アイスホッケー

中大の矢島翔吾、元スター選手の父と歩むアイスホッケー道

矢島と父の敏幸さん。日本リーグのスターだった敏幸さんは息子の中大進学を機に、コーチに戻ってきた

秩父宮杯関東選手権Aグループ準々決勝

4月13日@東京・ダイドードリンコアイスアリーナ
法政大 5-4(PSS1-0) 中央大

アイスホッケーの秩父宮杯関東選手権Aグループは4月13日に準々決勝があり、勝ち残った4校が20日からの決勝リーグへ進んだ。

法政大-中央大の一戦は、3年前の覇者である中大が、1-4の劣勢から3連続ゴールで追いついた。同点ゴールは試合残り3分4秒、2年生のFW矢島翔吾(駒大苫小牧)が決めた。その後はともに追加点を奪えず、3ピリオド計60分を終了。決勝リーグ進出をかけ、勝敗はサッカーのPK戦にあたるPS(ペナルティー・ショット)戦に持ち越された。

勝つという気持ちで負けた

PS戦の1人目は、双方ともノーゴール。2人目、先攻の法大は主将の小西遼(4年、武修館)がバックハンドでゴール。中大の2人目は、PSに絶対の自信を持つ矢島。矢島は巧みなハンドリングでパックを運んだが、その足先に法政GK中島康渡(3年、駒大苫小牧)のスティックが伸びていった。高校の1学年先輩のゴーリーは、後輩のシュートをよく知っていた。結局、矢島は失敗。体勢が崩され、落胆もあったのか、矢島はしばらく氷上で倒れたまま動けなかった。中大は3人目もシュートが決まらず、法大の勝利。秩父宮杯、秋の関東リーグ、12月末のインカレの「3冠」を掲げた中大の目標は、早くもシーズン開幕2週間で消えた。

矢島は法大との準々決勝で同点ゴールを決めながら、PS戦では失敗

試合後の矢島は30分以上も控え室にこもってから、出てきた。「今日の反省は、PSよりも試合の入り方だったと思います。第3ピリオドで4-4に追いつきましたけど、もっと前の時間で追いつけたし、勝つという気持ちの面で法政が上でした。シュートにしても、どっからでも打ってきたじゃないですか。法政の勝ちたい気持ちの強さを感じました」。パスを主体にしたホッケーは中大のスタイルではあるが「もっと泥臭く点を狙ってよかった」と、矢島は言った。

ファンを沸かせた鈴木-矢島コンビ

矢島という名字。長くアイスホッケーを見ている人ならピンとくるだろう。矢島の父敏幸さんは、王子製紙(現・王子イーグルス)で1980~90年代に活躍したFWで、アジアリーグの前身である日本リーグで通算252得点をマーク。センター鈴木宣夫さん(現・関西大監督)との名コンビは、チームでも日本代表でもファンを沸かせた。

ファンを熱狂させた矢島敏幸さんの現役時代(写真は本人提供)

敏幸さんの武器は、海外のチームも舌を巻くスピード。両足を小刻みにクロスさせながら加速し、トップスピードに達しようかという瞬間にパスを受けてゴールに突進する姿は、アイスホッケーに取り組む少年たちのあこがれだった。当時はアイスホッケーのテレビ中継も多く、夜のスポーツニュースでは各社とも日本リーグのダイジェスト映像を流した時代。鈴木-矢島のコンビは、日本アイスホッケーリーグ最後の全国区のスターだった。

矢島の父敏幸さんは現在、中大のコーチを務めている。父と息子であり、コーチと選手という間柄。総監督の江守秀次さんが監督だった時代にもコーチをしていたが、息子の入学を機に、再び指導に戻ったのだ。普段の勤務は北海道の苫小牧。指導は夏合宿、インカレ前の集中練習、東京で試合がある週末に限られる。この4月13日も昼まで会社で仕事をして、飛行機と電車を乗り継ぎ、夕方5時半からの試合に間に合ったそうだ。基本的にベンチワークや選手の起用に関しては、監督や東京在住のコーチの仕事。矢島さんは技術面の指導を担当している。

父と同じ王子のユニフォームを

アイスホッケーはFWが3人、DFが2人で「セット」を組み、試合中は複数のセットが入れ替わって戦う。FW3人の真ん中はセンターで、その左右がウイング。敏幸さんはウイングの名プレーヤー、しかし矢島自身は高校までずっとセンターだった。

中大で矢島は第1セットのウィングを任されている

幼いころからビデオで父の現役時代のプレーを見てきた矢島さんが目を奪われたのは、父ではなく、その隣にいたセンターの鈴木さんだったのだ。それが、中大に入学してからはチーム事情もあってウイングに。現在はチームの主力が名を連ねる第1セットを任されている。「1つ目にいるってことは、チームの看板ということ。プライドを持って臨んでますし、チームが苦しいときに点を取って勝たせるのが仕事だと思ってます」と、矢島は語る。

矢島にはチームの優勝と並行して、大きな目標がある。卒業後はプロの世界に進み、父と同じ王子のユニフォームを着ることだ。春の大会の前には王子の練習に参加させてもらい、最高峰のホッケーを体験した。「何が違うかといったら、まず体の強さ。それと、相手が抑えにきてる中でもシュートを決めきる、そこですね。相手が当たりにくる中で、どれだけ冷静に、どれだけアイデアを持ってシュートを入れられるか。これからは、そこを考えながら練習していきたいです」

大学1年生の昨シーズンは背番号97。今シーズンから、父の現役時代と同じ7番を背負う

大学のトッププレーヤーによるエリート集団、日本製紙クレインズが廃部になるなど、日本のアイスホッケーを取り巻く環境は厳しい。そうした中で、矢島がアジアリーグを目指していることについて父は「日本リーグでやってきた一人としてうれしい」と、喜ぶ。「最高峰の舞台でやることの素晴らしさはもちろん、日本リーグでは人と人とのつながりを経験させていただきました。いま私は、オールドタイマーという50歳以上の大会に出てるんですけど、いまでも当時のファンの方々が応援に来てくれるんです」

関東の大学の試合が開催される東京・東伏見のダイドードリンコアイスアリーナは、かつてトップリーグ・西武のホームリンクだった。王子との試合がある度に、鈴木-矢島のコンビを目当てにファンがスタンドを埋め、試合を終えて選手たちが都内の宿舎に戻る電車の中は、女性ファンたちとの集団デートの様相だった。「多くの人に応援していただくことや、人とのつながり。その喜びを翔吾にも経験してほしい」。敏幸さんの言葉は、日本のアイスホッケー再興へ向けた一人のコーチとしての願いであり、そして息子の将来がよきものであれという父としての願いでもある。

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