ラグビー アメフトから戻ってきた慶應エース
今年も、あと一歩届かなかった。約4300人の観客が集まる中、慶應が王者帝京に挑んだ。前半の中盤から帝京に主導権を握られ、7-24で折り返す。後半は一転、慶應がアタックでリズムをつかみ、2トライを奪って19-24と5点差に迫る。沸き返る秩父宮。だが慶應は試合終了間際、マイボールラインアウトを2度もミスしてノーサイドを迎えた。
勝ちきれるチームを
昨年の対抗戦は3点差、今年は5点差での敗戦……。大学選手権9連覇中の王者の前に、また慶應は涙を呑んだ。主将のSO古田京(きょう、4年、慶應)は「勝てる力はずっと持ってると思ってます。それでも僅差で負けてる。自分たちのスキルの足りない部分が、試合の中でありました」と肩を落とした。金沢篤ヘッドコーチは「選手たちはいいパフォーマンスをしてるので、明治、早稲田に勝ちきれるようにチームを作っていきたい」と前を向いた。
負けはしたが、慶應のエースランナーは圧巻のパフォーマンスだった。昨年まで慣れ親しんだ15番から14番に変わって出場しているWTBの丹治辰碩(たんじ・たつひろ、4年、慶應)だ。身長182cm、体重91kgの堂々たる体格。前半から大外だけでなくブラインドサイドからも攻撃に参加して存在感を発揮していたが、後半32分のプレーで観客を魅了した。
右のオープンスペースでボールを受けると、ハンドオフでタックラーをはじき飛ばし、一気にインゴールへ駆け込んだ。「あれだけスペースがあれば、自信あります。FWが近場でしっかりゲインしてくれたら、ボールをもらって1対1を抜くのは自分の義務、責任だと思ってます。今後もこういった状況ではしっかり取っていきたい」。丹治が冷静に誓った。
会うたびに「戻ってこい!」
丹治は慶應高3年のとき現在もチームメイトである古田、LO辻雄康(たかやす、4年)、No.8山中侃(あきら、4年)らとともに花園に出場した。慶應高の稲葉潤監督は「将来は日本代表になれる」と丹治のポテンシャルを認め、高校日本代表にも選出された逸材だった。
しかし丹治は大学に上がると、山中とともにラグビー部(慶應では「蹴球部」)ではなく、アメリカンフットボール部に入った。小学2年のときに世田谷ラグビースクールに入って以降はずっとラグビーだったため、「自分の中でラグビーは花園で一区切り。新しいことをやってみたかった」という。だが、丹治は山中とともに、早くも夏前にはアメフト部を辞めた。ボールを持って自由奔放に走ってきたふたりは、ほとんどすべてがサインプレーのアメフトになじめなかった。
山中はすぐにラグビー部に入ったが、丹治は1ヶ月間イギリスに短期留学。そこでクラブラグビーを経験し、ケンブリッジ大の一員として遠征中の帝京とも対戦した。それでもまだ、丹治は「ラグビーを自発的にやってたかというと、常にそうでなかった。自分の中でラグビーがどのくらい大きいのか分からなかった」と、すぐにはラグビーを再開しなかった。丹治と小学校時代からプレーしてきた辻は、会うたびに「戻ってこい!」と声をかけた。中学から同級生の古田は「戻ってくる」と信じていた。
丹治の心を動かしたのは、古田や辻らが1年から対抗戦や大学選手権で活躍する姿だった。「刺激を受けて、ラグビーを生活の中心に置いてもう一度、高いレベルで黒黄ジャージーを着てやってみたくなった」。1年生の2月、ようやくラグビー部の門を叩いた。
大学日本一、そしてトップリーグへ
心身ともにスイッチが入ると、丹治はめざましい活躍を見せた。2年から、慶應の15番を着けて先発するようになり、一気にエースランナーへと躍り出た。ウェイトトレーニングにも精を出し、高校時代は76kgだった体重はいま90kgを超えた。自由奔放なステップはそのままに、力強さが増した。
スケールな大きなプレーに、トップリーグの数チームから声がかかったのは当然の成り行きだ。就職を機にラグビーを辞めようと思っていたが、日本代表キャップホルダーでもある大学の先輩に「ラグビーは、いましかできない」というアドバイスも受け、卒業後も競技を続ける決意を固めた。「その時々で、自分がなにやったらいいかという判断に基づいて行動してきました。トップリーグでラグビーをやることも楽しいと思えたので、続けた方がいいかなと考えました」と語る。
もちろん、その前に丹治が、慶應が狙うのは大学日本一だ。帝京に5点差で負けて、「アタックの最後の精度や、キックミスをなくすこと、丁寧にボールを置く、そういったところが大事だなと思いました」と反省。一方で丹治は「あたらためて、自分たちのラグビーが出せれば通用するというのが再認識できました」と、春から積み上げてきたラグビーに自信を深めてもいた。
これらから慶應は明治、早稲田との対戦が控え、12月と1月は大学選手権だ。ラグビーシーズンはいよいよ佳境に入る。黄黒のジャージーを着て仲間とプレーできる時間は、あとわずか。丹治は名残惜しそうに「もう残り少ないので、楽しくラグビーをやって結果がついてきたらいいな」と話した。
小学校、中学校以来の仲間のいるラグビーに戻って来てよかったかと聞くと、丹治は「よかったです!」と破顔した。仲間の思いがつまったボールをエースがトライまで持っていくたび、慶應の白星、そして1999年度以来の大学日本一が近づいてくる。