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駅伝 筑波・医学を学び、箱根に見た夢

駅伝 筑波・医学を学び、箱根に見た夢
レース後、筑波大駅伝主将の川瀬が支援してくれた人たちの前で挨拶。言葉に詰まる

箱根駅伝予選会

10月13日@昭和記念公園

明大の万歳三唱のすぐ隣で、言葉を詰まらせながら無念を語る選手がいた。筑波大の駅伝主将を務める川瀬宙夢(ひろむ、4年、愛知県立刈谷)。39校が11枠をめぐって挑んだ予選会で、筑波大は17位だった。「この1年間、いい練習を積めたという確信がありましたが、昨年にくらべて順位を二つしか上げられませんでした。毎年ここで『来年こそは』と言っていますが、いまはただ、応援してくださったみなさんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。それでも、来年こそは結果を残してくれると信じています」

「医学部で箱根を目指すなら筑波しかない」

筑波大の前身である東京高等師範学校は第1回箱根駅伝の優勝校であり、以降も計62回出場と、常連校だった歴史がある。だが1994年の第70回大会を最後に、箱根の舞台が遠い。そんな中、卒業生たちの強い要望で2011年に「筑波大学箱根駅伝復活プロジェクト」が始まった。15年には、1986年の第62回大会で9区2位という実績をもつOBの弘山勉氏が男子駅伝監督に就任。プロジェクトは加速した。弘山監督の就任1年目に入学したのが、川瀬ら現在の4年生である。

スポーツ整形外科医を目指して筑波大の医学群に進学した川瀬は、箱根駅伝に出ることを念頭に進学先を決めた。「医学部で箱根を目指すなら筑波しかない」と。それでも1年生のころは20kmやハーフマラソンという長い距離を走ることは思い描けてさえいなかった。しかし実際に箱根駅伝を目の当たりにし、心が決まった。2年生で初めて予選会を走った。弘山監督の指導を通じて練習内容が抜本的に見直され、チーム全体に本気で箱根駅伝を目指す意識が高まっているという実感があった。

3年生のときには、筑波大として14年ぶりに全日本大学駅伝の関東地区選考会へ出た。関東インカレを入り口にして、全日本の選考会へ向けて距離を伸ばし、トラックからロードへ移行していく。シーズンを通して箱根駅伝予選会に照準を合わせる流れができた。川瀬は4年生として挑む箱根の予選会を見すえ、志願して駅伝主将になった。川瀬は医学群にいるため5年生、6年生と出続けることもできるが、競技に集中できるのは4年間だけと考えている。全てを出しきる決意で、チームの先頭に立った。

ほかの大学にくらべて部員が少ないだけに、一人のけががチームに大きく影響する。仲間には、一人ひとりが自分にあった練習を考えて一番のパフォーマンスができるよう、競技に向き合う意識を高めようと訴え、問いかけてきた。学年が上がるにつれて練習時間を確保する難しさが出てくるが、川瀬自身は学業が競技に支障をきたしているとは思っていない。むしろ医学群の勉強で、より自分の体に詳しくなれるというメリットがあると考えた。「結局は時間の使い方だと思います。自分がやりたいことができてる充実感があるので、大変だという意識はないです」

「速さ」でなく「強さ」を

最後の挑戦と臨んだ今回の予選会。序盤は予定通りのペースが刻め、「いけるぞ」という感覚があった。しかし14km地点で足が止まり、苦しくなってからの粘りがなかった。タイムは1時間5分37秒でチーム5位。「あと1歩、あと1歩、届かなかった」と、つぶやくように話した。今後については「可能な限り、関東インカレも全日本の選考会も、箱根の予選会も出たい」と話すが、箱根への夢を追う主役は、次の世代に託す。

プロジェクトは当初、「5年以内に本戦出場、10年以内に優勝」という目標を掲げていた。弘山監督は言う。「予選会で練習ほどの力が出せてないのが、ここ数年の課題です。速さでなく強さ。本当の強さをこれから身につけていかないといけない」。プロジェクト8年目のいま、目標との途方もない距離を実感している。ただ、プロジェクトが始まってから徐々に選手が増え、彼らの背中を押す支援も大きくなってきた。選手たちが苦々しい顔で絞り出すように言ってきた「来年こそは」の言葉。これが途絶える瞬間を期待したい。

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