「ラグビーも勉強も、日々やれることを」 筑波大 中田都来(下)
関東大学ラグビー対抗戦の強豪・筑波大のラグビー部でFL(フランカー)として先発出場している中田都来(とらい、2年、灘)は、同校の医学部にあたる医学専門学群医学類で学んでいる。高3の11月から本格的に受験勉強を始め、現役で難関を突破した。筑波大ラグビー部の関係者に相談を重ね、文武両道にトライすることにした。
解剖実習で遅刻せざるを得ない日も
最初から医学生とラグビー選手の両立がうまくいったわけではない。
筑波のラグビー部には、中田のように一般入試を経て入部してくる選手のほか、毎年5人はスポーツ推薦で入ってくる選手もいる。東福岡、茗渓学園、國學院久我山などの強豪高出身が居並び、元高校日本代表選手や日本代表キャップを持つ選手までいるのだ。最初にCTB(センター)となった中田は、1年生の間はAチームのファーストジャージーを着ることはなかった。
授業は月曜から金曜まで毎日5時限まであり、16時半まで授業を受け、17時15分からの練習に駆けつけるという忙しい生活を送ることになった。テスト前には、普段はウェイトトレーニングに充てている空きコマの時間も勉強したり、練習後に、常時使える医学棟で勉強したりして、なんとかやりくりした。
2年生になると解剖実習が始まったり、ほかの学群は夏休みでも中田の授業があったりで、どうしても練習に遅刻せざるを得ない日も出てきた。そんなときは周囲が配慮してくれ、途中から練習に参加させてもらえた。中田は「監督やヘッドコーチ、先輩には感謝してます」と語る。
「走るラグビー」で水を得た魚
昨年、筑波大は関東大学対抗戦Aグループの5位となり、大学選手権に出られなかった。1月から新チームが始動し、中田はFLへのコンバートの打診を受ける。古川拓生監督は「いまのスキルレベルであれば、BKとしてスペースを考えてプレーするより、FWとしてどんどん前に出た方が、運動量が豊富で体も強いという中田の長所が生きると思った」と、コンバートの理由を説明する。
体重が増えていた時期でもあり、転向の噂が耳に入っていた中田は、素直にコンバートを受け入れる。これが一大転機になった。
今年の筑波は「走るラグビー」を志向したため、グラウンドを動き回り、ボールを持ったらゲインし続ける中田のスタイルとマッチした。春季大会からFLとして先発の座を獲得。GPS(全地球測位システム)で計測すると運動量ではFWでトップの数値を叩き出し、体重もBK時代より6kg増やして93kgになったことで、晴れてこの秋の対抗戦でも先発出場することができるようになったというわけだ。
1年のときは対抗戦をスタンドから見ていたこともあり、中田は「筑波のファーストジャージーを着ると『出られない選手の分までやらなあかん』という気持ちになります。FLにコンバートしてもらってよかったです!」と、満面の笑みを見せた。
対抗戦2戦目の明治戦では、味方がチャージしたボールを拾い上げ、対抗戦初トライも決めた。ただFWになってまだ1年だ。スクラムやラインアウトといったセットプレーに課題があるのは十分承知である。中田は「まず自分のできることからやって、元BKのよさも生かしながら、FWのスキルも上げていきたい」と先を見据えた。
「ラグビーに恩返し」
「医学生とラグビー選手の両立は大変か」とあらためて問うと、中田は「正直、大変です」と返した。140人ほどが同じ2年生として医学を学ぶ中で、体育会に所属しているのは中田だけだという。中田はラグビーも医学の道にもトライするために筑波へ来た。「両方ちゃんとやらないと意味がない」。キッパリと言った。
まだ2年生ということで漠然としている部分もあるが、中田は「ラグビーに恩返しがしたい」「ラグビーに携わっていきたい」と、整形外科医を目指している。理系学部に所属しながら体育会で競技をしたいという高校生にどんな声をかけたいかと尋ねると、「いっしょに頑張りたいです。もっと両立する選手が出てきてほしいです」とエールを送った。
最後に両立の秘訣を尋ねた。中田は少し悩んでから、「ラグビーでも勉強でも、日々やれることをやる。それが大事ですね」と、元気に言った。医学の道もラグビーの道も妥協しなかったからこそ、中田都来は筑波で充実のキャンパスライフを送っている。