ハードな毎日は、ドクターになれば当たり前 日本医科大医学部・永田峻也(下)
連載「いけ!! 理系アスリート」の第21弾は、日本医科大医学部2年生でアイスホッケー部のDFとして活躍している永田峻也(しゅんや、慶應)です。物心ついたときに医師になろうと決めた永田は、小1のときにアイスホッケーを国技とするカナダでこの競技に出会いました。2回の連載の後編は、文武両道を目指す理由についてです。
少ないメンバーで、どう守りきるか
日医大の部員数は14人。これは関東リーグの中でもかなり少ない。アイスホッケーはGK1人、DF2人、FW3人でするスポーツ。氷上で動き回るため、体力の消耗が激しい。そのためベンチには22人の選手が入り、GKを除く5人(DF2人、FW3人)が一つの「セット」を組んで、そのセットが1分ほどで交代を繰り返していく。ところが現在、日医大のDFは永田を含めて3人だけ。2部リーグの試合時間は15分×3ピリオドだから、永田は1試合45分間のうち40分近く氷の上にいる。
小4から中3まで在籍していた東京のジュニアチーム「明治神宮外苑」のころも、DFは3人だった。「3人だとチェンジ(選手交代)は戦術というより休憩の意味合いが強いんですけど、3人で回すことを経験できたのは、僕のホッケー人生にとって大きかったです。試合終盤までいかに体力を持たせるか。一度わざと相手にパックを持たせてからスティックを出して奪い取るとか、いかに走らない局面をつくるかとか……。いまの日医のホッケーに通じる部分がありますね」
伝統の慶應高から誘われ「充実の毎日」
医師である父の真さんの姿を見て、「将来は医学の道へ」と幼いころから考えていた。しかし関東のアイスホッケーの伝統校・慶應義塾高から誘われたことで、高校び3年間は生活に占めるホッケーの比率が格段に上がった。
「ホッケーのプレーを評価していただいてうれしかったのと同時に、1学年700人というマンモス校で自分の学力がどの程度なのか、挑戦してみようと思いました。学校のチームならインターハイを目指せるし、慶應には医学部がある。塾高に進むことが、自分の人生のキャリアにおける正しい選択なんだと思いました」
文武両道の人になりたい。慶應高での3年間は、そんな永田の願い通りの日々だった。入学してすぐから主力のDFとして活躍し、2年生の全国選抜大会(北海道・苫小牧)ではベスト8。準々決勝では、インターハイを31度制している駒大苫小牧高を相手に開始30秒で先制し、第2ピリオド終了時点では2-3。最終の第3ピリオドで5失点して敗れたが、自信になった。練習や試合が終われば、学年トップを目指して机に向かう。勉強においても、アイスホッケーにおいても、文字通りの「充実の毎日だった」と永田は振り返る。
集大成のインターハイ前に退部
ところが3年生になると、学校の成績が思うように伸びなくなった。「塾高から推薦で医学部に進めるのは学年で20人くらい。医学部を希望していたのは30~40人で、2年生まで自分は20位台の真ん中あたりでした。『頑張ればいけるかな』という感じだったんです。ところが3年生になって成績がガクンと落ちた。日本史と地学が苦手で……。医学と関係ないと言えばないんですけど、推薦なので全科目でいい成績をとらないといけなかったんです」
6月の1カ月間、アイスホッケーの練習を休んで勉強に専念。しかし学期末の7月に出た成績は芳しくなかった。集大成である1月のインターハイを前に、永田は8月の全国選抜大会を最後に部を去った。
このとき永田の心には一つの決めごとがあった。現役で合格することだ。「現役で医学部に進むから価値があるんだと思ってました。父からいつも医学の情報を聞かせてもらってて『年齢って大事だな』と思ったんです。いろんな考え方がありますから必ずしも僕が正しいとは言いませんけど、1浪すれば医師としてのキャリアも1年短くなる。それって、すごくもったいないなあって思ったんです」
迎えたインターハイで、慶應高は永田のユニフォームをベンチに飾り、全国ベスト8入りを果たした。試合を終えて永田のユニフォームとともに写った仲間の写真をスマホに入れ、永田は大学入試の会場に向かった。結局、慶應医学部への内部推薦はならなかったが、自分を熱心に誘ってくれた明治神宮ジュニアの先輩、GK荒井崚太郎(4年、青山学院)がいる日医大と縁があった。
文武両道の苦労は医師の世界に生きる
日医大に入って2年目のシーズン、関東リーグを終えたいまの目標は、12月25~30日に札幌市の真駒内で開催される東日本医科学生総合体育大会(東医体)で、前回に続く優勝を果たすことだ。
「アキタイ(秋の関東リーグ)の筑波戦で日医は0-7で負けました。ゴール前で相手のしつこさに負けたのが敗因だと思います。やはり守ってこその日医。気持ちを切り替えて、課題ときちんと向き合って東医体に臨みます」
永田の身長は162cm。アイスホッケー選手、とりわけ相手の体を抑えるDFというポジションにでは珍しいぐらいの小柄だ。それでも永田は体格をハンディと感じたことはない。「体を使わないで相手に勝つ。例えばスティックを使った守りを極めることもそうだし、スピードを生かすのもそうです。小さいなら小さいなりの技がある。『小さいから無理だ』『小さいからできない』というのは、自分の中にはないんです」。自分に対して言い訳をつくらず、何か理由をつけて妥協することもない。それは永田がずっと大切にしてきた信念で、おそらく、これから先も変わることはないのだろう。
「実習、練習が続いて、試験勉強もある。なかなかハードですけど、そういう厳しさは将来、ドクターになれば普通にあることです。医師という仕事は、失敗も言い訳も許されない世界です。仮に自分にとって不利な状況であったとしても、目標があるなら、それに向かって努力する。そういうポリシーは、ずっと持ってました」
明け方に帰宅して1時間寝て大学に行くことも、試合時間45分のうち40分プレーすることも、言ってみれば、永田にとっては目指す“医師像”に近づくための修行。妥協はしない。