アイスホッケー

連載:いけ!! 理系アスリート

カナダで刻んだホッケーマンとしての第一歩 日本医科大医学部・永田峻也(上)

スケーティング技術の高さがDF永田(中央)の持ち味

連載「いけ!! 理系アスリート」の第21弾は、日本医科大医学部2年生でアイスホッケー部のDFとして活躍している永田峻也(しゅんや、慶應)です。物心ついたときに医師になろうと決めた永田は、小1のときにアイスホッケーを国技とするカナダでこの競技に出会いました。2回の連載の前編は今シーズンの日医大の戦いぶりと、永田の歩んできた道についてです。

学業最優先を貫き、車椅子ソフトで世界に挑む  慶應理工学部・小貫怜央(下)

入り替え戦へのラストチャンスだったが

それは「5秒あれば点が入る」アイスホッケーならではのシーンだった。

11月10日、東京・東大和スケートセンターであった関東リーグディビジョンII(2部リーグ)、上智大と日本医科大との順位決定戦。日医大が勝てば勝ち点3が加わり、上位2校が出られるディビジョンI(1部リーグ)との入れ替え戦が大きく近づく。もし上智大が勝てば、すでに2部優勝を決めていた筑波大との最終戦を落としたとしても、2位で入れ替え戦の切符が手に入る。いわば入れ替え戦の出場チーム決定戦だった。

2部リーグの試合は、15分×3ピリオドの計45分。そのうち7~8割の時間は、上智大がパックを支配していた。しかし、第2ピリオドまでシュート24本だった上智に対し、6本だった日医大が第3ピリオド8分に先制のゴールを決めた。今シーズンの日医大の勝ち試合を振り返ると、1-0もしくは2-1というロースコア。日医大は得点力に乏しい反面、東京のジュニアチーム「明治神宮外苑」出身のGK荒井崚太郎(りょうたろう、4年、青山学院)とDF永田という、守りに絶対の自信を持つ二人がいる。この1点を守り切ることが、勝利、すなわち入れ替え戦に近づくことを意味していた。

しかし上智大も黙ってはいなかった。試合終了1分前、主将の和田森綜祐(4年、バンコク・インターナショナルスクール)が日医大のGK荒井の足元をかすめる同点のロングシュート。引き分けで勝ち点1ずつを分け合えば、その時点で日医大の入れ替え戦出場はなくなる。日医大は荒井をベンチに下げ、代わりにFWを出場させるアイスホッケー特有の「6人攻撃」で勝ち越しを狙った。しかし逆に終了16秒前、上智大のシュートが無人の日医大ゴールに吸い込まれた。1-2。これで日医大の関東リーグ2部3位が確定した。

多忙な父から、医学への愛が伝わってきた

GK荒井とともに日医大のディフェンスを支える永田も、試合では主力として活躍する一方で、普段は学業優先の日々を送っている。「月水金は6限、朝8時40分から夕方5時10分まで、びっしり講義があります。火曜と木曜は実習。いまは遺伝子工学を学んでて、解剖だったり、生理学だったりといろいろあるんですけど、実習はすごく楽しいですね。講義で学んだことを実践できるのが楽しいです」

日本医科大の守りの中心、GK荒井(左)と永田。同じジュニアチーム出身の永田に対し、荒井は「日医に入って筑波に勝とう」と熱心に誘ったという

解剖では白衣を着用し、やはり朝から夕方近くまで続くという。「実験ではご遺体にメスを入れさせていただくんですけど、とくに抵抗感もなく、最初から受け入れられました。僕だけでなく、医学部に入ってくる学生はみんなそうですよ。最初の実験の段階から、怖がってるような人は一人もいません」

永田の父の真さんは医師で、埼玉医大でアイスホッケーをしていた。現在も埼玉医大アイスホッケー部の部長を務めているが、ホッケーマンとして以上に永田があこがれを抱いたのは、父の「医師」としての側面だ。

「父は内科でアレルギーが専門で、普段の勤務だけでなく、講演で全国を飛び回ってて、家にはほとんどいません。本当に忙しいんですけど、それでも家に帰ってくると楽しそうに仕事の話をするんです。まだ小さかった僕に、血液の好酸球(こうさんきゅう)の説明をすることもありました。もちろん、話してる意味なんか分からなかったんですけど、父が医師という仕事を本当に好きなんだということは分かりました」

母は言った。「トップを目指しなさい」

永田は立教小学校1年生のとき、母の陽子さんに連れられてカナダ・トロントに渡っている。陽子さんは駒澤大の心理学の教授で、アイスホッケー部の部長も務めている。研究留学でカナダに行くことになり、永田も同行した。アイスホッケーを国技とするカナダで、永田はホッケーマンとしての第一歩を刻んだ。とはいえ、「スケートの経験もなくて、氷の上をよちよち歩くような状態で。周りはみんなうまいから、ホッケーが楽しいというより、『やだなあ、早く練習が終わらないかなあ』って思ってました」と振り返る。

ホッケー選手としてのスタートはカナダ・トロント。医学への道を第一に考えながら、ホッケーや習い事でも一切の妥協はなかった(写真提供・永田峻也)

1年ほどでカナダから帰国し、東京の「シチズンジュニア」(現・高田馬場アトムズ)に加入。ここから永田の競技者としてのキャリアが本格化する。永田はホッケーと並行して楽器のチェロを習っていたが、その二つの時間が重なっていたため、小学4年生のときに荒井がいた「明治神宮外苑」のジュニアチームに移籍した。

「ホッケーも楽しいし、チェロも楽しかった。どちらかに絞るという考えは、僕にはありませんでした」と永田。それは母の影響だという。「母には『トップを目指しなさい』って、いつも言われてました。勉強もホッケーもチェロも、すべてにベストを尽くせと。何かをするから、その代わりに何かをおろそかにしていいということはないんです」

いま、日医大の練習は週2回。埼玉の上尾市や東京の江戸川区のリンクで深夜1時、2時から始まる。練習が終わって家に帰り、防具を干して風呂に入ると、もう朝だ。「1時間しか寝ないで学校に行くことは、普通にあります(笑)。家に帰ったら朝6時という日もありました」。それでも布団に入った1時間後に起き、永田は東京・千駄木にある大学に向かう。

今夏は北海道・釧路で7月から合宿をした。2年生ながら戦術練習ではリーダーを任された

「日医の2年生の選手は僕だけ。ということは、同じ学年の学生にとっては、僕の印象がアイスホッケー部の印象になります。僕が大学でいい成績をとれば、アイスホッケーは深夜練習をしてても、ちゃんと勉強と両立できるんだなって、周りの人に思ってもらえる。ホッケーを知らない人に、ホッケーを悪く思ってほしくないんです。それが僕のプライドでしょうか」

関東リーグはこの秋、1部リーグのA、Bを筆頭に44チームが5部リーグ、六つのカテゴリーに出場。そのうち医学系の単科大は10チームで、日医大はランキングとしては最上位(17番目)になる。上智大に敗れた後、永田に「医学部の単科大としては最高順位じゃない? すごいことだよ」と話を振っても、乗ってはこなかった。「よく頑張った、と言われてもうれしくない」。そう思っていたのだろう。

ハードな毎日は、ドクターになれば当たり前 日本医科大医学部・永田峻也(下)

Seriesこの連載をもっと読む

この連載の記事一覧へ

いけ!! 理系アスリート