小5になると、より高いレベルを求め、家から近かったクラブから車で25分かかるクラブへときょうだい4人そろって「転校」。斗武は自由形、自分はバタフライと専門は分かれたが、勉強も水泳も双子で競い合ってきたという。

高2の夏に沖縄でインターハイが開催されるのが決まると、ふたりは県の強化指定選手に選ばれ、高校になると練習漬けの毎日。このときだけは「やらされてる感」が強く、つらかったという。インターハイでは決勝には残れなかったが、自己記録を更新。自分の中ではある程度満足できる結果だった。このインターハイを境に、関谷は医学部受験に向けて勉強と競技の優先度を大きく切り替えた。

2浪で思い描いた「復活プラン」

子どものころから本を読むのが大好きで、野口英世の伝記を読んで将来の夢が決まった。「お母さんによると、小1か小2のときにはもう『お医者さんになる』と言ってたようです」と関谷。中学生のときにはドラマ『救命病棟24時』の影響を受け、卒業文集には「救急医になりたい」と書いた。高校は沖縄屈指の進学校である県立の開邦高校に進んだ。そこで親がスポーツドクターをしているという友だちに出会い、「もともと競技をやってるし、自分の強みが生かせるんじゃないか」と考え、夢である「お医者さん」の専門も決めた。

キャンパス内の「ヒストリーギャラリー」の側で。野口英世もこの地を訪れていたことを知り、関谷はうれしそうに笑った

浪人の2年目は、関谷にとって大きな一年だった。「浪人したら医学部に行けるだろう、と思ってたんですよ。でも1浪目は合格できなくて、『これはいかん』って奮起しました」。2浪目は毎日1日16時間も勉強し、睡眠は1日3~4時間。水泳からは遠ざかっていたが、それでも「こうしてれば、もう少し速く泳げたかな」と思うこともあり、もう一度本気でやりたいという思いはあった。3度目の受験で春が訪れ、新潟へ。すぐに医歯学水泳部へ入部。やりたいことが盛りだくさんだったが、沖縄の陽気に慣れていた関谷にとって、4月の新潟はあまりにも寒く、早々に風邪をひいてしまったそうだ。

1年生のときは毎朝4時に起き、5時から7時半まで学内のプールで練習。授業は8時半から、遅いときには午後6時まであった。ほぼ3年間のブランクを経たレースでは、長水路の200mバタフライで2分14秒98。高校時代の自己記録である2分4秒23から10秒近く落ちていたが、関谷は「この時期にこのタイムなら上出来だ」と考えていた。2浪のときに思い描いていた“復活までのプラン”があったからだ。

1年生のときから練習は週7~8回。このペースはいまも変わらない。試合前のルーティンは本人が「うざいぐらい」と表現するぐらいに徹底する。レース時間から逆算して行動し、試合前には必ずカステラを食べる。「中学生のときですかね。『泳ぐのに必要なものが全部入ってるらしいよ』と聞いてから、ずっと食べてます。根拠は分からないんですけどね」。医学部生らしくないことを口にして、関谷は笑った。太りやすい体質ということもあり、自炊して栄養バランスを管理している。「まずいな、ってときは夜ごはんをささみのサラダにしたりします。頑張った分だけ結果に出るので、楽しいです」。コンビニで済ますことはせず、スーパーで買って調理するのがポリシーだ。

関谷は徹底した準備を重ねてレースに挑む

順調に自己記録を更新し、2年生のときに挑んだ長岡市新春水泳大会で、初めて200mバタフライで2分を切った。当時を振り返り、関谷は「1分台は一流の証しという記録ですから、やっと仲間入りできたような感じがして、めちゃくちゃうれしかったです」と言った。彼の躍進を支えたのは、2年生の春に出会った、スイミングスクール「ダッシュ新潟」の山崎裕太コーチだった。

後編「3日坊主を恐れぬ挑戦心」はこちら

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