ラグビー

連載:いけ!! 理系アスリート

ラグビーも医者もトライ 筑波大 中田都来(上)

この秋、初戦から6番を背負い続ける (斉藤健仁)

筑波大ラグビー部は2012、14年度に大学選手権で準優勝している関東大学ラグビー対抗戦の強豪だ。そのチームで奮闘するFL(フランカー)中田都来(とらい、2年、灘)は、国立である筑波大の医学専門学群医学類(医学部)に通う、「文武両道」を地で行くラガーマンである。今年の1月、中田はBKのCTBからFWのFLに転向した。そしてこの秋、対抗戦の初戦。ツクバブルージャージーの6番で初先発すると、それ以来レギュラーを確保し、持ち前の豊富な運動量と高い突破力で存在感を示している。

中田はトップレベルのラグビーの道も、医者の道もあきらめたくなかった。両立できる大学として筑波を選んで受験を突破。忙しい日々を過ごす。

灘高にいながら兵庫県選抜に

神戸市出身。ラグビーをやるしかないような「都来(とらい)」という名前は、関西大でラグビーをやっていた父が名付けた。5歳になると、中田は父に連れられて西神戸ラグビースクールへ。まさに川の流れのように自然と、彼のラグビー人生は始まった。

勉強も非常にできた。全国屈指の名門である灘中へ進学したのを機に、よりラグビーにのめり込んでいった。当時のポジションはSOだった。そして灘高へ。ほかの高校と合同チームを組んでいた時期もあったが、中田のいた3年間はどうにか15人が集まり、単独チームで試合ができた。中田は「僕が部員の中で一番ラグビーに打ち込んでました」と振り返る。ウェイトトレーニングにも力を入れていて、人に強いタイプの司令塔としてチームを引っ張った。

最後の花園予選は強豪の関西学院に3回戦で7-70と大敗したものの、個人としては報徳学園など全国的な強豪のメンバーに混じって兵庫県選抜にも選出された。それぐらい、灘高時代の中田のプレーは際立っていた。

母にあこがれ、慶應の古田に勇気をもらう

高3の11月にラグビー部を引退すると、ようやく受験勉強に専念する。「ぜんぜん勉強してませんでした」という中田は、学年220人中150~160番ぐらいの成績だったという。教科によっては偏差値50を切っていた科目もあったそうだ。

それでも医学部志望は揺るがなかった。母が医師で、現在は淡路島で開業医を営んでいる。母の仕事をする姿を見て育ったことで、幼いころから医師へのあこがれがあった。高校時代にラグビーでけがをして通院すると、医師をより身近な職業としてとらえるようになっていった。

また、慶應大の主将であるSO古田京(きょう、4年、慶應)が医学部に在籍しながらも対抗戦や大学選手権で躍動する姿を見て勇気をもらった。「自分も医学の道と大学トップレベルでのラグビーを両立したい!」と、強く思うようになっていた。

同じ医学生ラガーマンの古田(慶應、手前)へタックルに向かう(撮影・松嵜未来)

経済的に私立大医学部への進学は難しく、国公立大の医学部に絞った。地元の神戸大医学部も考えたが、ラグビーのことを考えると物足りない。第一志望に選んだのは、古田の慶應と同じ対抗戦に所属する筑波大の医学専門学群医学類だった。国公立大の医学部の中では最難関のひとつだ。

目標を定めた中田は11月以降、1日13~15時間は机に向かっていた。ラグビーで培った体力と精神力、集中力は受験勉強でも発揮された。数学はセンター試験で数I、IIともに満点。900点満点で851点と幸先よく高得点をゲット。2次試験も頑張り、見事に前期で現役合格を果たした。「何とか届きました!!」。中田は目標達成の日を思い出しながら言った。

FLとして低く低く押していく (斉藤健仁)

本当に医学生とラグビー選手を両立できるかどうか不安だった中田は、古川拓生監督、嶋崎達也ヘッドコーチに相談を持ちかけた。30年ほど前に医学を学びながらラグビー部に在籍した筑波大の先輩にもアドバイスを受けた。晴れて昨年4月から、医学を学びながら体育会ラグビー部に所属する学生となった。

中田都来後編「ラグビーも勉強も、日々やれることを」はこちら

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