東北福祉大・小林禅 投手未経験のマネージャーが150キロを投げ、プロを目指すまで
東北の名門・東北福祉大学に、異色の経歴を持つドラフト候補が現れた。最速153キロ、身長188cmの速球派右腕・小林禅(3年、佐久長聖)。もともと外野手だったが、ケガの影響で高校の途中からマネージャーに転向し、大学の硬式野球部にもマネージャーとして入部した。昨年11月、「遊び」でボール投げて151キロを計測したことがきっかけとなり、選手に復帰。投手歴約1年の右腕は、本気でプロ入りを目指している。
ケガで「腐るくらいなら」マネージャーに
長野県佐久市出身。小学1年生の頃から野球を始め、中学まではあらゆるポジションを守った。地元の強豪校・佐久長聖では外野手に専念してレギュラーを狙ったが、2年秋に右ひじを骨折。完治には半年ほどを要すると告げられ、「野球ができなくて腐るくらいなら、マネージャーをやろう」との考えでマネージャーに転向した。
練習中にタイムを測ったり、パソコンで打率などのデータを算出したりしてチームを支え、コロナ禍で甲子園が中止となった最後の夏は県の独自大会優勝に貢献。転向した当初はまだ抱いていた選手への未練が徐々に薄まると同時に、マネージャーの仕事を誇りに思えるようになった。
高校野球引退後は「強い大学でマネージャーをやりたい」との思いが芽生えた。高校の監督から推薦を受け、希望通りマネージャーとして東北福祉大へ。4年間、裏方に徹する覚悟で地元を離れた。
衝撃の151キロに「まだ野球人生があるかも」
大学2年生だった昨年の秋ごろ、東北福祉大野球場での全体練習終わりに「遊び」でボールを投げると、球場のスピードガンで立て続けに140キロ台が表示された。「思い切り投げたらもっと出るかもしれない」。後日、キャッチボールで肩をつくってから投げると、151キロを計測した。
本格的な投手経験がない上、マネージャーをしていた約3年半の間は練習やトレーニングを一切行っていない。体格に恵まれているとはいえ、突然の豪速球の要因は小林自身も分からないという。
「マネージャーの小林が151キロを出したらしい」。うわさは部内で瞬く間に広まった。チームメートからは「ピッチャーやればいいじゃん」「エグいな」などと次々に声をかけられた。
当の小林は葛藤していた。「もしかしたら、俺にもまだ野球人生があるかもしれない」という気持ちが高ぶった一方、「マネージャーとして入部したのに『選手をやりたい』と言うのは自分勝手。推薦してくれた高校の監督の顔に泥を塗ることにもなる」との懸念も頭に浮かんでいた。同期のマネージャーが岩田圭一郎(3年、聖望学園)の1人になってしまうことも懸念材料の一つだった。
先輩右腕から伝えられた「150キロ」の価値
そんな小林の心に強く残った言葉がある。高校時代からの先輩である北畑玲央(4年、佐久長聖)の助言だ。
「150キロを投げたいと思って投げられるピッチャーなんてほとんどいない。人生を懸けて本気でやっても、150キロ投げられなくて野球をやめたり、プロをあきらめたりするピッチャーもいる。それを投げられるのは才能だから、絶対に野球をやった方がいい」
高校生の頃からプロ注目投手だった北畑でさえ、公式戦で初めて150キロが出たのは大学4年生になってからのこと。強力な東北福祉大投手陣の中心を担う大先輩の言葉は重かった。
豪腕ぶりは指導者の目にも触れることとなった。練習で打撃投手を務めたある日、山路哲生監督(当時は総監督)から「良い球投げるな」と声をかけられた。その数日後、マネージャーとして山路監督を車で送迎している最中に選手復帰の意向を問われ「懸念」を吐露すると、「そんなの関係ない。(ピッチャーを)やったらいい」と背中を押してくれた。
同期の岩田からも「頑張れ」と発破をかけられ、迷いは完全に消えた。指揮官のお墨付きをもらった直後の昨年11月上旬、小林の選手生活がリスタートした。
「100%、マネージャーの方がしんどい」
選手登録をされて以降はウェートトレーニングと食トレに励み、体重を増やした。当初はストライクを入れることに苦労したが、投げ込みを重ねるうちに制球力も少しずつ向上。チームメートに教わってフォーク、カーブ、カットボール、ツーシームと4種類の変化球も習得した。
選手復帰1年目でのリーグ戦デビューはならなかったものの、オープン戦や紅白戦ではたびたび好投し、球速も150キロ台を連発。今夏たたき出した自己最速153キロはその後も複数回計測しており、150キロ超が「偶然の産物」ではないことを実戦の場で証明した。
11月下旬に佐久長聖OBとして出場した「あの夏を取り戻せ~全国元高校球児野球大会2020-2023~」でも速球を披露し、最速152キロを計測して甲子園を沸かせた。マウンドで熱気を感じ、歓声を浴びる喜びを初めて知った。直近の目標はリーグ戦での登板。その先に見据えるのは160キロ到達、そして大卒でのドラフト指名だ。大事な今オフは「自分に欠けているものを探して、足りない部分を重点的に鍛える」と力を込める。
「3年半のブランクがなければ」と思うことはないか尋ねると、小林は「正直、もっと野球をやっていればもっと上にいけたかもしれないとは思う。でも、マイナスなことはあんまり考えたくないですね」と笑って答えた。
「選手とマネージャーの生活は全然違う。100%、マネージャーの方がしんどいです」。朝が早く、夜は遅い。掃除や書類作成などの業務を淡々とこなしつつ、常に人のために時間を割く。裏方の苦労を知り、多くのことを学んだからこそ、野球ができる環境に感謝できるようになった。人生を左右する大学ラストシーズンに向け、小林は誓う。「全部、全力で、素直に、野球をやります」