ソフトボール

連載:いけ!! 理系アスリート

車椅子ソフトで、またプレーヤーになれた 慶應理工学部・小貫怜央(上)

車椅子ソフトボールの競技歴は3年ながら小貫は日本代表チームで4番を担う(すべて撮影・上原伸一)

連載「いけ!! 理系アスリート」の第20弾は、慶應義塾大学理工学部3年生で東京レジェンドフェローズという車椅子ソフトボールチームに所属する小貫(おぬき)怜央(慶應)です。2回の連載の前編は、野球少年だった小貫が車椅子ソフトボールに出会った話です。

言い訳せず、時間をうまく使えば勉強もアメフトもできる 立命館大理工学部・長尾健登(下)

突然始まった抗がん剤治療、家族と友だちが支えてくれた

小貫は子どものころからずっと白球を追いかけてきた。慶應義塾幼稚舎に通っていた小学1年生のときに野球を始め、地域の軟式のクラブチームに所属。中軸を打ち、都大会に出た。慶應義塾中等部では軟式野球部で控えのファースト。試合ではスコアラーとして働き、記録を丹念に集計した。当時から数字に強かった。

野球を生活のベースに置きながら、勉強にも励んでいた。そんな健全そのものの少年に異変が現れたのは中3の冬だ。「1月ごろから左足に痛みを感じるようになったんです」。その後も痛みは続き、3月になって病院でレントゲンを撮ると、ひざの骨が映っていなかった。そこには腫瘍(しゅよう)ができていた。医師からは、抗がん剤治療に取り組み、人工関節を入れる必要があると伝えられた。

「それがいかに大変なことか、すぐには理解できなかったんですけど、『もう野球ができない』と分かったときに、その重大さを知りました」

4月から内部進学で慶應義塾高校に進むと決まっていた小貫はそのまま入院。6月にひざの関節を人工関節に置換する大手術を受けた。

笑顔が印象的な小貫。質問には理系の学生らしく、理路整然と答えてくれた

長期に渡った病院生活。支えてくれたのは両親だ。母の園美さんは「治そう、治そう、と言うと本人にはプレッシャーになると思い、そういうことは口にしないよう心がけました」と振り返る。友だちの励ましも大きかった。慶應育ちの小貫には長い付き合いの友だちも多く、しばしば見舞いに来てくれたという。

野球に関われる道を求め、車椅子ソフトボールに光を見た

高1の授業には3割程度しか出席できなかったが、慶應高には診断書を提出した上で、定期試験をパスすれば進級できるシステムがあった。小貫は仲間にノートを借りて勉強し、なんとかクリア。2年生に進級し、学校に通いながら少しずつ元の日常を取り戻した。すると、閉じ込めていた野球への思いが再燃。マネージャーとして軟式野球部に入った。

「プレーはできませんでしたけど、野球に関わらないという選択肢はなかったので……。ただ2年の夏からにも関わらず、仲間がよく受け入れてくれたな、と感謝してます」

それから約1年間、仲間にも恵まれ、小貫は軟式野球部でいい時間を過ごした。

小貫が車椅子ソフトボールと出会ったのは軟式野球部での活動を終えたあと、2016年秋のことだ。これからどうしようか、とスマホをいじっていたとき、ツイッターで車椅子ソフトボールの存在を知った。「これなら僕でもできる」。そう思った小貫はチームを探し出し、東京レジェンドフェローズの練習体験会に参加した。

車椅子ソフトボールのルールはスローピッチ・ソフトボールとほぼ同じだが、独自のルールも少なくない

いざやってみると、車椅子に座ったままで投げる、打つ、捕るといった動作をするのは簡単ではなかった。車椅子の操作技術も求められる。小貫はこうしたことに適応する難しさも感じはしたが、何よりも自分がプレーヤーになれるのがうれしかった。

誰もが分け隔てなく楽しめる、究極のダイバーシティ

1970年代からアメリカで広がりを見せていた車椅子ソフトボールは、2012年に元プロ車椅子バスケットボールの選手で、現在はパラアイスホッケーなどで活躍中の堀江航によって日本に持ち込まれた。翌年4月には日本車椅子ソフトボール協会(JWSA)が発足し、第1回全日本選手権が開催された。15年からは埼玉西武ライオンズが主催する「ライオンズカップ」も開かれていて、今年は10チームが参加した。現在、JWSAには19チームが加盟している。

車椅子ソフトボールは、スローピッチ・ソフトボールが土台になっているが、違いもある。例えばグラウンド。土や芝生では車椅子が走らないため、舗装された平面状の場所が適している。ほかにも、常にカウント1-1からスタートし、2ストライク後にファールを打つとアウト。盗塁は禁止。1チーム10人制で、10人目の選手はどこでも守れる。

ほかの車椅子競技同様に、選手の障害に応じてクラス分けされている。「I」(1点)、「II」(2点)、「III」(3点)、「Q」(0点)と四つに区分されており、障がいが重いほどに点数が低い。試合は障がいの軽い「III」の選手だけでは成立せず、出場している選手の合計が21点以内とし、必ず「Q」の選手を入れなければならない。一方で男女混合でもよく(女子はそれぞれの点数からマイナス1.5点)、年齢制限もない(高校生以下はマイナス1点)。

日本国内のルールでは、合計が21点を上回らなければ、健常者も一緒にプレーできる(健常者の男子は3点で、女子は1.5点)。つまり車椅子ソフトボールは、障がい者と健常者が、性別や年齢も超えて一緒に楽しむことができるスポーツなのだ。

日本国内では障がい者と健常者が性別や年齢の枠を超えて一緒にプレーができる

小貫は練習体験会に参加してすぐ、車椅子ソフトボールがダイバーシティ(多様性)を実現していることに魅力を感じたという。

「車椅子に乗っている人には、障がい者もいるし、健常者もいる。男子もいれば女子もいるし、若い人もいれば、そうでない人もいる。みんなが分け隔てなく楽しくプレーしているのを見て、この競技はいいな、と思いました」

学業最優先を貫き、車椅子ソフトで世界に挑む  慶應理工学部・小貫怜央(下)

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