小林史弥 新潟医療福祉大エース、雪国からかなえた夢
新潟医療福祉大の小林史弥(ふみや、3年、十日町)は10月8日、出雲駅伝を北信越学連選抜のアンカーとして走った。小林は11月4日の全日本大学駅伝にも出場する。彼の大学が、初めて伊勢路への切符をつかんだからだ。過去9年、全日本の北信越地区選考会は信州大と新潟大の争いになっていた。その「2強」を崩しての出場だ。北信越の勢力図と選手の意識が、いま変わり始めている。
雪国で鍛えた筋力
新潟医療福祉大は新潟駅から車で30分ほどの日本海沿いにある。広大なキャンパスには1周400m×8レーンの全天候型トラックがあり、室内練習場には120m×5レーンの走路が備わっている。この二つが陸上競技部の活動場所だ。取材当日はあいにくの雨。室内練習場には走路のほか、三段跳びや走り幅跳びのピットもある。多くの大学生アスリートが汗を流していた。陸上の強豪校にも引けを取らない施設が新潟にあることに、いささか驚く。今回の取材の目的は、全国の舞台に挑戦する地方ランナーをこの目で確かめること。この充実した環境も、全国への挑戦権を得られた要因のひとつなのだろう。
2年連続で出雲駅伝を走った小林に話を聞いた。10000mの自己ベストは30分54秒でチームトップだ。小林は細長い新潟県のほぼ中央部に位置する津南(つなん)町の出身。小学2年のときに父が指導する地元の陸上クラブに遊びにいったのが、陸上人生の原点だ。中学も陸上部に入ったが、津南町は特別豪雪地帯に指定されるほどの雪深いエリア。「春と夏は陸上、秋は駅伝、冬はクロスカントリーをやってました」と、ザ・雪国育ち。冬に活動のできない競技の選手にとって、クロスカントリースキーをやるのは珍しいことではない。「けがをほとんどしないのも、全身運動のクロカンで筋力がついてたからかもしれません」と小林は言う。
高校は県立十日町高校へ。中学時代に駅伝で活躍していたライバルたちが「十日町で全国大会に出る」と揃って進学したから、同じ夢を見た。だが、高校3年のときに全国高校駅伝の県予選で2位までいったが、都大路は遠かった。「悔しかったです。けがをした選手が多かったのもあって、トップの中越に3分差をつけられました」。このとき小林は「これで陸上は終わり」と考えていた。
「好きだから続けたい」と思う仲間とともに
新潟医療福祉大には一般受験で進学した。専攻は理学療法学科。高校3年のときにけがで苦しむ後輩をみて、アスレティックトレーナーや理学療法士としてアスリートを支える側にまわりたいと思ったからだ。いまでもその夢は変わらない。だが、高校の県予選2位に入った十日町の主要メンバーを、陸上部が放っておくはずはない。
新潟の有力選手は、一様に関東の大学を目指す。3年前から中長距離ブロックを指導する泉田俊幸コーチも、選手の勧誘には苦労するという。だから小林が入学すると同時に、当時指導していたOBの中澤翔氏や先輩に熱心に誘われたのは必然だ。「ぼくはチームをまとめる役職ではないけど、練習でチームメイトを引っ張りたい」と話す現在の小林からは、入部のときにそんな事情があったとは到底思えない。
彼にとっては、整備された大学の環境と仲間も魅力的だった。「室内でも練習をする環境が整ってるので、冬でもしっかり練習できます」。さらに、「高校時代の陸上の成績だけで人が集まるんじゃなくて、好きだから続けたいと思う人が入部する。そういう人を伸ばせる環境があって、焦らずしっかり走る選手が育つというのが地方のよさ、うちの大学のよさだと思います」と、小林はうれしそうに話す。
信頼できる泉田コーチとこの練習環境もあり、高校まで全国舞台に縁のなかった小林が2年連続で出雲駅伝に出場。アンカーをつとめた今年は1人を抜いた。レース後のツイッターにも「去年の悔しかった思いを、しっかりリベンジできました」とつぶやいている。彼の充実ぶりが文字からも伝わる。ちなみにどのあたりがリベンジなのかと聞くと、昨年は初めての全国、初めての出雲で緊張して自分の走りが出来なかった。でも2回目の今年は設定したペースを守って自分のレースができた。からだそう。
最後に全日本大学駅伝の目標は? 「正直、関東の大学に進まないと全国の舞台に立てないと思ってましたけど、新潟にいて、その夢がかなったのがうれしいです。どの区間をまかされても、しっかり自分の力を出しきること。100%から120%のパフォーマンスができるように。あとは、ほかの大学でも記録会なんかで同じくらいのタイムの選手には勝ちたいです」。
地元新潟で着実に力を蓄えてきた小林と仲間の走りに注目したい。
新潟医療福祉大学
2001年に開学し、05年に陸上部が創部。同年駅伝ブロックが強化指定クラブに。硬式野球部やバスケットボール部ほか、強豪クラブも多い。主な出身者に笠原祥太郎(プロ野球中日ドラゴンズ)ほか。