3日坊主を恐れぬ挑戦心 新潟大・関谷岳(下)
連載「いけ!! 理系アスリート」の第7弾は、競泳の200mバタフライに取り組む新潟大学医学部4年の関谷岳(がく、開邦)です。東日本医科学生総合体育大会(東医体)で4年連続優勝、2017年には地元の沖縄で1分59秒30の沖縄県新記録を出しました。スポーツドクターになりたくて、2浪して進学した彼は、実習と座学の日々をすごしながらも、自己記録を更新し続けています。1年生のときは学内で練習していましたが、スイミングスクール「ダッシュ新潟」の山崎裕太コーチとの出会いをきっかけに、新しい環境へ飛び込みました。
コーチの熱量に触発され
関谷が大学で所属している医歯学水泳部は部員約60人で、みな医学部か歯学部の学生だ。練習を早朝にやることで文武両道に取り組んでいる。関谷も1年生のときは朝練をしていた。しかし、2年生からは医歯学水泳部に所属したまま、練習拠点をダッシュ新潟に移した。山崎コーチの“水泳熱”に触発され、「この人についていきたい」と強く感じたからだ。
山崎コーチの本職はトレーナーで、新しいものをどんどんメニューに取り入れるという。「そういう考え方も好きです。この人と一緒に水泳やって、それでダメだったらそれでいいやって思ってしまったんですよね」。関谷は医学部の全学科を終えたいま、ほかの人よりも深く山崎コーチの指導を理解できている実感がある。
ダッシュ新潟の練習は夕方。拠点が変わっても、練習頻度は変わらず週7~8回。朝6時に目を覚まし、長いときは授業が午前7時半から午後6時まである。日によっては実習で練習に行けない日も。そのときは休養日とし、学内での筋力トレーニングに切り替える。クラブでの練習は午後9時まで。帰宅すると10時すぎ。そこから勉強し、寝るのはいつも深夜2~3時。家では予習に取り組む。勉強でも水泳でも、準備を大切にしている。
医歯学水泳部で、学外で練習しているのは関谷だけ。「僕が一生懸命やってるのはみんな分かってくれてるので、めちゃくちゃ応援してくれます」と関谷。ダッシュ新潟として挑んだレースでも、関谷が結果を出すと部員はLINEで祝福してくれる。関谷は個人種目よりもリレーなどの団体種目が好きだという。東医体には医歯学水泳部として出場し、個人のほかリレーでも出場する。チームには優勝も狙える力があり、俄然力が入るという。
関谷は大学の6年間で水泳にピリオドを打つ予定だ。6年生になる2020年には東京オリンピックがある。関谷の目標は自己記録更新の継続、そして20年4月にあるオリンピック選考会を兼ねた日本選手権に出場することだ。そのためには日本選手権の標準記録を突破しないといけない。さらに翌21年には医師国家試験も控えている。多忙を極める年になるだろうが、それでも関谷は楽しみの気持ちの方が勝っているという。「医学部なのにすごいね、って言われることもあるけど、僕自身は医学部にいるデメリットを感じたことはないです。だから『医学部の選手』としてじゃなく、一人の選手として見てほしい気持ちはあります」
当たり前のレベルを高くする
関谷の生き方について友人たちは「ストイック」と言うそうだが、関谷自身はあまりそうは思っていない。「ストイックな人って、めっちゃ努力する人って感じですよね。僕は当たり前に努力をして、努力を習慣にすることを心がけてます。今日は2時間勉強しようとか、休みだから10時間やろうとか。1回だけやるなら努力だろうけど、それを繰り返せたら習慣になりますよね。勉強にしても競技にしても、トップレベルの人たちを見ていると、当たり前のレベルが違うなって。だから僕も、自分の中の当たり前のレベルを高くしようと思ってます」
最後に「文武両道を続けられるかと不安な人に、どんなアドバイスをしますか」と尋ねた。「3日坊主でもいい」と関谷。「3日坊主ってあまりよくない意味にとらえられてますけど、新しいことに挑戦しないと3日坊主にもなれないじゃないですか。トレーニングとか勉強とか思いついたらまずやってみて、しっくりくれば続ければいいし、駄目ならまた新しい方法を考えればいいだけのことですよ」。関谷は勉強にiPadを活用していて、友人から「このアプリいいよ」と言われるたび、まずは試してみる。自分には合わないと思ってやめたものも多いそうだ。挑戦しない限り何も始まらない。そう思って、関谷はここまでやってきた。
4人きょうだいの末っ子である関谷には、双子の兄の斗武(とむ)がいる。「昔からお兄ちゃんには何も勝てないと思ってました」と言う。兄こそ当たり前に努力ができる人で、中学校の最初のテストで、兄は学年1位だったという。自由形が専門の兄はスポーツ推薦で筑波大に進み、いまは引退して社会人になっている。毎年バタフライの自己新記録をたたき出している関谷でも、自由形では兄の記録にまだ及ばない。切磋琢磨できる人が身近にいたことも、関谷の挑戦し続けるマインドにいい影響を与えてくれたのだろう。
関谷が思い描くスポーツドクターは「どんな状況でも競技を楽しめるようにサポートできる人」なのだそうだ。選手が故障で競技ができないときでも、痛みに寄り添い、ドクターとして力を尽くす。そのためにはまず、関谷自身が競技を楽しむことが大切になると考えている。
沖縄時代には目にすることがなかった雪にも、4年目が終わろうとしている新潟での生活で、すっかり慣れた。競技人生は残り2年。関谷の挑戦に、どんなストーリーが待っているのだろうか。